女騎士さんマッチングアプリをやる
女騎士は燃え盛る松明を強く握りしめる。
目下に広がる業火が彼女の金色の髪を赤く染めていた。
燃え落ちるのはエルフの里。
美形揃いだと聞き及び喜び勇んで進軍したは良いものの、エルフたちは綺麗な顔で中身のない言葉を吐くばかり。その上口を開けば二人で抜け出そうだの休憩していこうだの。
挙げ句の果に「暗くて危ないから送っていくよ」などとのたまい王宮までついてこようとしたため、女騎士はエルフの里に火を放った。
王宮までの帰路は燃え盛る業火に赤赤と照らされている。
これで安心して一人で帰れると胸をなでおろすが、そこにぽっかり穴があいていることに女騎士は気付いた。
松明を投げ捨て、踵を返す。
「どこにいるのだ。私の白馬の王子は――」
*****
女騎士は諦めなかった。
山を越え、海を渡り、本屋の棚に手を伸ばし、地を這い、泥水を啜り、食パンをくわえて曲がり角を反復横飛びし、あらゆる秘境に足を運んだ。
しかし女騎士の求める白馬の王子はどこにもいはしない。
そしてとうとう、彼女は“白馬の王子”の存在そのものを疑い始めた。
「おやめください、女騎士様!」
「一体何の騒ぎですか」
追いすがってくるメイドを払いのけ、部屋を出てきたその男の元へと女騎士はまっすぐに向かう。
彼の胸倉をひっつかみ、噛みつくようにいった。
「来たなこのインチキ魔導師」
この男こそ王国の加持祈祷を一挙に引き受ける宮廷魔導師にして、女騎士に予言を授けた人物であった。
予言とはつまり「13ヶ月以内に白馬の王子が現れる。あるいは一生現れない」というもの。
「私はお前の予言を疑っている」
「そうですか。上手くいっていないのですね」
女騎士はこの男が苦手だった。
すべてを見透かしたような顔をして、いつも正解を口にするからだ。
このときもそうだった。
「来てください。鏡をお貸ししましょう」
「か……鏡を……!?」
女騎士は戦慄した。
鏡。魔導師が口にしたのは平民たちが日常で使うそれとはまるで違う。
その鏡が映すのは覗き込んだ者の顔ではない。
距離を、時には世界をも超えて、会えるはずのない者の姿をその鏡面に浮かび上がらせる。
普通の鏡と同じ部分があるとすれば、どちらも容赦なく真実を突きつけてくるというところだろうか。
「いやエルフの里なんか行ったってまともな男いるわけないぢゃん。マヂウケんね騎士ちゃんw」
鼻にかかった声が静謐な地下室に響く。
鏡のお告げを聞く女騎士の拳は震えていた。
「単芝だと……!? 馬鹿にしているのか」
「落ち着いてください。あの精霊……“ギャルの女友達”に悪気はないのです」
「分かっている!」
ここで鏡を叩き割るほど女騎士は愚かではない。
血が出るほどに唇を噛みながら、ジッとお告げの続きに耳を傾ける。
「ぢゃあさぁ、騎士ちゃんマッチングアプリやれば良いぢゃん」
「マッチングアプリ?」
「そーそー。なんかぁ、あーしの地元の先輩の元カノの妹の友達がアプリで結婚したらしいよ」
マッチングアプリ――その存在は女騎士も知っていた。
魔法電脳網上にプロフィールを公開し、男女の出会いを提供する術だ。
そう。知らなかった訳じゃない。女騎士はそれを知っていた上であえて今まで手を出していなかったのだ。
「魔女め! マッチングアプリなどおぞましき黒魔術。魑魅魍魎の跋扈する魔法電脳網に顔をさらし、得体の知れない人間と交流するなどと――」
「あっ、ごっめーんそろそろバイトの時間だわ」
「待て! まだ話は」
「今度店長がバイトの子に手ぇ出して捕まった話してあげるね。ぢゃあまたね~」
「なんだその話今聞かせろ。ギャルの女友達! ギャルの女友達っ」
女騎士の声が石造りの壁に吸い込まれて消える。
鏡に映るのは悲痛な面持ちの女騎士のみ。
その後ろから魔導師が覗き込む。
「精霊の考えは時に理解し難いこともあります。しかし彼らには彼らの理論があり、種族が違う者の言葉だと切り捨てるのはあまりに惜しい」
魔導師はそういって、またいつもの顔で笑った。
すべてを見透かしたような薄笑いだ。
「もっとも、判断を下すのはもちろんあなたですが」
「……魔導師よ、杖を持て」
女騎士の判断は早い。
戦場での熟考は死を招く。今まで信じてきたものを瞬時に捨てる決断力。それを持てずに血溜まりへ沈んでいった者を女騎士は何人も見てきた。
これまでのやり方を捨てなければならない時が来た。
女騎士は魔法の鏡をスワイプする。
「これよりマッチングアプリの儀を執り行う」
*****
宮廷魔導師主導のもと、マッチングアプリ設定の儀はしめやかに執り行われた。
電気石とワイファイの実、そして身分証明書を生贄に捧げてマッチングアプリの精を鏡に降ろす。
利用者が男性の場合は上記に加えて毎月精霊に金貨を捧げなければならないが、女性の場合は免除される。
そして禊を終えた女騎士がプロフィールの入力を終えれば準備は完了。
それから彼女が一人地下室に籠もること3日。
飲まず食わずの身を案じたメイドが差し入れを手に足を踏み入れたところ、変わり果てた姿の女騎士がそこにいた。
「いいねが貰えない」
ベッドの中で、やつれた姿の女騎士がうわ言のように呻いた。
「いいね」とは、気に入った異性に送るラブコールのようなもの。
マッチングアプリの中では異性からの人気が数値として可視化される。いわばアプリ内戦闘力。
今まで体験したことのない己の弱さに、女騎士は大きなショックを受けていた。
「なぜだ……そんなはずはない。なにか設定が間違っているのでは……?」
「設定の儀は滞りなく終わったはずですが。どれ」
鏡を手繰り寄せ、魔導師はその表面をなぞる。
いくらかもしないうちに、彼は悲鳴を上げてひっくり返った。
「うわああ!」
「な、何事だ。やはり電脳呪術師が私のいいねを盗んだのか?」
魔導師はそっと鏡を差し出す。
そこに映し出されるは、女騎士が入力をしたマッチングアプリのプロフィール。
「あなた、本当に白馬の王子を探す気はあるのですか?」
「当たり前だ!」
女騎士は吠えた。
鎧は脱いでも剣は手放さない。ベッドの脇に立て掛けられたそれに手を伸ばし、魔導師を睨む。
「魔法電脳網にこの身をさらすなどという危険を冒してまでいる私の覚悟を疑うか!?」
「ではなぜ、わざわざ己の魅力を損なうようなことを」
「どういうことだ。分かるように話せ!」
「……これをご覧ください」
魔導師がスワイプした先にあったのは、名も知らぬ女性会員たちのプロフィール。
女騎士は目を見開いた。マッチングアプリにて通常閲覧できるのは異性のプロフィールのみ。
どんな奇術を使ったのかと女騎士は胡乱な瞳を魔導師に向けるが、彼はこともなげに言う。
「これは人気女性会員のプロフィールでございます。彼女たちには一つの共通点がございます」
魔導師はなにも違法な術を使ったわけではない。
それはマッチングアプリの精が提供した、いわば「お手本」のプロフィール。
人気会員が人気会員である理由を、己の目で盗めとばかりに公にされたものである。
女騎士は言われるがまま、プロフィールに目を通していく。
しかし女騎士の顔は険しくなっていくばかり。
職業、年収、趣味、身長に体型……いずれのプロフィールもてんでバラバラ。
「共通点などどこに。髪型も顔のタイプも違う。みな整った容姿をしているが――」
そこまで言って女騎士はハッと言葉を飲み込む。
刃を鞘から抜き放ち、その切っ先を魔導師へと向けた。
「まさか貴様、私の容姿が劣っていると。そう言いたいのか?」
「いいえ、女騎士殿。しかしあなたはもっと己を美しく見せる努力をするべきだ」
「鍛錬が足りないと言うのか。この私に!?」
「ではなんですか、このプロフィール写真は!」
魔導師は半狂乱になって鏡を突きつける。そこに映るのは女騎士のプロフィール写真。
自宅で撮影したものだろう。
蛍光灯を光源にした写真は全体的に薄暗く、中央にいる女騎士の顔にも影を落としている。
「しかもこれ、撮影機器は……まさか……」
「魔法の鏡のインカメだが」
魔導師は怯えた乙女のように自らを抱きすくめ、ガチガチと歯を鳴らす。
「仄暗い室内、やや下方からの顔面どアップインカメ撮影……絶世の美女をも並以下に叩き落とすというげに恐ろしき撮影魔法でございます」
「か、顔がよく見えたほうが良いではないか」
女騎士がバツが悪そうに言うと、魔導師は呆れ顔を隠そうともせず首を振った。
画面をスワイプし、再び人気女性会員たちの画面を並べる。
「大事なのはパッと目を引く明るい写真。他になにかありませんか?」
「無いことはないが……」
そう言って女騎士は魔法の鏡に写真を宿した。
日の降り注ぐ屋外で撮ったもの。普段鋭い表情をしていることの多い女騎士が満面の笑顔を浮かべた貴重な一枚であった。
問題が一つあるとすれば、その手にオークの首をぶら下げていることか。
「なんですかこれは」
「大物を仕留めた記念に撮った」
「……少々過激過ぎますね。精霊の怒りを買えばアプリ永久追放の恐れもあります」
「じゃあどうしろと言うんだ。そんなに何枚も写真なんてないぞ」
「では」
魔導師が虚空から杖を取り出す。
ひとふりすると鏡面からオークの首が消えた。
「な、なにをした? 魔法か?」
「“加工”の精霊を魔法の鏡に降ろしました」
「“加工”の精霊?」
「オークの首の部分をトリミングしたのです。これをプロフィールに設定しましたので、ひとまず様子をみてください」
その効果はすぐに現れた。
男性の方から女性にアプローチすべきという文化は根強く、マッチングアプリ内でも女性の方が「いいね」を稼ぎやすい傾向にある。
それも手伝ってか、女騎士が獲得したいいね――つまり彼女にアプローチした男性の数はたった数日で軽々と3桁を突破した。
日常ではありえない未曾有のモテに女騎士の自己肯定感は高まる一方で、しかしこうなると欲が出てくる。
つまり、さらに多くのいいねがほしくなったのだ。
気付くと彼女は再び魔導師の元を訪れていた。
「プロフィール写真の頬についた血飛沫を“加工”で消すことはできるか」
「可能です」
女騎士の相談に、魔導師はこともなげに頷く。
少し考えて、女騎士はさらに尋ねた。
「画面をさらに明るくすることは?」
「フィルターをかければ可能です。このままでも十分かとは思いますが」
「……では、私の目を大きくすることは?」
魔導師の表情が凍りつく。
彼女が自分の元を訪ねてきた本当の理由を彼は悟った。
「なりません女騎士殿。“加工”を己の身に使うのは禁忌でございます」
「できるんだな?」
それだけ聞ければ十分だった。
女騎士は踵を返し、魔導師の元を後にする。
「戻れなくなりますよ」
背中越しに聞いた魔導師の言葉に女騎士が耳を貸すことは無かった。
その後、彼女のいいねはさらにその数を増やすこととなる。
いいねが増えればアプリ内での注目度が高まり、より良い条件の男性からもいいねを貰いやすくなる。
女騎士がマッチングした相手も、いわゆる人気男性会員であった。
広大な領地を持つ貴族であり、プロフィール文からは質実剛健が伝わってくるようだ。
なにより惹かれたのはその写真である。
鹿狩りに興じた際の一枚。日の暮れかけた夕方の草原を駆ける姿は勇猛果敢そのもの。
影の落ちた精悍な顔が数多くの女性からのいいねを攫っていったのだろう。
そして彼も女騎士のプロフィールに好感を持ったらしい。
魔法の鏡の上でやりとりを重ね、そしてどちらからともなく実際に会おうという約束を交わした。
場所は王都の一等地にある喫茶店。
美しく着飾り、戦場とは違う意味で武装して王宮を出た。
白馬の王子とようやく会える期待に胸を膨らませながら待ち合わせ場所へと辿り着いた女騎士。
しかし二人の逢瀬はこんな言葉から始まった。
「誰だ貴様!?」
写真より少し……いや、かなりふくよかな男の姿に、女騎士は思わず絶叫したのだった。
*****
「ご覧になったのですね。加工の成れ果てを」
毛布をかぶり、青い顔で震える女騎士。
彼女もプロフィール写真に少々の加工を行ったことは事実だが、決して彼ほどではなかった。
夕暮れの薄暗さ、角度、そして魔法による加工……男のプロフィール写真は様々な条件が重なって生まれた奇跡の一枚だったのだ。
決して彼に悪意があったわけではない。
ただ、己を良く見せたかっただけなのだ。
女騎士はその気持ちが痛いほどに良くわかったが、開幕早々盛大な「ガッカリ」を味わせてきた彼にもはや恋心など抱けはしなかった。
「嘘や盛り過ぎは自分の首を締めます。そしてそんなものは親密な関係になればいずれはバレるのです」
彼女の肩に手を置き、魔導師は珍しく慰めるような口調で言った。
「あなたが求めているのはたくさんの“いいね”ではなく、たった一人の王子なのでしょう?」
「ああ、そのとおりだ。私は数字を求めすぎて大事なものを失っていた。たった今、それに気付いたよ」
女騎士はくるまっていた毛布を投げ捨てた。
彼女は何度でも立ち上がる。
たとえそれが戦場でも、婚活市場でも。
「落ち込んでいる暇などない。新たな写真をとりに行く。加工いらずのとびきり素敵な写真をな」
「私もお供いたしましょう。場所は王立公園? 王都のおしゃれカフェ? それとも電光芸術の森?」
「決まっている」
女騎士は勇ましい声を上げながら、輝くロングソードを振りかざした。
「オーク狩りだ!」