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第一話

ふいに、メールの着信音が鳴った。

彼からだった。

開けてみると、

「・・・・・・・・」

文面がない。何も書かれていない空メールだった。

(何だろう?)

間違えて送信してしまったんだろうか。

あの人からメールが来るなんて珍しい。

不思議に思ったが、携帯のフラップを閉じて、又仕事にとりかかる。この原稿、明日までだし。・・・だが。

キーボードを打つ手が止まる。何だか胸騒ぎがした。


車のキイを手に取り、家から5分のICから高速のレーンに滑り込む。彼の家まで高速を使うと1時間あまり。

何故、急ぎの仕事まで放っぽりだして高速に飛び乗ったのか自分でもよくわからない。あの空メール。何となく嫌な気分がぬぐえない。最後に会った時の彼。

(時間がなかったら?)

自分には時間がないっていうのか?

あの若さで?

あれこれと思いをめぐらせているうちに、彼の家の近くのICの案内表示が見えてきた。

ICを降りたすぐの交差点の角に彼のマンションがある。一度しか来た事はないが場所はしっかり覚えていた。車をマンションの脇の路上に止め、エレベーターに乗り、彼の部屋へ向かう。部屋の前に立つと、午後の眩しい陽射しが背中に当たり、じりじりと焼けるようだ。もう9月なのに、日中の陽射しはまだ真夏のようだった。チャイムを鳴らして待つが、応答はない。

留守だろうか。

帰ろうかと、踵を返しふと思い留まる。ドアノブに手をかけると、するりとまるで生き物のようにドアが開いた。鍵はかかっていなかった。中に入り、彼の名前を呼ぶが、返事がない。一瞬躊躇したが、そのまま何かに吸い寄せられるように玄関で靴を脱ぎ、続きにあるリビングに足を踏み入れた僕が見たのは。


チョコレートコスモス。


リビングのテーブルの上に置かれた丸いボウル型のガラスの器に盛られた花の、血のように濃いダークブラウンの花びらがすべてちぎられ、テーブルの上に散乱していた。その前方にキッチンの丸椅子が、ぽつんと横倒しに倒れていた。

僕は体が硬直した。

レースのカーテン越しにあふれんばかりに注ぐ光が彼の足元を照らしていた。だけど、彼の足は宙を浮いていた。

もう、こときれていた。

僕は吐いた。胃がきりきりと痛み、背中を冷や汗が流れていっても、吐き気はおさまらず、僕はその場に吐き続けた。



僕が彼に会ったのは、本当に数える程度だった。初めて会ったのは、古い友人の敦っちゃんに呼ばれて“萩と名月の夕べ”と称する茶席の集まりでだった。裏千家の師範である彼女はそこに茶席を設けていた。お茶会などにはあまり興味はなかったが、仕事柄、いろんな集まりにはなるべく顔を出すようにしていた。

市内から少し離れた郊外の住宅地に会場があった。古民家を改築したそのホールは、お茶会や俳句の会などのいろんな文化的な集まりが催されていた。20人も入れば一杯になるようなこぢんまりとした造りの建物の玄関を入ると、土間のたたきがあるホールの一角で、花を生けている若い男の姿が目に入った。

今日の茶席の為だろう。まだ茶会まで時間があったので、僕はその男が花器に次々と花を挿していく様子を見ていた。

その手の早いこと。

ぴたりとまるで計ったかのように花の位置が決まる。生けられた花がまるで命を吹き込まれたかのように、織部の深い緑が美しい花器の中で凛と背筋を伸ばす。

(たいしたもんだ。)

枝がフォームを作り、菊や萩らがそのフォームに沿うようにして、形を作る。どんどんと花の形が出来上がるそのマジックのような手作業がおもしろく、じっと見ていると、

「そこのスモークツリーとってもらえます?」

不意に男に声をかけられてびっくりした。背中に目でもついているんだろうか。男の数メートル後ろに立っていた僕は、まさか男が僕の存在に気づいているとは思いもしなかった。綿菓子のような花らしきものがついた枝が、玄関のたたきの上がり口に新聞紙に丸められて置いてあった。

「これですか?」

その包みを手に取り、男の近くに置くと、

「どうも、ありがとう。」

男が僕の方へ向き直って礼を言った。

まだ30代前半か。手際の良い仕事師の機敏さとは裏腹に、幼さの残る丸い人懐こそうな明るい笑顔が印象的だ。

と、思ったのもつかの間、又鬼神のような厳しい表情に戻って次々と枝を挿し込んでいく。手に抱えきらないほどの大きさがある織部の壺があっという間に、シックで落ち着いた秋の花で彩られる。

「風情がありますね。今日の茶席にぴったりだ。」

思わず声をかけた。ススキと先程のスモークツリーが秋らしさを感じさせる。

「この実は?」

所々から飛び出ている枝先に付いた赤やオレンジの実を指すと、

「さんきらいですよ。」

男は又先程の明るい表情に戻って笑顔を見せた。新聞紙に切り散らかした花の茎や枝を集めながら、彼は聞いた。

「今日のお客様ですか。」

彼の問いかけに、僕は上着の内ポケットから名刺を出し、彼に渡す。

「敦子さんに誘われまして。」

「ああ、敦子先生のお友達ですか。」

“ライターさんですかぁ。”

僕の名刺を眺めながら彼は感心したように声をあげた。

“すみません。遅れまして。”

そう言いながら、彼が手渡してくれた名刺を両手で受け取る。

「お花屋さんをやっていらっしゃるのですか?」

“ええ、浅見に一軒・・・”

賑やかな繁華街の一角だ。

名刺には、『フローリスト・デザイナー 水沼瞬次』とあった。それが彼との初めての出会いだった。


5話形式の連載を予定しております。

よろしかったら次回もご覧ください。

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