伝説の生徒会長、飯塚
たらこのような唇を突き出して、ノートパソコンの画面とにらめっこしていた生徒会長の飯塚斗基は、弾くようにエンターキーを叩いた。
「いやいや、やっぱり、これじゃ、運動部の費用が足りんよなぁ」
独り言を言いながら、飯塚は、頭の後ろで指を組んで、上体を反らせる。
こうやって、限りある部活動費の予算を組み替え続けて、一時間以上も経つ。飯塚は、もはや、全ての部が満足する解なんて、無いんじゃないかと思い始めていた。
そんな飯塚の心境を表しているかのように、ここ生徒会室は暗い。西側に窓があり、普段なら放課後でも日が差しむのだが、今日は朝から、雨が降り続いていた。
コンコン。誰かのノック。
「は、はーい。どうぞ、カギ、開いてますよ」
(誰やろう? 訪問者なんて、めずらしいな)
生徒会の他の委員ですら、生徒会室にはめったに顔を出さない。
飯塚は、ノートパソコンを閉じて、立ち上がり、入り口を注視した。
ガラリと一気に引き開けられた扉。
その向こうに、マッシュ―ルームヘアで、大きなレンズの黒縁眼鏡をかけた七宮が立っていた。
「す、すみません。ちょっと、お話、よろしいでしょうか?」
(めんどくさいやつが来た)
飯塚は、意外な訪問者を、歓迎する気にはなれない。
でも、断る理由も、思い浮かばない。
「おぉ、しちみ……七面鳥か。なんだ? 入れよ」
背筋をピンと伸ばして、上半身を揺らさずに、下半身だけ動かして、入ってくる七宮。なぜなんだか、したり顔なのがムカつくし、ロボットのような動きは、バカにされているような気にもなってきた。
そして、闇の心――『ダークトキちゃん』が現れる。
(憂さ晴らしに、利用すればいいんじゃないの? やってやれ。こんなヤツ、メンタル傷ついたって、誰も気にしないし)
ダークトキちゃんは、そう言って、飯塚にダークサイドへのスイッチを入れさせた。
「気が滅入ってたから、ちょうど、いい。気分転換だ」
「き、気分転換……ですか?」
「そら、そうよ。で、今日は、どうした? オレになんか用か?」
女子には、見られていない。日頃、胸の内側に隠している邪悪な本性を解放させる条件は整っている。
ローテーブルを挟んで置いてあるソファの片側に七宮が座るのを待って、飯塚は、七宮の隣にどすんと、腰を下ろした。
二人っきりのこの状況は、むしゃくしゃした気分を晴らすのには、うってつけである。飯塚は、お尻をずらし、七宮に体を寄せる。
「あ、あの……。なんで、隣に座るんですか? む、向かいのソファに座らないんですか? ちょっぴり、話し辛いんですけど……」
「いいじゃんか、ここで。近いから、よく聴こえるぞ」
「で、でも、近すぎじゃ……」
「さみしいこと言うなよ、七面鳥。なぁ、俺たち、一緒に生徒会長の座を争った仲じゃんか」
顔を近づけ、わざとツバを飛ばしながら話した。
「そ、それは、そうですけど……」
「だろ? だったら、仲良く、近くでしゃべろうぜ」
飯塚は、七宮の肩を抱き、ぐっと引き寄せる。
(あれ? あ……えっ?)
七宮の肩を掴んだ手の感触は、イメージした感覚と違った。
七宮の上腕は、硬い。
硬い筋肉で覆われているのかと一瞬思ったが、違う。筋肉の硬さではないし、少し角が立っているようだった。それが、ブレザー越しに触っていてもわかる。
「会長! 折り入って、生徒会長にご相談したいことがございまして」
至近距離の七宮に、真剣な眼差しを向けられても、飯塚の意識は、別のところにあった。不思議な感触の答えがわからないまま、角材のような七宮の腕を揉み続けている。
「ちょ、ちょっと、会長、ちょっぴり痛いので、揉むの、止めてもらっていいですか?」
「な、なんで、いいじゃんか……べつに……」
そうは言いながらも、飯塚は手を離した。揉んでいるうちに、気色悪くなってきたのである。不気味な男の、滑稽な体質に、関わらない方がいいように思えてきた。
バイ菌か、伝染病のようなものが原因だとしたら、距離を取った方がいい。
飯塚は、スッと立ち上がり、「相談? オレにか? なんだ、言ってみろや」と、心の内を読まれないように凄味をきかせつつ、向かい側のソファに移動する。
「先日配られた、不登校生徒のケアに関してなんですが、少し予算をいただけないでしょうか?」
「は? なんだ、それ?」
飯塚は、ソファの上でふんぞり返り、足を組んだ。
「不登校の生徒が、学校に来たくなるような、楽しくて、やりがいのある活動を始めたいです。メンタルをやられた生徒を救うには、人と人との繋がりを深める活動が、必要だと思うんです」
「なんだそれ? 予算なんて、出せるわけ、ないだろ? 誰のための活動って? おまえのクラスの不登校野郎のためか?」
「そうです。北野氏を救いたいと……」
ハハハと、高らかに笑った飯塚の声が、部屋中に響いた。
「いいじゃんか、あんなヤツ、ほっとけば」
「え? し、しかし、会長が配られたプリントに、フォローしてあげなさいと……」
「バカか!? あんなん、オレの本音と違うわ。目黒に言われたから、書いただけじゃん」
「え? で、でも、北野氏がかわいそうで……」
「かわいそうなことないわ、アホ。あいつは、自業自得だよ」
飯塚は、組んでいた足を下ろし、ぐいっと上体を前に乗り出す。
「北野は、一年の時、出しゃばり過ぎて、目立ち過ぎたんだよ。それが、ある人の反感を買ったから、ああなったんだ」
「えっ? ど、どういうこと……ですか?」
ひょいひょいと、飯塚は、七宮を招き寄せる。
「七面鳥、あいつが不登校になったのはな……」
飯塚は意識して間を取り、ドスの効いた声を出した。
「……オレが、あいつをハメたからだよ」
目の前にある七宮の顔から、血の気が引いていくのがよくわかる。
飯塚は、再びソファにふんぞり返って、悦に浸る。
「オレは、あいつが大っ嫌いなんだ。あの時は、上手くいったよ……」
北野は、造形が得意で、趣味で作ったエイリアンの像を学校に持ってきた夏頃から、急に注目され出した。
樹脂でできたそれは、細部までリアルに出来ていて、趣味の域を超えていた。プロ並みの腕前に、クラスメートが皆、北野をほめそやした。
北野の人気は、作ったフィギュアをクラスメートに配ったことで、ゆるぎないものとなる。
女子生徒は、押しの二次元キャラのフィギュアを作って欲しいと、北野を取り囲んだ。
北野を中心とした輪は広がり、もてはやされた北野の鼻は伸び、肩で風を切って歩くようになった。
飯塚としては、どんどん、北野が目障りな存在になっていく。
そして、飯塚を差し置いて、北野が、クラスメートのためにチャットルームを開設した時、飯塚の危機感は頂点に達した。
飯塚は、北野を貶めるために、策を巡らせ、仲間を作って、北野の悪口を吹聴して回った。あのまま放置したら、今頃、生徒会長の座は、北野に取られていたかもしれない。
飯塚には、綿密に立てた人生プランがあった。
いずれ、実家の飯塚財閥(家庭内ではそう呼んでいる。本店の他、市内にあと二つの店舗を構える老舗和菓子屋)の跡を継ぎ、総裁として指揮を振ることになる。そうであれば、それまでに、それに見合った、輝かしい経歴が必要だと考えた。
その人生プランの第一弾が名門、京四条高校の生徒会長を三年連続で務めること。高校の歴史を紐解いたが、そんな偉業を成し遂げた生徒は、一人もいなかった。つまり、飯塚が第一号になるわけで、当然、名門高校の歴史に名を刻むし、伝説にもなる。飯塚財閥の次期総裁として、箔がつく。
三年連続で生徒会長になることを目指していた飯塚にとって、同じクラスで人気者だった北野は、非常に厄介な存在だった。
「そ、そんな……」
七宮は絶句して、うなだれた。
「オレも鬼じゃないから、七面鳥……。北野を救いたきゃ、勝手にやれ。大目に見てやる。ただし、活動費は出せないけどな。ハハハ」
ガバッと、七宮が顔を上げる。
「で、でも、部活動費を公平に、均等に分配するのは、生徒会長の義務のはずです」
「は? 部活動? オマエ、不登校生徒のための活動って、部活動を作りたいって言ってるのか?」
七宮は、口を真一文字につぐんだまま、コクリと頷く。
「その部を生徒会で承認して、活動費が欲しいってか?」
再び、七宮がコクリ。
「バカ。部活動費の予算が苦しいのは知ってるだろ? 去年も、演劇部を設立したいって申し出あったけど、それも却下したんだ。そんなの無理にきまってるだろ」
「し、しかし、生徒会長は、部活動の設立を許可する権利がありますゆえ、申請に対して公平に審査するというのも、生徒会長の義務のはずです」
七宮は、左の上腕筋をさすりながら、口をへの字に曲げて、こちらを睨みつけてきた。
「やりたいから、作りますって言ってきたヤツを全部許可してたら、破綻するわ。活動費を配るんだから、そんなに簡単に作れないことぐらい、わかるだろ」
飯塚は、苛立って、両足をローテーブルの上に投げ出した。
七宮の言い回しが気に喰わない。ふてぶてしい態度も気に喰わない。というか、そもそも、話題が気に喰わない。
黒縁眼鏡を鼻先に落として、上目使いで見てくる七宮が、納得していないのは、一目瞭然だった。眉間と鼻に入ったしわが、ピクピクしている。
「でも、生徒会長には、部の設立を公平に審査するという義務が……」
「ああんっ!?」
飯塚はカッとなって、立ち上がった。
「公平な審査だと!? なら、やってやるわ。七面鳥も生徒会長を目指してたんだから、生徒会が掲げている、〝部活動に必要な三要件〟くらい、知ってるだろ?」
少しの静寂の後、七宮があごを突き出し、眼鏡の眉間を持ち上げる。
「〝誠実な目的〟、〝実績〟、〝わが校への貢献〟……」
〝部活動に必要な三要件〟を正確に答えた七宮は、見た者全てを不快にさせるような、憎々しいドヤ顔をしていた。
飯塚の苛立ちは頂点に達し、「立て!」と、腕を持ち上げて、七宮を立たせる。
「そうだ。そんで、オマエの考えてる部活は、その三要件を満たしてんのか?」
七宮の胸ぐらを掴んで引き寄せ、鼻先に顔を近づける。
「どれも、満たせてないだろ? だから、却下だ」
飯塚は扉の方へと、七宮の背中を押す。
(え?)
七宮は、背中も硬かった。
板でも入っているかのように。
「……〝目的〟は、不登校の生徒を減らすことです。〝実績〟は、まだありませんが、校風が良くなることで、わが校の人気という意味で、〝貢献〟できるかと、考えております」
「はい、ダメね。実績無いって言ったじゃん、今。三つ揃わないと、ダメなの。残念」
飯塚は、七宮を部屋の外へ押し出し、扉を閉めた。
「不登校の生徒を減らすって? そんなの、知るか、アホ」
――数分後。
コンコン。
また、扉が鳴った。
コンコン、コン……コッコッコン。
(な、たんだよ……。まだ、諦めずに、いんのかよ……)
飯塚は、しぶとい七宮を追い返そうと、勢いよく扉を開けた。
「よっ、斗基ちゃん、久しぶり。一緒に帰らへん?」
新町咲が、立っていた。
飯塚は、意外な幼馴染の出現に、一瞬、言葉を失った。
体のラインは細く、それとは不釣り合いな、ぽってりとした丸顔を巻き髪で隠した咲は、レースやフリルが似合いそうな可愛らしさがある。目の覚めるような美女ではないが、なぜか可愛いと思わせる類の魅力が、染み出していた。
そんな咲が、目尻を垂らして、笑っている。
「お……おぅ、ひ、久しぶりだな」
なんとか、それだけを言う。
飯塚と咲は、家が近所で、幼稚園からずっと一緒という、腐れ縁である。それでも、咲は、女子。どんな噂を流されるか分からないので、飯塚は咲にすら、本性を見せたことが無い。
闇の心――『ダークトキちゃん』をむき出しにして、荒くれモードだった飯塚は、頭の中で、『エンジェルトキちゃん』を呼び出して、気持ちを切り替えた。
切り出す話題を考えつつ、前髪を触る。
「前髪、気にし過ぎやって、斗基ちゃん。すっかり、色気好きよってからに。ふふふ」
咲が、また笑った。
揺れる髪……くるっとカールされた巻き髪から、婀娜めいた香りがした。
飯塚は最近、これまで全く恋愛対象にしていなかった咲に対する印象が変わってきている。
そんなはずは無い、と、飯塚の中のエンジェルトキちゃんに問いかけたことも多々あったけど、本心は否めない。
「咲、今日は、部活は無いのか?」
飯塚は、心の動きを悟られないように気をつけながら、ノートパソコンをシャットダウンし、帰り支度をする。
「ソフトボール部、地区予選が近いんじゃなかったっけ?」
「外見てみ? めっちゃ、雨よ。グランドもベチャベチャやし、今日は、練習無くなってん」
窓の外は、バケツをひっくり返したような土砂降りで、校門へと続くコンクリートの上は、川のようになっている。傘も役に立たなさそうで、誰も歩いていない。
「……ほ、本当だ……たしかに」
ゲリラ豪雨の中、校門の向こうから、校内に入ってくる黒い影があった。
飯塚は、好奇心から、それを目で追う。
「な、なんだ、あれ?」
傘もささないで、のそのそと歩いてくるのは、スマートフォンのような形をした、着ぐるみだった。何のマスコットキャラクターなのかと、まじまじと観察したが、目も鼻も口も無い。
胴体は、無機質なスマートフォンを忠実に再現しているが、そこから生えている腕と足は、爬虫類のそれらのようで、アンバランスに思えた。
「え、何? どうしたん、斗基ちゃん?」
咲が横に並んだが、飯塚は、声を失い、そいつから、目が離せなくなっている。
見れば見るほど、怪しさは増し、得体の知れない見た目に、恐怖心すら湧いてきた。
「な、なに、あれ?」
咲も見つけたのか、息を飲むように、手で口を覆う。
手と足の生えた巨大なスマートフォンは、何かを探しているのか、キョロキョロしながら、こちらに向かってきた。そして、生徒会室の窓の真正面に立つと、ピタリと止まる。
「きゃっ、まぶっ!」
スマートフォンのバケモノが、強烈な光を放った。
フラッシュのような閃光だった。
ゴトゴトゴト。
「きゃっ、な、なんなん!?」
咲が驚いて、腕にしがみついてきた。
ゴトゴトゴトゴトゴト……。
背後の扉が、激しく揺れている。床は揺れていないので、地震ではない。
「きゃっ!」
再び閃光が放たれ、咲が、飯塚の肩口に顔を埋めてきた。まるで、不倫会見の会場のごとく、続けざまにフラッシュが焚かれる。飯塚もたまらずに、咲の肩を抱いて、その場にしゃがみ込んだ。
ゴトゴトと揺れ続けていた、生徒会室の扉が止まる。それとともに、閃光も止んだ。
飯塚は立ち上がって、再び窓の外を眺める。まだ、スマートフォンはいた。
「な、なんなんだ、コレ……」
飯塚は、今、何をされたのか、理解できていない。
それをあざ笑うかのように、黒々としたスマートフォンは、小刻みに揺れた。そして、上下に体を揺らしたまま反転し、校門の方へと引き返した。
川のようになって流れる雨水。その中を行くスマートフォンは、大雨がカーテンのように邪魔して、見えなくなった。
飯塚は、呆けたまま、咲の方に向く。
「き、着ぐるみだよな、今の……」
「そ、そりゃ、そうに決まってるやん……。そうとしか考えられへんし……」
久しぶりの咲との下校は、幸先が悪い。
(なんだったんだ、あれ……)
傘をさして最寄りのバス停に向かう間、さっきの出来事が、何度も頭の中でフラッシュバックした。
スマートフォンの造形は、ディテールにもこだわってそうで、やけにリアルだった。
そこから生えた腕は、流木のように筋張っていて、手先はトカゲのようで……。あれが人工物だとしなら、ハリウッド映画の特殊メイク並の技術だったのではないのか。
「なあ、斗基ちゃん、さっきのこと思い出しとるん? もう、ええやんか、忘れようや。趣味の悪い、いたずらやって」
前を歩く咲が、振り返って言った。
確かに、スマホの被り物をして、ただフラッシュを焚いただけなら、いたずらの可能性はある。でも、あの時、背後の扉が揺れたのはなぜか。特殊な光線ではなかったのか。
飯塚は、そんな不安にかられたが、久しぶりで、せっかくの咲との下校を楽しもうと、気を取り直す。
「そ、そうだよな……。だとしたら、学校の警備はだめだな。あんな不審者が、簡単に入ってこられるなんて……」
「あぁっ! そうそう」
咲は、何かを思い出したのか、声を張り上げた。
「そういえば、最近、ソフトのグランドにも、よく不審者が入っきて、困ってるんやけど」
「不審者? グランドに?」
「うん。いつもバックネット裏に立って、気色悪い笑みを浮かべながら、うちらを観察してんねん」
バス停が見えてきた。雨が降っているせいなのか、屋根の下に出来ている列は、いつもより長い。
「そ、それは、由々しき問題だな。学校側に、セキュリティ対策の強化を要請しなきゃだめだな」
「そ、そうや! 生徒会長として、早く対策してや」
飯塚と咲は、バス停の屋根の下に入り、傘を畳む。
「了解。ちなみに、どんなやつなの、咲を観察してる、その不審者って」
「思い出すだけでキモいわ。ハゲで、濃い顔で、和服を着た中年の……」
列の最後尾に並ぼうとした時、すぐ目の前の男は、和装だった。
その男が、くるっとこちらに振り返り、パナマ帽を取る。
「ちょうど、こんな感じ?」
スキンヘッドの男が、自分の鼻先を指さし、ニヤリと笑った。
「うぅぎゃああああああぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁあ!」
♰
バス停の目と鼻の先に、昭和レトロな外観の喫茶店があった。店内の大きさを想像させる狭い間口も相まって、常連客しか扉を押さなそうなその店に、飯塚はいた。
見た目と違って、紳士的な言葉遣いをするスキンヘッドの男に、咲と二人、誘われたのである。
「あなたがたを、待っていたんです。バス停で」
スキンヘッドの男は、そう言って、アイスコーヒーを一口吸うと、すぐにコースターに戻した。
飯塚は、ミルクを入れたアイスコーヒーを混ぜている。緊張してしまって、氷が解けてきってしまいそうなくらい、いつまでも、ストローを回していた。
「オ、オレたちを? なんで?」
隣の咲は、スキンヘッドを見た時、天地がひっくり返るかと思うほど、大きな悲鳴を上げて、パニクっていた。しばらく再起不能なのかと思ったが、店に入って、おごりだから、なんでも頼んでいいよ、と言われてからは、気を取り直して、メニューを選ぶことに集中していた。
今は、特製パフェが出てくるのを、そわそわしながら、待っている。
「それは、さっき、言いましたでしょ」
「えっ? 魂導士を捜してるとかいう話のこと?」
「そ、そうです。それです」
それを初めて聞いた時、RPGの世界の話をしているのかと思った。きっと、この人は、ゲームのやりすぎで、バーチャルとリアルの境界がわからなくなってしまったんだろうなと、最初は疑った。でも、やたら、真剣な表情だし、何度も頭を下げてくるので、少しずつ、話くらいは聞こうかという気になってきている。
スキンヘッドの説明によると、魂導士とは、邪悪な気を鎮めて清め、元通りの状態に戻す人のことをいうらしい。
「特製パフェ、おまたせしましたー」
アゴヒゲをはやしたマスターが、フルーツがたっぷりとのったパフェを、咲の前に置いた。咲は、ひまわりの花のように、周りを明るくする笑顔を見せる。
「うあわぁ、想像通りやん。おいしそう」
飯塚は、咲の子供のような振る舞いが、可笑しくて、クスっと笑った。
「先ほども言いましたけど、京四条高校は、今、これまでに感じたことのないほど、強い妖気や邪気が漂っています」
太い眉をひそめたスキンヘッドの日本人離れした顔は、圧がスゴイ……。
「誰かが、それらを払拭しなければなりません」
「そ、それをするのが、オレらなの? おじさんがやってくれれば、いいんじゃないの? お祓いみたいなことでしょ?」
「お祓いではありません。退治です」
「退治?」
咲は、一心不乱にパフェを食べている。こっちの会話を聞いているようには見えない。
「妖気は、妖怪となり、邪気は邪悪な怪人となって、出現するでしょう。それらは悪霊に憑りつかれた者たちです。退治をせねばならないのです」
「よ、妖怪に、怪人……悪霊……」
さっき、窓から見たスマホ人間のことが、飯塚の頭をよぎる。やたらとリアルなスマートフォンの造形と、トカゲのような手……。
「そ、それって、もう、出現していたりします?」
飯塚の問いに、スキンヘッドの男は腕を組んで考えた後、ゆっくりとアゴを引いた。
「もう、現れてしまっているかも、しれません」
(げっ!? や、やっぱり?)
飯塚は、咲の肩をバシバシと叩いた。
「ヤベェ、オレら、さっき、見てしまったのかもしれない……」
ようやく事態に気付いたのか、咲がスプーンを動かす手を止める。
「そ、その悪霊に憑りつかれた怪人とやらを……さ、さっき」
「そ、そうでなんですね……。それなら、急がないといけません。奴らは、関わった人間に災いをもたらします」
「災い……」
咲を見ると、咲は、ぽかんと口を開けたまま、氷像のように固まっていた。
スキンヘッドは、ぐいっと身を乗り出し、目玉がこぼれてきそうなくらい目を見開く。
「私は、もはや、おいぼれです。悪霊退治ができる若者……すなわち、魂導士を見つけ出して、託すのみなんです」
「そ、それが、オレらってこと? そんなこと言われても……、オレも怖いし、咲だって……なあ?」
尻目で見ると、咲は、スプーンを持った手を、顔の前でブンブンと振った。
「イヤイヤ、無理無理無理無理。無理やって、おじさん。か弱い乙女に、何をさそうとしてるん? や、やめてや、ほんまに」
「いや、お嬢さんっ!」
バンっとテーブルに両手をついて、スキンヘッドが立ち上がる。
「ずっと、部活動中のあなたを観察していましたが、あなたなら、大丈夫です。あなたは強いオーラで守られていて、魂導士特有の桃花眼を持っています」
「トウカガン?」
「はい、桃花眼とは、まつ毛が長くて、切れ長の二重で、白目部分が薄いピンク色になっている目のことです。この目を持つ人は、妖怪や怪人の心が読めて、悪霊退治に向いていると言われています」
飯塚は、咲の顔を覗きこんだ。確かに、咲はスキンヘッドが説明したような目をしている。幼い頃からずっと、見慣れていたはずなのに、改めて観察すると、実に艶っぽい。見つめているうちに、心を奪われそうになり、(いかん、いかん)と、視線を外す。
「私の目に、狂いはありません! あなたは、魂導士になるべくして、産まれてきた人なのです」
スキンヘッドの男が、上から咲を指さした。咲は、自分に背負わされた宿命を受け入れられないのか、わなわなと唇を震わしている。
(……あれ? でも……)
飯塚の脳裏に、ふと、疑問が湧く。
「オ、オレは? 魂導士って、咲だけ?」
「あ」
スキンヘッドは、やや固まって、何かを考えていたようだが、やがて、飯塚の方に顔を向けた。
「あ、あなたもです。さっき見て、直感が働きました」
「ちょ、直感!? ど、どこが? どこ見て、そう思ったんすか?」
「そ……そ、それは……」
口をへの字にしたまま、仁王立ちのスキンヘッド。しばらくの沈黙のあと、おもむろに口を開く。
「こ……こ、ここで、言ってもいいんですか? 大丈夫ですか? 彼女の前で……」
「え?」
飯塚の中の、エンジェルトキちゃんが、(ダメだよ、ダメ。きっと、ダークサイドのことだよ。ダークトキちゃんのこと、この人、わかってるんだ)と、警告してきた。
「あ、じゃあ、教えてもらわなくていいです。聞きません」
その後、スキンヘッドの男から、魂導士の役割と心得を聞かされた。そして、束になったお札を渡される。
「なんですか、コレ?」
「魔除けのお札です。妖怪や、怪人の怒りを鎮めて、落ち着かせたら、最後に、それを奴らに貼ってください。それで、悪霊退治ができます」
「ふーん……なるほど……」
飯塚は、お札をしげしげと眺めたが、達筆すぎて、なんて書かれているか読めない。
「ちなみに、これ、なんて書いてあるんすか?」
「あ……あぁ……」
「あぁ……そこには、『悪霊退散』って、書かれています」
翌朝、飯塚は、教室へ向かう廊下で立ち止まった。普段から、掲示板のことは、気に掛けていなかったので、見逃すところだったが、何気なく目に入ってきたものに、違和感を覚えたのである。
「な、な、なんだ、これ?」
掲示板には印刷された写真が、画鋲で止められていた。
「う……うそだろ? ど、どゆこと?」
写真には、窓際に並んで立つ飯塚と咲が写っていた。咲は、飯塚の腕を組んでいる。雨の中、外から生徒会室を撮ったアングル。
その写真に、白いペンで『お似合いの二人』と、コメントが書き足されている。
「あら、生徒会長、どうしたんですか?」
「えっ!?」
振り返ると、C組の香川亜衣が、掲示板を覗きこむように、首を伸ばしていた。
「そ、その写真って……」
「いやいや、違う違う違う」
飯塚は、慌てて画鋲を抜いて、写真をポケットに入れる。
「あれぇ? 怪しいですねー。生徒会長、咲と一緒に写ってたような気がしましたけど。なんか、恋人同士みたいに……」
「違う違う。香川さんも、知ってるじゃんか、オレと咲が幼馴染ってこと」
「えー、でも、さっきの写真、それ以上の関係みたいでしたけど」
「違うって。たまたま。いきなり撮られちゃっただけで、全然、そんなんじゃないから」
香川は興味津々のようで、三日月形の目をしていた。その目は、猜疑心に満ち溢れている。
「いや。その。この時は……」
「生徒会長は、モテるから、ストーカーの女子生徒にでも、盗撮されちゃったんですか?」
飯塚が、どこから説明しようかと迷っていると、香川が口を開いた。
「だから、違うって……」
「斗基ちゃんっ! ヤバい、ヤバいよ!」
廊下の先から、スカートを揺らして、咲が、全力疾走してくる。巻き髪を振り乱して、慌てた様子だった。
「どうしたん咲? そんなに焦った顔して」
香川亜衣が咲に話しかけたが、咲は香川を通りこして、飯塚の目の前まできて、急ブレーキをかける。
「こ、これ見てよ。そこら中に、こんなん、貼られてる!」
咲が、飯塚の目の前に、右こぶしをかざしてきた。手には、くしゃくしゃになった写真が握られている。
飯塚は、それを受け取り、開いてみた。どの写真も、先ほど掲示板から剥がしたものと似ている。同じアングルから、撮られたもののようだった。ただ、飯塚と咲との距離感や、書かれているコメントが異なっている。
写真に写る二人は、ただ、並んで立っているものから、腕を組んでいるもの、咲が胸に顔を埋めて飯塚が肩を抱いているものまで、幅広い。白マジックで書かれたコメントも、全て違った。
『恋人同士 キュンです』
『生徒会長モテモテ』
『スクープ・生徒会室の情事』
『京四条高のベストカップル』
「ひ、ひどすぎるよ……これ……。だ、誰のしわざなんやろ……」
「ひょっ、ひょっとして……こ、これが……。災い?」
飯塚は、これらの写真を、撮られたタイミングが、すぐにわかった。
昨日スマートフォンの怪人が何度も焚いた、フラッシュのタイミングであることは、間違いない。あの時、怪人は、実際に、写真を撮ったのだ。
飯塚は、気持ちを落ち着かせ、自分の考えを咲に話す。
「これは、スマホ怪人の仕業だよ。チンケなイタズラのようだけど、このアングル……間違いない」
咲は、瞳を潤ませていたが、堪え切れなくなったのか、涙の粒が、一筋、頬を伝った。
「誰それ? 生徒会長のストーカーやなくて?」
香川亜衣が、口を挟んできた。飯塚は、隠すことでもないと考え、昨日の顛末を香川に話した。
生徒会室で咲と二人でいる時、大雨の中に、スマホ怪人が現れ、写真を撮られたこと。バス停で、スキンヘッドのおじさんに出会い、京四条高に、邪悪な気が漂っていると言われたこと。そのスキンヘッドに、魂導士を託されたこと。
香川は、飯塚が話を終える前から、どんどん表情が険しくなって、ついには、親指の爪を噛み、歯ぎしりしだした。
「か、香川さん? ど、どうかした?」
「そ、それって……」
香川は、親指の爪を噛み切ったようで、口から指を離した。
「……鴨川の笛吹き男の事件と、同じやないの……」
「鴨川の笛吹き男?」
飯塚が説明を求めると、香川亜衣は、眉をひそめ、鋭い視線を向けてきた。
「ハーメルンの笛吹き男という童話は、知ってます?」
「な、なんとなく……。男が笛を吹いて、村中の子供を連れ出して、洞窟に隠したっていう話じゃなかったっけ?」
「さすがは生徒会長。だいたい合ってます」
「そ、それが、何? 今、起きていることと、どこか関係があんの?」
「まあ、焦らずに、最後まで、聞いて。実は、童話と同じことが、昔、鴨川流域の街でも起こったの。わたしが小学生の頃」
「え?」
「鴨川流域の小学校で、次々に児童がいなくなったの。どこかの男が連れ去ったって、騒ぎになったわ。警察も動いたんやけど、捜査も空しく……」
「こ、殺されてしまった?」
「ううん。殺されてはいない……。ただ、みんな、姿を妖怪や怪人に、変えられてしまったの……」
「マ、マ、マジで!?」
昨日、スキンヘッドからも聞いた『妖怪と怪人』というキーワードは、飯塚の好奇心を鷲掴みにした。
「マジで。当時のマスコミは、童話にあやかって、捕まらない犯人を『鴨川の笛吹き男』って呼んだみたいよ」
香川が、なぜ昔、鴨川で起こったその事件を話し出したのかは、まだ、理解できていない。だが、続きが気になる。
「か、香川さん、その話、もう少し、詳しく教えてくれない? 知ってる範囲でいいから」
「うん、もちろん 」
香川は、ショートボブの髪を耳に掛けたあと、後ろ手に組んだ。
「連れ去られた児童には、共通の特徴があって、みんな、いじめられっ子だったんだって。そして、妖怪や怪人にされた後は、それまでの恨みを晴らすべく、いじめっ子らを襲ったの……」
「そうなのか! 鴨川の笛吹き男は、心に傷を負った児童ばかりを選んで、そこにつけ込んで、言葉巧みに騙したってことか」
香川は、コクリと頷く。
「たぶん、そう」
「で、その怪人や、妖怪はどうなったん? 殺されたわけじゃないって、さっき……」
「悪霊が退治されたみたい」
「悪霊退治?」
今度は、咲が呟くように言った。鼻の頭はまだ、赤かったけど、もう、泣いてはいない。咲も、スキンヘッドから、悪霊を退治するように託されているから、香川の話に興味を持ったのだろう。
「魂導士が、妖怪や怪人に憑りついた悪霊を退治して、子供たちを救ったらしいよ」
「魂導士!? そ、その当時もおったんや……」
「うん」
突然、咲が、興奮したように、香川の両肩にすがりつく。
「で、でも、どうやって、救ったん? 当時の魂導士は、妖怪や怪人に何をしたん? 亜衣は、知ってるん? 知ってるなら教えて!」
「妖怪や、怪人にされた子らは、魂導士に諭されて、怒りを鎮めたんやって。それで、最後に、体にお札を貼られたら、元の人間の姿に、無事戻ったっていう話よ」
「な、なんだってっ!?」
飯塚は、腹の底から声を出した。クリティカルな情報を、ゲットできたような気がする。
スキンヘッドに、お札の束を渡され、妖怪や怪人に貼れと言われたけど、具体的なイメージがわかず、昨晩から、ずっと悩んでいた。
だいたい、お札だけで悪霊に立ち向かうなんて、危険すぎやしないかと、そんなことできっこないと、勝手に思い込んでいた。
だけど、妖怪や怪人の正体が、弱い人間だとわかれば、恐怖心も和らぐ。
悪霊を取り払ってあげれば、人間の姿に戻るのであれば、ぜひ、そうしてあげたい。
妖怪や怪人の姿でも、話しを聞く耳を持っているのであれば、諭して、怒りを鎮めることも、できるかもしれない。
校内中に写真を貼って回ったのがスマホ怪人だったとすると、再び、遭遇する可能性は十分にある。
その場面を想定してみる。
スマホ怪人と言っても、攻撃力は、ほとんど無いのではないのか。フラッシュを焚いて、写真を撮るくらいしか、攻撃の手段が無いのなら、そんなに危険では無いし、立ち向かえる気がする。
(うん、やれる気がする)
咲は、香川の肩をつかんだまま固まっている。咲も、飯塚と同じことを考えているのかもしれない。
「実は、うちのパパが、その魂導士の一人だったの」
「えっ? な、なにそれ?」
飯塚は、香川の意外な話の展開に、思わず聞き返していた。
「え? そ、そういうことか。それで、香川さんは、当時の事件に詳しいんだ……」
香川は、苦笑しつつ、首を縦に振る。
「パパは、うちの玄関にお札を貼って、悪霊が入ってこれないようにしてくれたの。だから、怪人や妖怪が、家の前まで来て暴れてたけど、中には入って来られへんかった……」
「ス、スゲエ……。お札の効力は、絶大なんだな……。っていうか、怪人や妖怪が香川さんの家まで押し掛けたっていうことは、香川さんは、いじめっ子だったってこと?」
香川は、それには答えず、何かを思い出したように、ブレザーのポケットをまさぐりだした。
「そうだ、お札、持ってるわ。これ、これよ」
飯塚は、香川から二つ折りの紙を受け取る。
開けると、それは、昨日スキンヘッドからもらった悪霊退散のお札と瓜二つだった。
飯塚は、香川にそれを返し、リュックを下ろして、中からお札の束を取り出す。
「こ、これ……」
香川に見せると、香川は、両手で口を塞いだ。
「うちに貼ってあったお札と、ま、全く、一緒やん……」
飯塚は、自然と口角が上がる。お札の絶大な効力を聞いて、俄然、やれそうな気がしてきた。
「よかったですね、生徒会長……じゃなくて、新しい、魂導士さん。そのお札で、学校を救ってくださいね」
そう言って微笑む香川亜衣が、飯塚には、女神のように映った。