中身は綿でできている(作:marron)
私がその人形を作ったのは、ごく当然のことだった。
私は何かを作るのが好きで、いつも何を作るかを考えているし、それに、学校ではあんまり人とおしゃべりしないけれど、本当は誰かとたくさんお話ししたいなって思っていたから、だから、私はその人形を作った。
ランドセルに入れるにはちょっと大きいけれど、抱っこするのにちょうどいいサイズで、髪の毛は毛糸じゃなくて細い糸で作ったから、ちょっとリアル。
黒いガラスの目と、頬っぺたにはお母さんの化粧品からチークを借りてぽんぽんと色を付けた。お洋服も女の子っぽいフリルの付いたワンピースの他に、スポーティなTシャツと短パンを作った。
あんまりにも出来が良くて、すごく気に入っている。
朝起きると声をかける。学校へ行っている間は彼女のための勉強机にお絵かきの道具を出しておいて、座らせておく。
「ただいま。今日ね、図工の時間版画をやったんだよ。私は金魚の絵をかいてね…」
帰宅してすぐに人形に話しかけて、今日あったこととか、私の好きな絵や本の話をする。彼女は静かに、なんでも私の話をずっと聞いてくれる。
でもさ。
答えてくれたら、どんなに楽しいだろう――
学校のクラスの子は、友だちと呼ぶにはちょっと疑問がある。だって、私が頭が良いのを鼻にかけてるわけじゃないけど、話が合わないんだもん。テレビや漫画の話とか、男の子のことばっかり。男の子のことを話すのが悪いわけじゃないと思うよ?私だって人間の観察は大好きだし、面白い人がいることもわかるけど、単なる見てくれのこととか話したって、見りゃわかることだし、同じこと何度も言われてもあきちゃう。それに私だって話したいことがある。私は物を作るのが大好きだから、次は何を作りたいとか、それはどんなこだわりがあるとか、そういうことは向上心があるっていうか、人間だれしも興味を持つんじゃないかと思うんだけど、やっぱり周りの子たちはまだ幼稚っていうか、たぶんそれが普通の小学生なんだろうけど、とにかく私と話が合わない。
だから、この人形は私の言うことをずっと静かに聞いてくれるし、変なこと言わないからすごく好き。
「名前、あったほうがいいよね。何にしようかな」
呼びやすくって、クラスの人とかぶらない名前。ありきたりじゃなくて、突飛じゃなくて、そんな名前、何がいいだろう。
「ちづるとか、たゑとか、ふみ子とかかな」
何の気なしに口にすると、誰かが言った。
『あら、古風なお名前ね。かまわないけど』
なに。今の声。
空耳?
聞いたことのないちょっと高い、ふんわりとした声。どこからともなく聞こえた声。だって、部屋には私しかいないのに。
『カオル、なに、きょろきょろしてるの?』
「だ、だれ!?」
なんか怖くて、声がひきつった。
『だれって、今、名前をつけるのはカオルでしょ?さあ、あたしは誰になるのかしら?』
名前を付けるのは私。
まさかと思って人形を見ると、人形は私のことをじっと見つめていた。
「ホラーだ……」
『あははっ、面白いこと言うわね。ホラーじゃなくてファンタジーと言ってほしいわ。読者もみんなそう思っている』
人形が、しゃべっていた。
どうやら、ファンタジー……らしかった。
頭の中が混乱している。だけど、大丈夫。私は天才だもの。すでに今まで、いろんな機械を作っているし、今更私の手で作ったものがしゃべったってどうってことない、はず。そりゃ、ロボットを作ったわけじゃないから、ICとかAIとかじゃなくて、中身は綿なんだけど、綿だって、私の手にかかれば……
「って、どうなってんの!」
ここまで冷静なフリしてたけど、限界が来た。
私は人形を持ち上げ、縦揺れ横揺れで振り回した。
『ちょっあぎゃぎゃっ、やめてっ、吐いちゃうからっ』
何をだっ。綿か!? 人形を揺らすと綿を吐くのか!? んなわけ、あるかーい!
『わかりました、わかったからっ、やめてちょうだい! わかった、たゑで、たゑでお願いします!』
意味が分からない。
わからないけど、
「たゑね!?」
『ええ、たゑと呼んでちょうだい』
私が振り回すのをやめると、人形は声を振り絞って自分の名前を決めた。
そうか。人形の名前はたゑに決定したのか。
「こうなりゃ、ヤケだ。たゑ、よろしく」
『ヤケだなんて、失礼な。あたしはあなたの友だちじゃない』
うん。
そう。
「ああ、うれしいな」
『ちょっと棒読みだけど、喜んでいるならいいわ。よろしくね』
ということで、私の作った人形は、私にとって初めての友だちとなったのだった。
◇
さて。
私には友だちができた。たゑという、人形だ。
『カオル、学校に行く前に着替えさせて。それから、今日は東側が見えるように置いてちょうだい』
「えーっ、着替えって、昨日の夜替えたじゃん。今日はそれでいいでしょ?」
『何を言ってるの。あなただって、昨日の夜と今朝とでは違う服のくせに』
「そりゃ、パジャマで学校にいくわけにいかないもん」
『だったらあたしにもパジャマを作ってちょうだい』
「う、わかったよ。学校から帰ったらね」
というような感じで、人形は結構なおしゃべりだった。
まあ、このくらいなら仕方がないかなって思う。物を作るのは好きだから、パジャマくらい作ってあげるし。
学校から帰ってパジャマを作ることにした。
「布地はこれでいいでしょ? 私のパジャマと同じ形にするね。これって襟首がちょっと広いんだ。寝ているときにゆったりしている方がいいからね。人間が眠っている間ってリラックスしているようで、結構いろんなことを感じたりしているんだよ? だから少しでも窮屈だったりすると眠りが浅くなって、一番最初に目が覚めるのは聴覚らしいんだけど、そうやって少しずつ覚醒すると……」
『カオル? えり首のうんちくなんてそんなに長々聞いてもつまらないわ。ほかの話にして』
「は?」
つまらないって言われたよ。楽しいでしょうが! 仕方ないなあ。
「そんなに話題がぽんぽん出るわけないでしょ。布地の話にする? この生地はふつうの木綿とちょっと違って、薄いガーゼが2枚になってるんだよ。ほら、ね? こういうのって空気の層ができるから普通の木綿よりもあったかいんだって。ガーゼだから通気性も良いし、汗も吸いやすいし、パジャマに向いているよね。ガーゼっていう言葉が日本で使われるようになったのは明治時代なんだよ。つまり19世紀後半から20世紀の頭くらいのころでね、ドイツ語から入ってきた医学用語だったんだよ。その頃は絹製品のことを指して言ってたらしいんだけど、つまりアラビア語とペルシア語の絹織物の語源がガーゼと似ているんだよね。それで、」
『ガーゼの話はもういいわ。じゃあ、今度は私の話ね? 今日は東側を見てたんだけど、ヅラとわかるおじいさんが通ったのよ。ここからだとどうしても上からのぞき込むことになっちゃうから、ヅラってわかりやすいのよね』
「ヅラなんてどうでも良いし。知らないおじさんでしょ?」
『どうでもよくないわ。カオルの話よりずっとこっちのほうが面白いじゃない』
「そんなことない。たゑの話は建設的じゃなくてつまらない」
『カオルの話だって、ひとつのコンテンツが長すぎて、途中から同じこと何度も言ったりしてつまらないわ』
私たちはパジャマづくりそっちのけで、口喧嘩をした。
ていうか、毎日そんな。
こんなことなら、一人の方がずっと良い。
◇
たゑは私の話が長いと文句を言う。
私はたゑの話題が乏しいことが気になる。だって、私にとってどうでも良いような通行人の話をされたって、コメントできないよ。
そんなことで、私たちは毎日のように喧嘩した。
『あたしの話題が乏しいのは仕方がないでしょ! ずっとここに座っているだけなんだから、見たものしか話題にできないわ』
そりゃま、そうだけど。
「だったらそんな話、しなけりゃいいじゃない。私の話題を聞いてよ。話すこといっぱいあるから」
『いやよ、カオルの話は小難しいし長いんだもの』
「話題が豊富だから話が長いのよ。言っとくけど、これだってたゑにわかるように優しくかみ砕いて話してるんだからね? だいたい私の作った人形なんだから、教養があるはずでしょ」
『あたしはただの人形よ? 教養なんてなくたって、可愛く座っていればいいの』
「ふうん、つまり、バカなの?」
『むきっ、カオルは頭がいいんだから、あたしにわかる話をして喜ばせてよね』
このわがまま人形め。
こんな調子で、一週間が過ぎて、私はつい言ってしまった。
「あーあ、こんな人形作るんじゃなかった。うるさいだけで、こんなの友だちでもなんでもないもん!」
本心じゃなかった。
ただ、口喧嘩の延長で、つい口を滑らせただけ……ううん、違う。本心ではあった。だって、ただの人形だったら口ごたえしないでなんでも聞いてくれるのに、たゑは私の話が面白くないって反論するんだもん。だからひどいことを言ってしまった。
だけどその時は、私もぷんすか怒っていたし、そんなにひどいことを言ったって気づかなかった。
ひどいことを言ったって気づいたのは、次の日の学校から帰った時だった。
窓辺に置いておいたはずのたゑがいなくなっていたのだ。
「お母さん、人形しらない?」
私の部屋に掃除に入ったときにお母さんが持って行ったのかもしれない。と思って聞いてみたけれど知らないみたいだった。
「お人形? ああ、あのかわいい子ね。そういえば、さっきお部屋に行ったとき窓が開いてたわよ? 開けっ放しで出かけると危ないから、お母さんに一声かけてちょうだい」
「え、うん」
窓が?
窓から落ちたのかしら。
庭に回って下を探したけれど、たゑはいなかった。だいたいたゑはおしゃべりはするけれど、人形なんだから動いたりしないはず。少なくとも私が見る限り、動いているのを見たことがない。
だけど、もしかすると動けるのかしら。
だって、しゃべるし。ホラー……じゃなくて、ファンタジーだからそんなことがあっても不思議じゃない。
でも。
私はもう一度庭をよく探して、それから家の中もくまなく探し回った。もちろん私の部屋は大掃除する勢いでひっくり返して、たゑを探し回った。
だけど、たゑはいなくなっていた。
その時初めて、昨日言いすぎたって気づいた。「こんな人形作るんじゃなかった」なんて、相手のことを全否定するようなこと言っちゃったんだ。たとえ友だちじゃなくても、クラスの子に「あなたなんていない方がいい」と言われたら怒るより悲しいと思う。
たゑは、ただしゃべる人形じゃない。友だちだ。わがまま言われたって、たゑがいてくれて私は嬉しかったのに。
傷つけてしまった。
それで、出て行っちゃったのかな。それとも、ファンタジーだから傷ついて悲しくて消えたのかもしれない。
なんてこと言っちゃったんだろう。
初めての友だちだったのに。たった一人だけの友だちなのに。
私の言葉が、誰かを傷つけるなんて知らなかった。そうだ、口から出た言葉は相手に届く。嫌なことを言えば傷つくなんて、知ってたじゃない。知ってたけど、本で読んだだけの知識で、それを経験したことがなかったから、わからなかった。
ああ、私はバカだ。
天才なんて言われて良い気になっていたけど、こんなこともわからない大バカだったんだ。
◇
たゑは帰ってこなかった。
どこかに行ったのか、消えてなくなったのかはわからない。
だけどそれが、私のせいだということだけはわかった。
「ごめんね、たゑ」
誰もいなくなった窓辺に声をかけて、毎日小学校へ通う。
日々は続く。
学校では相変わらず、友だちはいない。だって、話が合わないから。
ううん。私がちゃんと話すことができないから――
「中里さん?」
クラスに貼ってあった、自由研究をはがしていると(日直だから、先生に言われたの。さすが小学生)急に声をかけられた。
「小林さん、なに?」
「手伝うよ?」
小林さんはそういうと、向こう側から画びょうを外しはじめた。
「ありがと」
なんだか、それしか言えなくて、黙々と作業にとりかかった。こんなのすぐ終わる作業だもん。手伝ってくれなくてもいいけど……うれしかった。
「あの、中里さん」
沈黙に耐えられなかったのか、小林さんが話しかけてきた。
「うん?」
「中里さんの自由研究、すごくおもしろいね」
「あ、ありがと」
読んでくれたんだ。そういえば、小林さんの研究はなんだったっけ。記憶をたどると確か、あ、そうそう、彼女も虫のことだったんだ。きっと昆虫が好きなんだ。
「まだ最後まで読んでないんだ。難しくて、咬合の応用のところからが、」
そうだよね。普通小学生にはちょっと難しい研究だったよね。
「頑張って読んでくれたんだ。虫の咬合のところはわかった?」
「あ、あの、よくわからなかったんだけど、でもね、あの、虫の口が横に開くなんて今まで全然気にしたことなかったから、すごくびっくりしてね、中里さんの自由研究読んでから、虫の口を見るようにしたんだけど、本当にそうなってて、それで、あの、自由研究のイラストがすごくわかりやすく書いてあったから……」
小林さんはなんだかたどたどしく、だけど一生懸命、語ってくれた。
すごく嬉しかった。うんうん、それで? どう思った? ってもっと聞きたくなった。そんなこと今までなかったのに。誰かが話し続けるのを聞くのは退屈だったのに、小林さんが言うことはなんだか聞きたくなる。
なんでだろうって思ったんだけど、よく考えたら、小林さんが言ってることって、私のことなんだよね。だから聞きたいんだ。小林さんが私のことをどう思ってるのか、私の自由研究をどんなふうに感じたのか、すごく知りたいことだったから、もっと聞きたかったんだ。
「小林さんの自由研究も虫のことだったよね。1年間ずっと観察したんでしょ? すごいね」
「あ、うん。あの、わたし、ゆっくり観察するほうがやりやすいから、去年からずっと飼ってて、あ、来年のも、一年間観察するつもりで……」
小林さんとの話はとっても面白かった。全部の自由研究をはがし終わってからも、私たちはおしゃべりをしていて、先生に「早く帰れ~」って追い出されたから、学校からの帰り道もずっとおしゃべりしながら帰った。
「じゃあ、また明日ね~」
「またね~」
小林さんのおうちの前で別れてから、なんだか足取り軽く家に向かった。明日学校に行くのが楽しみ。そんなの初めてだった。
家に帰って、お母さんにただいまを言って、ランドセルを置きに部屋へあがった。
「ただいまー」と言ってから気付いた。
たゑがいない。
今のうきうきとした楽しい気持ちが、急にしぼんで代わりに重苦しいものが胃の中にドスンって落ちてきたみたいな気がした。
ああ、私。たゑだけが友だちだったのに。たゑにあんな思いをさせたのに。
たゑがいないことが、すごく寂しかった。
◇
それから、学校では小林さんと話すようになった。
小林さんは女の子たちのグループに属していない、どこのグループでも受け入れられている珍しい子だった。彼女はどこかのグループの子と話すとき、私のことも連れて行ってくれた。強引に連れて行くんじゃなくて、まず私と二人でしゃべって、途中でほかの子に話しかけるみたいな感じで、自然に話が続いていた。
小林さんは人のことをすごくよく覚えていて、
「あ、そういえば3年生の時、それみっちゃん使ってたよね?」
とか
「ありさちゃん、本当にそれ好きだねえ」
とか
「シーちゃんのとこのワンちゃん、マサオって名前なんだよ。ねっ、元気?」
とか、そんな感じで、タイミングよく相手のことを話すから誰からも好かれているようだった。
私も小林さんとは話しやすい。私のことを小さなことでも覚えていてくれるし、私の話もたくさん聞いてくれる。なんでも覚えているって才能だよね。
きっとすごく頭がいいんだ。
そう思って、小林さんがいないときに、ほかの子にチラっと言ってみた。
そうしたら、その子たちは、きょとんとした顔をした。まるで、小林さんに賢い成分なんて一ミリも存在しないみたいな反応だった。
なんでかなって思ってたら、ある子がこう教えてくれた。
「だって、小林さんって通級行ってるじゃん」
通級っていうのは、通常授業では勉強がついていけないような子が通うクラスのこと。そう言われてみると、小林さんは週に一日いない日がある。それに、確かに彼女はゆっくりと話すし、成績もあまりよくないようだった。見ている感じだと、文字を書いたり読んだりするのが苦手なようだった。典型的な学習障害だ。
だけど、それは活字に対してであって、彼女の脳は恐ろしいほどに記憶力がいい。だから、夏休みの自由研究が張り出されてからはがされるまでの間、興味をもって読んでいた私の研究を読み終えることはできなかったものの、読めたところの内容はきちんと覚えている。
成績の良し悪しじゃない。
彼女はすごい人だ。
一番すごいのは、誰とでも気持ちよく話せるってことだ。
これって、私とたゑの関係とは全然違う。
私とたゑはお互い、自分のことばっかり話したがった。自分の知ってること、伝えたいこと、聞いてほしいことを長々と話し続けて、相手が興味なくても気にしない。だから聞くのは嫌になっちゃう。
私は世の中で天才と呼ばれるような子どもなのに、小林さんのあの能力には及びもつかない。
たゑが言ってた。『カオルは頭がいいんだから、あたしにわかる話をして喜ばせてよね』あれは、たゑが私のために言ってくれたことだった。
そうすればよかった。
たゑにも、たゑがわかる話をすればよかった。たゑの興味のあることを聞いてあげたりすればよかった。
友だちって、そういう関係だったんだ。
◇
私は頭のいい子になる努力をすることにした。
つまり、成績の良し悪しじゃなくて、小林さんを見習って、誰かと楽しく話を続けられるように話すこと。
最初のうちはわざとらしいっていうか、こうすれば良いんじゃないかとか、頭で考えていてぎこちなかったけれど、そのうちに、誰かの話を聞くときに、相手が楽しそうにしていることが嬉しくなってきて、私も楽しく会話をすることができるようになってきた。
もちろん、年齢的には私は子どもだから、自分の話も聞いてもらいたいし、相手のわがままに付き合いきれないこともあるけれど、たまには言い合いをしてもいいんだってことにも気づけた。
ああ、もっと早くに小林さんと話していたら、たゑともこんなふうに話せたかもしれないのに。でも、たゑがいたから、そしていなくなったから、小林さんのいいところに気付けたんだ、きっと。
◇
学校には普通の友だちができて、それなりの日々を送っていたある日のことだった。
ピンポーンって鳴ったからインターフォンに出ると
「黒猫貴品店と申しますが、カオルさまは御在宅でしょうか」
って丁寧な感じで言われて、つい
「あ、はい」
って、素直に答えてしまった。答えたからには出なきゃなるまい。ということで、玄関を開けると、そこには黒い服を着たかわいらしいお姉さんが立っていた。
「カオルさまですね?」
私が顔をのぞかせると、そのお姉さんはにぱっと笑った。
「はあ」
なんなんだろう。大人のお姉さんが、たかだか小学生の私に用事があるなんて?
「実は折り入ってお願いがあってまいりました。カオルさんのお人形をレンタルに出してほしいのです」
どうしてこの人、私の人形のこと知ってるの?
『あたしがれんらくしたの。今はカオルよりも、あたしのことを必要としている人がいるから。必要がなくなったら必ずカオルのところに帰ってくるから。いいでしょ?』
私の足元に、私を見上げてたゑが立っていた。
「たゑ」
思わず抱き上げようとしゃがみこんだけれど、出しかけたその手を引っ込めた。
『カオルには友だちがいるから大丈夫。戻ってきたらまた、けんかしようね』
「たゑ。うん、たゑ、ごめんね」
『うん。あたしも、ごめんね。カオル、あたしが出かけている間、ちゃんと待っててね』
「うん」
私はやっとたゑを抱き上げることができた。胸に抱いてぎゅっとすると、たゑの小さな手が私をぽんぽんと叩いた。たゑ……動けたんだ。
やっぱり、ホラーだ。
私はたゑを黒い服のお姉さんに手渡した。
「ありがとうございます。では、これをお持ちください。借用書です。必ず元の状態でお返しいたしますからご安心ください」
お姉さんは私に、黒いカードのようなものを渡した。
中には日本語と英語とあと見たことのない言語で
【借用書:友だち人形たゑ一体】と書いてあって、一番下にすごく小さな字で『カオルの友だちたゑ』と書いてあった。ああ、これはたゑのサイン。
私の友だちたゑ。
あなたが帰ってきたら言いたいことがたくさんある。あなたのことで、聞きたいこともたくさんある。
「待ってるから、早く帰ってきてね」
『うん、行ってきます』
「では、確かに」
たゑはお姉さんに連れられて、黒猫貴品店へ行った。
これからどんな人の友だちになるんだろう。ちょっと妬けるけど、たゑの一番の友だちはきっと私。それに私にはほかに友だちができた。
たくさんの経験をして私たちはさらに良い友だちになるだろう。
その日を楽しみにしている。