Mの悲劇(作:鈴木りん)
朝起きると、襲って来たのは酷い頭痛だった。
昨日、飲み過ぎたせいかとも考えてみたが、そんな記憶はない。
池のほとりの公園のベンチで痛む頭を抱え、僕は途方に暮れた。
「プリ男、頭になんか刺さってるよ。大丈夫かい? 自慢のカラメルソースが台無しだ」
そう言って、灰色の羽根をバタつかせながら頭上から声を掛けてきたのは、フクロウの「フク」だった。
「何だって? どおりで頭がズキズキと痛むはずだ」
いつも寝床にしているベンチから立ち上がり、慌てて手探りで確認してみる。
すると――確かにあった。
その感触から判断すると、紙のように薄い一枚の板のようなものらしい。以前、自称「マツタケ探偵」のシイ太に齧られ大きく欠けてしまった頭のその部分に、それが垂直に突き刺さっているではないか。
「げっ、全然抜けないぞ」
一所懸命にそれを引き抜こうとするも、自分の頭の乾燥化&固形化が進んでいるのか、容易には抜けない。フクにも声を掛け、空中からくちばしで引っ張ってもらうことで、なんとかそれを引き抜くことに成功した。
「これは……桑の木の葉っぱだね」
フクが言ったように、先程まで頭に突き刺さっていたそれは、一枚の葉っぱだった。
だがそれは、ただの葉っぱではなかった。
虫眼鏡でしか見えないくらいの小さな文字で、メッセージが書かれていたのだ。
『もりのとしょかんで あしたのひるに たいけつだ』
正確には『書かれて』いたものではなくて、まるで虫食いのように『穴が開けられて』いたものだった。それが、文字を形作っている。
だが、他に文字は見当たらない。
つまり、誰が誰に向けて書いたのかすらわからないのである。もしかしたら、風で飛ばされて何かの拍子に僕の頭に刺さったのかもしれないが……。
そんな謎が新たに僕を悩ませたせいか、頭から葉っぱを抜き去っても一向に頭痛は収まらない。
――あ、そうそう。
これから大変なことになりそうだから、一応、説明しておくね。
僕は抹茶プリンの「プリ男」。
全身が抹茶入りの美味しいプリンでできていて、頭の上に「お店のシェフ自慢のカラメルソース」がふんだんにかかっているのが自慢なんだ。
僕がこの森にやって来たのは、数か月前のこと。
森の中にあるこの公園に、秋の遠足で学校のみんなと一緒にやって来た小学一年生のみっちゃんがお弁当の食後に食べるデザートとして僕をここに連れて来た。ちなみにおやつは300円以内だったが、僕はデザートなのでおやつには入っていない。
まあ、それはそれとして、みっちゃんがいざ僕をいただこうとした、そのときだった。無情にも担任の先生の「お弁当の時間はおしまいです」という言葉が公園内に木霊し、僕を食べ損ねたみっちゃんがそのまま僕を置き去りにした――いや、自然の中に解き放った――という訳である。
聞くも無残な話、なんて思わないで欲しい。
みっちゃんによって生かされたと、今ではポジティブに考えている。これからは、“第二のプリンライフ”を満喫したいとも思う。
まあ、兎にも角にも僕はそれ以来、みっちゃんが座っていたこのベンチを寝床にして、この公園に住み続けている――。
話を事件に戻そう。
こうして僕が妙な一枚の葉っぱの「挑戦状」を前に頭を抱えていると、噂をすれば影とはよく言ったもの、前回僕の頭を齧った「きのこ探偵」のシイ太がふらりとやって来たのだった。
「お、プリ男くん元気かい? 相変わらず堅くて不味そうなプリンだね……って、その葉っぱは何だい?」
相変わらずカチンとくる物言いで話しかけてきたシイ太に何か言い返そうとするも、頭が痛くてうまく口が動かない。
仕方なくズキズキと痛む頭を抱えながらゆっくりと僕は振り向いた。
すると、フクはもう興味を無くしてしまったのか、あくびをしながら何処かへ飛んで行こうとしていたところだった。
「あれ、フク行っちゃうのかい……まあ、いいや。ところで……自称マツタケのシイタケさん、君を相手にしている暇はないよ。……何せ僕は今、すごい頭痛なんだ。あっち行って――って、そうか。君は確か、自称探偵だったよね?」
「自称じゃない。正真正銘のマツタケ、そして『名探偵』だ」
「ふうん……まあいいや。とにかく、この葉っぱを見てくれ。これが今朝、寝ている間に僕の頭に刺さってたんだ。だけど、これが誰からのものなのか、本当に僕に向けたものなのかもわからない。君の推理を聞かせてくれよ」
「おお! それは、このマツタケ探偵に対する正式な依頼ということでいいんだね。ふむう……。なるほど、これは穴を開ける感じで文字を書いたという事だね」
「そう、その通りだよ。君はシイタケだけどな」
「違う、何度言ったらわかるんだ。私は庶民の憧れマツタケだっ! ……とにかく、もっとよくそれを見させてくれないか」
僕が葉っぱを手渡すと、彼は体のどこの部分から取り出したのか、ルーペのような器具――所謂、虫眼鏡で葉っぱの細部を観察し始めた。
「どう、何かわかった?」
しばらくして僕がそう訊くと、シイ太は首を振った。
「いや、特には……。しかし、犯人はかなり手先が器用な人物のようですな。何せ、こんな細かい、くり抜き文字が書けるんだから……。いや、ちょっと待てよ、もしかしたら謎は見た目にあるのではなく、意外と葉っぱの匂いとかに手掛かりがあるのかも知れない」
と、葉っぱの匂いをクンクンと嗅ぎ始めたシイタケだったが、突然目を輝かせると、こう叫んだ。
「おおっ、これは!」
「何か判ったのか?」
「いや……香ばしいカラメルの匂いがするな、と思って」
「そりゃ、そうだよ。僕の頭に刺さってたんだからさ!」
結局、シイ太は葉っぱをあれこれひねくり回してみたものの、何も閃かなかった。
だが先程から、カラメルの香ばしい匂いに触発されたらしいシイ太の、僕の頭をちらちらと見遣る視線をひしひしと感じていた。
気のせいかも知れない――が、またシイ太に頭を齧られては大変と、身構えた僕。
「何をそんなに身構えてるんだ。もうそんなに固くなったプリン、誰も食わんて」
「な、何だと!」
「ふん……。まあ、とにかくね、今回は参りましたよ。犯人は、かなり狡猾な人物です。何せ、この名探偵にも解けないほどの謎を残しましたからな」
「へぼ探偵だから、何も判らないんじゃないの?」
「な、何だと!」
そんな様子だったから、やっぱり何もわからず仕舞い。
「明日、朝から森の図書館の前で待ってたら誰か来るだろうから、そのときわかるんじゃないの?」
という投げやりな捨て台詞を残し、きのこ探偵が家に帰った。
深く溜息を吐いた僕は、ずっと痛みの治まらない頭を抱えながら、一晩をベンチの上で過ごしたのだった。
☆
朝になり、森の中の図書館へと向かう。
図書館は、森の中央を流れる川を少し遡ったところにある静かな場所だ。森のキツツキたちがたくさん開けた樹木の穴が本棚の役割を果たしていて、そこには葉っぱでできた紙を束ねた本が数えきれないほど並べられている。
ちなみに、森の動物なら誰でもそれを利用して本が読めるのだ。
「朝から何ですか。騒々しい」
そう言って僕らの目の前に現れたのは、この森の図書館の館長、クマゲラのゲイルだった。
もとから赤い頭のてっぺんを更に真っ赤にして、少しお怒りのご様子が窺える。
「いやあ、館長すみません。実は昨日、僕の頭にこんなものが刺さってましてね」
「ええ? ……ふうむ。確かにこれは穏やかではありませんな。でも、それにしてもこれは集まりすぎでしょう。ここは図書館なのだから、うるさくされたら困るのです」
そうなのだ。
どうやらフクロウの「フク」やシイタケの「シイ太」が昨日、あれから面白おかしく森の仲間たちに吹聴したらしく、朝からたくさんの仲間たちが集まって来ていた。顔ぶれを見れば、忙しなく辺りを駆けまわるシマリスの「リース」や、川の中からバチバチ睫毛の顔を覗かせる金魚の「エンゼ」もいる。
「まあまあ……そうおっしゃらずに、ゲイル館長。いずれ、その挑戦状の差出人がやって来て、一件落着となりましょうから」
樹木に寄り掛かり、だらけた姿勢で図書館のミステリーコーナーにある本を読み耽っていたシイ太がぼそりと言った。
ゲイル館長は一度溜息を吐て肩を窄めると、
「じゃあ、くれぐれも騒がしくしないでくださいね」
と言って、図書館の仕事に戻って行った。
ところが――。
昼になっても、おやつの時間になっても、お日さまの傾く夕方になっても、一向に挑戦状の差出人は現れない。最初は大盛り上がりだった森の動物たちもたがて痺れを切らし、一匹一匹とそこから消えていく。
空の赤くなった今では、プリ男の他はエンゼとシイ太を残すのみだった。
アホ―、アホー
遠くでカラスの声がした。まるで、朝からその場に立ち尽くす僕に向かって言われた様な気がして腹が立ったが、ここは抑えておく。
「こりゃあ、犯人に一杯食わされましたな」
大きなあくびとともにそう言ったのは、シイ太。
朝から何冊ものミステリー小説を読んで、目がしょぼしょぼだ。エンゼは、こんなときも美容のことを思ってか時折川の中をスイスイと泳ぐなど、こまめに動いていた。
「あのお、そろそろ図書館の閉館時間ですが……」
クマゲラのゲイルは、朝の様子とは打って変わって、憐みのような目付きでそう言った。
何だよ何だよ、この雰囲気。まるで、僕が誰かにもてあそばれて可哀相――みたいな雰囲気になってるじゃん!
なんて焦り出した、そのときだった。
いまだ頭痛の治まらない僕の頭の中に、ひとつの考えが閃めいた。いや、閃きというよりは確信、と言っても良かった。
僕の脳裏に、この状況を創り出した張本人の姿がまざまざと浮かびだす。
「判った……判ったよ。この怪文書の犯人が」
「ええ? どういうこと?」
既にほとんど興味を失いかけていたエンゼが水面からそう言って顔を出し、僕の答えを待っている。樹上で居眠りし始めたシイ太も、起き出して来た。
「どういうことなんだ?」
「ああ、それはね……。ちょっと見てて」
思いっきり頭を振った後、頭をがんがんと叩く。
「わあ! びっくりしたぁ!」
すると、僕の頭から尺取り虫の「シャッキー」が飛び出して来た。あまりの驚きだったのか、地面の上を棒になったり輪っかになったり、シャクシャクと走り回る。
「うわあ、かったいプリンから虫が出てきたぁ!」
目をぱちくりして驚いているシイ太に、楽し気に水面をパシャパシャと飛び跳ねるエンゼ。そんな彼らをよそ目に、僕がシャッキーに言った。
「君だね、僕にこの挑戦状を書いたのは」
それを聞いたシャッキーが慌ただしい動きを止め、葉っぱの手紙をじっと見入った。
「うん? ああ、そうだったそうだった。確かにそれは、僕が葉っぱを食べてくり抜いた手紙だよ」
「一体、どうして僕と戦う必要があったの?」
「え、ボクがキミと戦うの!? うーん、なんだっけ……」
尺取り虫は、しゃくしゃくと体を動かしながら、その小さな頭で考えた。
「ああ、そうだったそうだった。
一昨日、ボクは抹茶の美味しそうな香りのする君の頭をどうしても食べたくなったからキミに挑戦状を書いたんだよ。ほら、ボクって緑色したものが大好きじゃないですかぁ……。戦ってボクが勝ったら少し食べさせてもらえるかな、と思ってさ」
「君が緑色したものが好きかどうかは知らない……それで?」
「それで、その葉っぱの挑戦状を持って出かけたんだけどボクには結構重くてね、キミのいる公園のベンチに辿り着いたときには、夜になってしまった訳さ」
「ほほう……」
「ボクもすっかり疲れちゃって、とりあえずアホ面して寝ているキミの頭にそれを挿しておけば気付いてくれるだろうと思ってね、君の頭に上ったんだ。そしたらなんと、キミの頭の欠けた部分に落ちてしまったんだよね」
「ふうん……それから?」
「疲れてるし、お腹も空いてるし、目の前には抹茶プリンもふんだんにあるしってことで、少しだけならいいかなと思って……。結局、思ったより硬くて美味しくもなかったから残念だったんだけど、ついついお腹いっぱいもぐもぐしたら眠たくなっちゃってね」
「……で、そのまま僕の頭の中で寝てしまったと」
「そう。それで目が覚めたらまたも目の前は抹茶プリンでしょ? 美味しくもないけど背に腹は代えられぬ、ということでそれを食べて、くっちゃねくっちゃね過ごしていたという訳さ」
「……」
どうりでずっと頭痛が続いていた訳である。
探していた挑戦状の主は、ずっと僕の頭の中にいた。なんてこったい――。
しかし、それにしても何だか腹が立ってきた。散々、人の頭を食っといてマズイマズイと繰り返すこの虫の態度は、如何なものだろうか。
「さっきから聞いてれば、マズイマズイと何度も言いやがって……!」
小さな尺取虫に襲いかかろうとした僕を、シイ太が体を張って止めた。
「まあまあ、そんな怒らなくても……。かったくてまっずいプリンでも食べてくれる人がいたんだから感謝しないとね――って、すんごい穴が開いてるぅー! ひゃああ!!」
シイ太が僕の頭を覗き込みながら、奇声を上げた。
だが、それはやがて明るい笑い声に変わった。
川の中のエンゼも、面白そうに何回も飛び跳ねる。館長のゲイルさんまで笑い出す始末。シャッキーだけは済まなそうな顔をして、シャクシャクと動いて僕に頭を下げた。
「ま、まあ、頭が軽くなってスッキリしたよ。あははは……」
僕のそんな強がりの言葉は、森の木々の切れ間から見えた赤い夕陽の前で辺りに空しく響いただけだった。
――M (抹茶プリン)の悲劇 おしまい――