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その後も、他愛のない話をしながら、僕たちは雨の降る町を歩き続けていた。
何でもないような質問でも、その答えから、葵さんの探す「明日」へと繋がる何かが出てくるかもしれない。
そう思って、いろいろ訊いてはみるけれど……その成果は何一つなく。未だ、手掛かりの欠片も掴めていなかった。
少し前からは、葵さんの方からも、僕に質問してくるようになっていた。
「お兄ちゃんばっかり、ずるい!」
と、彼女から不満の声が上がったのだ。
だけど、大きな声を上げて抗議をした割には、彼女が訊いてくることも、僕のと同様に他愛のないことばかりだった。
中には、「ねえ、正樹お兄ちゃんは、髪の長い女の子と短い女の子、どっちが好き?」なんていう、ちょっと毛色の違ったものもあったけれど。
因みに、その質問に僕は「長い髪の娘の方がタイプかな」と答え、また葵さんを膨れっ面にしてしまった。
どうやら、彼女は「短い髪」と答えて欲しかったらしい。
肩より少し上の長さ、ショートの自分を目の前にして、僕が「髪の長い娘」と答えたものだから、また子供扱いされたと感じたのだろう。
またもや、僕はレディーの扱いを間違えてしまった。
葵さんは頬を膨らませ、思いっきり拗ねた表情をしていた。
その後すぐ、「でも、ほら……髪形だけで女の子の魅力が決まるわけじゃないし……」とか何とか言って、どうにか彼女の機嫌を取り戻したけれど。
その時にすれ違ったおばさんには、ひどく気味悪そうな目を向けられてしまった。
僕とすれ違った後、遠ざかっていく足音は駈け足になっていたし。かなり危ない奴だと、僕は思われてしまったんだろう。
そりゃ、まあ……おばさんには葵さんの姿は見えないわけだし、仕方ないとは思うけれど。
でも、走って逃げなくてもいいのにな……。
不思議さんとの付き合いは小さな頃からだから、もう慣れっこといえば慣れっこなんだけど。
それでも、やっぱり……ああいうリアクションをされてしまうと、少しは傷つくかな。
……お喋りは楽しいんだけどな。
ただ、他人様の目には、それは僕の一人芝居状態にしか映らないわけで。
そんな滑稽なことをしている僕は、危ない奴や怪しい奴になってしまう。
会話が成立する不思議さんの相手をする際には、それが少しばかり悩みの種だった。
「あ……」と小さく声を発し、葵さんが足を止めた。
一歩半遅れで、僕も足を止める。
僕や葵さんよりも、僕たちの親の世代に馴染みがあって、懐かしがられそうな店構え。
並んでいるのは、小学生のお小遣いでも買えるお菓子や玩具ばかり。そんな子供たちが好きなものに囲まれ、和服姿のおばあさんが一人、店番をしている。
そこもまた、この町の古い町並みに自然と溶け込んだ、昔の情緒を残す小さな駄菓子屋だった。
この店の、何が気に掛かったのだろう。
もしかして、「明日」の手掛かりを見つけたんだろうか。
僕は、葵さんの視線を辿った。
彼女が見つめていたものは、しゃぼん玉だった。
しゃぼん液の入った小さな容器とパイプが一緒になった、定番のしゃぼん玉セット。
それは、幼い頃に、僕も何度かお世話になったことのあるものだった。
「しゃぼん玉、好きなの?」
僕が訊くと、何かの呪縛が解けたかのように、葵さんがハッとこちらを見た。
そして、どこか照れたような、はにかんだような表情をして、「うん」と答えた。
彼女が何をそんなに恥ずかしがっているのかは、分からないけれど。葵さんがしゃぼん玉を好きなことは、ちゃんと伝わってきた。
……これは違うかな。
目の前で顔を少し赤くした、葵さんの様子を見ている限り、しゃぼん玉は「明日」とは何の関係もなさそうだ。
彼女が答えたように、ただ好きというだけ。オムライスと同じで、お気に入りの一つというだけのことなんだろう。
「そうなんだ、しゃぼん玉が好きなんだ」
僕が言うと、葵さんはさらに顔を紅潮させた。
そこは、顔を赤らめたりするところじゃない、と思うんだけどなぁ……。
……なんだろうな? 葵さんはったい、何を恥ずかしがっているんだろう?
とても気になるし、ここは質問のしどころなんだろうけれど。
ひどく恥ずかしそうな、葵さんの赤い顔を見ていたら、なんだか可哀想に思えてきて訊けなかった。
これは一度、深呼吸でもさせてあげないといけないかな。
そう思い、繋いだ手を解き、
「ちょっと待っててね」
と葵さんに一言断わってから、僕は駄菓子屋の軒先へ進んだ。
甘酸っぱいような。果物っぽいような。香ばしいような。
傘を畳み、店の中に入ると、ほんの残滓ほど、仄かにお菓子の匂いがした。
「すみません。これ、ください」
しゃぼん玉セットを手に取り、僕は店番のおばあさんに声を掛けた。
「はいはい、いらっしゃい」
高校の制服姿で、学校をサボっているのが丸分かり。そんな不良学生の僕にも、おばあさんは笑顔で応対してくれた。
おそらく老眼鏡なんだろう。小さな丸いレンズの奥の瞳は、とても優しげだった。
「おや、しゃぼん玉かい? こんな雨の日に珍しいね」
僕が手に持ったしゃぼん玉セットを見て、おばあさんが少し意外そうに瞼を瞬かせる。
言われてみれば……。
おばあさんの言う通り。しゃぼん玉って……雨の日のイメージじゃないかも。
普通、しゃぼん玉といえば、晴れてる日にするものだよなぁ。
我ながら、間抜けなことで。
「確かに、そうですね」
僕は苦笑した。
「でも。雨の日のしゃぼん玉というのも、結構乙なものかもしれないね」
本当にそう思ったのか。それとも、僕がよほど情けない顔でもしていて、気を遣ってくれたのか。
おばあさんは、どこか感心した風にそう言ってくれた。
そして、しゃぼん玉セットの代金を告げる。
へぇー……。しゃぼん玉って、そんなに安かったのか。
1コイン。百円玉で支払って、お釣りが返ってくる値段。
初めて知ったしゃぼん玉セットの値段は、思ってもみないほどに安いものだった。
おばあさんにお金を渡そうとして、僕は動きを止める。
視界の端に、四角い箱が映った。
それは、僕が生まれるずっと前からある、定番のキャラメルだった。
その隣には、またそれとは違う、別のキャラメルが置かれている。
どちらのキャラメルも馴染みのあるもので、その味もすぐに思い起こすことができるものだった。
僕の好みは、シンプルな定番のキャラメルの方だったけれど。
「これも、一緒にお願いします」
と、僕は迷わず、もう一方の洒落たパッケージの箱を手に取った。
なぜなら、そちらのキャラメルの方が、柔らかくて甘いものだったから。