悪魔と踊る為に感情を。
コンコンッ
ドアをノックする音の後に古びたドアの金具が音を出す。
「あっ、あのー。すいませーん」
「はい。どうかしましたか?」
「えっと…」5センチ四方の黄色いメモを握りしめ、必死に言葉をまとめる。
「あ、あの、ここで心を買えるって聞いたんですが…」
「えぇ、売っていますよ。まぁ、心ってよりかは感情ですがね」男は眼鏡を人差し指で押し上げながら、静かに、当たり前のように答えた。それにしてもこんなに素直に認められると疑う気持ちすら持つことが出来ない。
「あ、そ、そうなんですね。一つ売って欲しいものがあるのですが...」
「喜び、悲しみ、恐怖、感動に興奮、安心や後悔。その他もろもろの小さな感情もなんでも揃っていますよ」
「…」
「…もしかして、言葉にできないものですか?」
「いっ、いえ。あの、人を…人を懐かしいと思わせる事は出来ますか?」
「と、言いますと?」
「祖母が私のことを忘れてしまって。私には祖母しかいなくて。唯一の家族に忘れられるのは辛くって…何かのきっかけで私を思いだしてくれないかなって」
「そうですねぇ。できることには出来ます。ですが〝懐かしさ〟を売るにあたってそれ相応のものを貴方は支払わないといけませんよ?」
「えぇ。構いません」
「では。貴方に懐かしさを売るにあたって支払ったものに関する事、およびこの場所を貴方は思い出すことは出来ません。構いませんか?」
「はい」
「それでは…」
〜〜〜
〝懐かしさ〟と書いてある紫色の小瓶を握りしめ家へと走る。どこでこれを買ったのか、貰ったのか、拾ったのか、記憶が無い。ただ、これは本物だと思う。とにかくこれを使わなければ。
…使う?誰に?
…なんで私は走っている?分からない。記憶が無い。ま、まずは家へと帰ろう。…家?家族?あ、あれ?何も…思い出せない。
〜〜〜
「馬鹿な女です。〝感情〟なんてものが〝売っている〟はずないのに。世界は等価交換で成り立っている。100円では100円の価値のあるものと交換を。1000円では1000円の価値のあるものと。しかし感情には値段を付けられない。感情には感情を。記憶には記憶を。記憶と感情には記憶と感情を。まったく...何を考えているんだか。これだからニンゲンは」
ここは記憶と感情を引き換えに、紫色の小瓶を渡す商売。〝忘れさせ屋″ 記憶は化け物共にとってのご馳走。カメラや人の目の多いこの時代、化け物共が肩で風を切って歩くことは出来ない。ご馳走にありつけない。だが、人の肉を纏った私は彼らにそれを売る。自分が化け物であることを忘れないように、人であったことを忘れてしまわないように。化け物が化け物であることを忘れてしまわないように、彼らはニンゲンの記憶をむさぼり喰らう。