15◆痛みの記憶
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ここは廃屋だけあって、ぼろぼろになって破れ目から綿が覗いたひどい椅子がある。自分たちは使わないのでクワイエットも繕わずに放置していたものだ。
そこにパペットを座らせて、ストローはいつも座っている飾り箱のほうへ行った。
一見豪華な棺に見えるそれは、彼女自身を収納するためのもの。
呪いの藁人形というおどろおどろしい名とは裏腹に、彼女はきれいな保管箱に入れられていたし、見た目もふつうの人形だ。
手や足は手袋やタイツで覆われているし、唯一むき出しの顔も表面には藁を使っていない。そこは他の人形と同じように、木製の骨組に人工皮膚を張り、眼には硝子玉が入っている。
野良人形として暮らしていると、稀に人間からうちに来ないかと声をかけられることがある。
子どもの相手をしてほしいとか仕事を手伝ってほしいとか、理由はさまざまあるが実のところ、声かけの最大の目的は「ペープサート市民なら家に一体は人形が欲しい」というものだ。
ただエニグマレルを搭載した自律人形は値が張るので、家計に余裕がなければ手に入れづらい。
中には中古の人形を専門に扱う業者もいて、野良人形なら仕入れ値が無料である。むろん路上生活で汚れた人形を商品にするには手入れが必要になるが、それを差し引いても安上がりだろうし、正規の買い取りだけでは足りないのかもしれない。
ストローも、見てくれで藁人形と思われずに声をかけられることはあった。
そのたびに自分は藁人形だからと断って、こちらの素性を知った人間を恐怖に陥れることになるので、それが億劫でジュディ通りから出なくなったように思う。
ともかく箱から呪具をひとつ取り出す。
それは舶来物の厚紙に包まれたもので、中に口に出すのもおぞましいような代物が入っているが、開封する必要はない。
その紙はきれいな赤い紐で蝶結びに縛られている。ストローはそこに、いつも持っている五寸釘ではなく木工用の小さな釘を刺した。
「大人しくしていて。下手に動くと内部の機巧に傷がついてしまうから」
パペットのブラウスをめくって腹を出させ、さらにそこを開いて胴の中に呪物をねじ込む。
できるだけ彼女の稼働部品の邪魔にならない場所を選んで、そこからずれたり動いて落ちたりしないように、釘を木製の外殻――つまり背中の板に刺して固定した。人形の腕力があれば金槌は要らない。
「これでよし。……あなたがまた異常な行動に出ることがあったら、すぐそれで始末する」
「それって痛い?」
「痛みを感じる機能もあるの? だとしても、そんな暇はないから大丈夫」
「そっか、ならいーよ。あはっ」
パペットは特徴的な笑い声とともにブラウスを直した。まるでもう面倒ごとは終わったと言わんばかりの表情をしているが、本番はここからだ。
その首の、ブラウスに直接縫い付けられている襟飾りを摘まみながら、ストローは静かな声で問う。
「それでは改めてあなたを尋問させてもらう。指貫人形、あなたの造物主は誰?」
パペットはびくついたが、もうクワイエットに取り押さえさせる必要もなかった。仕込むべきものはすでにその腹の中、指の届かない背中の裏に固定されて、これでもうストローの意思でいつでもパペットを破壊できるのだ。
それこそ、今度はもうリチャードの腕をもってしても復元不可能なほど粉微塵にしてやれる。
くちびるをわなわな震わせて黙り込むパペットを、襟飾りをぐいと引いて顔を近づける。
そしてもう一度、さきほどよりも冷たく低い声で尋ねた。――あなたを造った呪術師はグラン・ギニョール社の社長本人?
「しゃ、しゃ……ちょ……」
「社長なのね? その人の名前は? 彼、それとも彼女?」
「わ……、わかん、ない……ッ」
「だめよ。もう『わからない』は通じない。……あのねパペット、さっき、痛みを感じる暇はないと言ったけれど、それも私次第なの。あなたに痛覚機能があるのなら、活動状態を停止寸前に留めたままで、地獄のような苦しみを感じ続けさせることだってできるのよ」
よほどその社長なる人物を恐れているのだろう。パペットの身体は目に見えるほどに戦慄いて、終いには椅子から転げ落ちてしまった。
そのまま這って逃げようとしたのか、両手が床を何度か掻くようにして滑ったけれど、ストローは決して襟飾りを離さなかった。今はこのパペットだけが手がかりなのだ。絶対に離してなるものか。
「ここには人形師はいない……だから私はあなたに何だってできる。それこそ拷問したっていいの。多少傷が残っても、彼にはあなたが暴れたのだと伝えるだけ。
たとえばそうね。さっき仕込んだ呪具、あれの具合を少し試してみましょうか」
「や……、や……やぁーッ! 怖い! やだ、痛いのやだぁ!」
「脅したくらいでずいぶん怖がるのね。……もしかして社長って人も、あなたを甚振ったりしたのかしら」
「う……う……ッ」
「そう、その顔は図星ね? そうよね、わざわざ人形に痛覚を持たせるなんて、そういう目的しかないものね……。
可哀想に、辛かったでしょうね。でも安心して。正直に話してくれるなら、私はあなたを痛めつけたりしないし、あなたを古い主に送り返すこともしない。これからはリチャードさんと安心して暮らせるの」
後半は優しい声音で、宥めるように話しかけながらパペットの頭を撫でてやる。責め立てたあとは一度緩める。
いわば言葉による飴と鞭、緩急をつけて相手を揺さぶる典型的な尋問の方法を、ストローはほとんど本能だけでやってのけた。
それともこれは自らに備え付けられた機能なのだろうか。それはストロー本人すらもわからない。
そもそも主が何のために、誰を殺すために己を作ったのかすら、藁人形は知らない。
だから誰を何人殺そうとも、己の役目を終えたと思うことができないのだ。
「……ほんと? ほんとにパペット、もう、しゃちょーのとこ行かない……?」
「ええ。約束する。……だけど話してくれなければ、その社長よりもひどいことをする」
「やぁだぁぁ! 言うよぉ、ぜんぶ言うから痛いのはやだぁ!」
「いい子ね」
それからパペットは、震えの残る声で話し始めた。
グラン・ギニョール社はペープサートの北西の端に拡がる、深い森の中にある。その先に傀儡石の鉱脈を持つ山々がそびえていて、森には鉱山に向かうための道が整備されているが、社屋があるのはその道からはかなり外れたところだという。
誰も寄り付かないように、森の奥深くに隠されているのだと。
パペットはそこで、社長のチャーリーという男に作られた。パペットだけでなく社内で製造される人形はすべて彼の作品だという。
「……いっぱい怒られたけど、いつも理由がわかんなかった……」
・・・・・
パペットが憶えているのは、チャーリーがいつも手にしていた乗馬用の鞭だ。
それは電撃を発する機能を備えていた。一般的なものにそんな装置などないことを、当時のパペットは知る由もなかったけれど。
とにかく、それで叩かれた回数はもうわからない。多すぎて途中で数えなくなったから。
ギニョール社にいたころのパペットはいつも腹を空かせていた。人形なのに空腹なんておかしな話だが、というかそもそも臓器がないのだからありえないが、たぶんそう感じるように作られていたのだろう。
そしてあの牙に、嗅覚と触覚を基にして、かなり精度は低いが味覚を形成する機能が備わっていた。
パペットは目にしたあらゆるものを片っ端から口に入れた。そこに美味しいものはなかったけれど、そもそもそんな感情を知らなかった。
ただ纏わりつくような空腹感を紛らわせる術を探していただけで、その解消にどうすればいいかわからないまま本能的に何でもかんでも齧っていただけだ。
けれど、自分でそう作った張本人のはずのチャーリーは、そんなパペットをいつも叱った。
おまえは悪い人形だと詰り、電気鞭でひどく叩いた。何度も何度も、表面の人工皮膚が焼けて穴が空くまで殴打して、ときにパペットを機能停止にまで追い詰めた。
そのたび修復されて、そしてまた最初からやり直し。
パペットにはなぜか痛覚まで備わっていたから、鞭打たれるのは痛かった。殴打に加えて電撃が鋭く内部機巧を刺すものだから、一撃でも入れば身動きがとれなくなって、あとはもうチャーリーの手か自身が止まるまで痛い痛いと叫ぶしかない。
けれどそんなパペットを見てチャーリーは嗤った。痛いだなんて嘘を吐くな、泣いてもないくせに、と――そんな機能は付けていないのに。
そんな、苦痛に終わる短い生を繰り返してきた。何回壊れてもそこで終わりにはしてもらえなかった。
エニグマレルさえ無事ならば、何度でもパペットは作り直された――そして何度も壊された。
そのころ正気とは言えなかったパペットでも、苦痛くらいは理解できた。ある日とうとう耐えられなくなって逃げ出して、闇雲に森を彷徨ううちに市街地に出た。
大人には怖くて近寄れなかったが、自分と同じくらいの大きさの子どもならそれほどでもない。
それで一緒に遊んでいるうちに、空腹が命ずるままに子どもを齧ってみたところ、その血肉は香り高く柔らかくて、パペットは生まれて初めて美味を感じた。もちろん正気じゃなかったからで、今はきっとそうは思わない。
とにかくそれでずっと子どもを定期的に食べていたのだ。そうあるように、作られていたから。
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