06
6
しゃぼん玉セットとキャラメルの代金を渡し、十円玉三枚のお釣りを受け取る。
ずぼらをして、それを無造作にブレザーのポケットに落とす。
「ありがとうね」とおばあさんの声に送られて店を出ると、葵さんは退屈そうに濡れた地面を靴の先で叩いていた。
「お待たせ」
僕が声を掛けると、葵さんは顔を上げた。
その表情は少し不満げで、頬っぺたも少し膨らんでいた。
「ごめん、ごめん」
謝って、頭を下げる。
「でも、ほら、お土産があるから。これで勘弁してよ」
しゃぼん玉セットとキャラメルを、僕は葵さんに見せた。
その駄菓子屋土産に、葵さんの表情がぱっと輝く。
けれど、ここで素直に喜びを表わすのは、甘いとでも思ったのか。葵さんは、すっとその輝きを引っ込めた。
「葵さん。僕の傘をちょっと持っててくれる?」
僕は、自分の傘を葵さんに渡した。
しゃぼん玉セットの方だけ、ブレザーのポケットに入れる。
箱のビニール包装を外し、箱の中から一つキャラメルを取り出す。
腰を落とし、目線の高さを葵さんに合わせると、僕はキャラメルを包む銀紙を開いた。
「はい、あーん」
と、キャラメルを指でつまみ、葵さんの口の前に持っていく。
そんな僕の行動に、葵さんは顔を一気に赤く染めてしまうという反応で、その可愛らしさを弾けさせた。
うわぁ……見事に真っ赤っかだなあ。
葵さんはひどく恥ずかしそうだった。
まっ……当り前か。
彼女が何を恥ずかしがっているのか。さっきと違って、さすがに今度は僕にも分かる。
「はい、あーーん」
もう一度、僕が言うと、葵さんは顔を真っ赤にしたまま、キャラメルにぱくりと食いついた。そして、僕から目を逸らす。さっと視線を落とし、顔も少し下に向けた。
隠そうとしても、恥ずかしさが上手く隠せず困っているのが丸分かり。
そんな葵さんの様子に、僕はくすりと笑ってしまう。
込み上げてきたのは、笑いだけじゃなく……。
「どう? 美味しい?」
少し声音を変えた優しい声を出して、そんなことを悪戯っぽく訊いてみる。
僕の問いかけに、キャラメルを転がす葵さんの口許の動きが止まる。
けれど、それはほんの一瞬のことで、その後は逆にその動きは忙しくなった。
「──げる」
ぽつり、葵さんは俯いたまま、小さな声で何かを言った。
だけど、申し訳ないけれど、よく聞こえなかった。
「えっ……何?」
僕が問い返すと、葵さんは上目遣いでこちらを見て、
「だから! 勘弁してあげる、って言ってるの!」
ちょっと自棄くそ気味な感じで、怒鳴るように言った。
美味しいでも、お礼でもなく。勘弁してあげる……か。
でも、それでも、葵さんとしては「美味しい」とか「ありがとう」と言っているつもりなんだろうな。
だから。
「勘弁してくれるんだ。ありがとう」
と僕も笑顔で応えた。
僕の「ありがとう」に、葵さんの口の動きがまた止まった。
今度はそのまま動かない。彼女の口許は、しばらく動きを止めたままでいた。
口許じゃなく、葵さんの喉が大きく動く。
それから一呼吸おいて、葵さんは視線を上げて口を開いた。
「ねえ、もう一個ちょうだい」
葵さんの口から飛び出てきたものは、おねだりの言葉だった。
その言葉に、僕は吹き出してしまう。
大人ぶってはいるけれど、やっぱりまだまだ子供で。少しわがままな子だなあ、と思っていたんだけれど。
僕が思っていたよりも、葵さんはしっかりしたところのある女の子だったようだ。
〝もう一個ちょうだい〟
それもきっと、「ありがとう」の代わりの言葉なんだろう。
とっても恥ずかしがり屋さんで、その言葉が素直に口にできない彼女なりの……美味しいよと、ありがとう。
二個目を欲しいとねだることで、葵さんは自分の気持ちを僕に伝えてくれている。
と、そう思うのは、僕の深読みのし過ぎだろうか。
「うん、いいよ」
箱からキャラメルを取り出し、僕はまた「はい、あーん」とやった。
けれど、真っ赤な顔で睨まれて、二度目は拒否された。
「それはもういいの!」
葵さんは僕の傘を持ったまま、僕の手から器用にキャラメルを奪い、自分の手で口の中に入れてしまった。
と同時に、ぷいっと横を向く。
その横顔はやっぱり真っ赤だった。
そんなに照れなくてもいいのに。
ホントに恥ずかしがり屋さんだなぁ……。
心に温かなものが生まれ、自然と顔も綻んできてしまう。
僕は声を出さずに小さく笑った。
顔を逸らしてはいても、ちらりちらりと、葵さんは横目でこちらを見ていた。
その瞳の小動物的動きが可愛らしくて、また口と喉だけで笑ってしまう。
このまま葵さんの様子を観察していたら、そのうち声を上げて笑ってしまいそうだ。
そうなったら、また葵さんの機嫌を損ねてしまうだろうし。
そうなる前に、行動することにする。
キャラメルも、しゃぼん玉セットと同じく、ブレザーのポケットに仕舞う。
「傘、ありがとう」
葵さんの手から自分の傘を取ると、僕は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
もしかしたら拒絶されるかな、とも思ったんだけれど。
僕が手を出すと、葵さんはすんなりと僕の手を握ってきた。
「…………」
……やっぱり、冷たいな。
顔はまだ赤くて、耳も真っ赤なのにな……。
それは、ちゃんと熱を持った血が通っている証拠であるはずなのに。
少しの熱も感じられず……。繋いだ葵さんの手は、さっきまでと変わらず、今度もまたとても冷たかった。