お泊り教室/供養塔
お泊り教室
冷たい雨の降る夜のことでした。
その日は、学校のお泊り教室というのがあり、教員である私は、子どもたちと一緒に、教室に寝袋を持ってきて、一泊することになりました。
子供たちは夕食のあと、しばらくははしゃいで起きていましたが、十時にもなると、もう皆、寝息を立て始めるのでした。
「一応人数数えておこっか」
十二時近くになって、学年主任が教室にやってくると、そんなことを言うのでした。私は、わざわざこんな夜遅くにと、疑問を感じながら、答えました。
「さっき数えましたよ」
すると、学年主任は、
「いや、一応、もう一回数えるようにして」
そう言うのでした。
私は言われた通り、人数を数えました。
「二十五人、全員います」
「そう」
学年主任は、涼しげにそう答えるだけだったので、私は、どうして夜中に人数の確認なんてするのか、聞いてみました。すると学年主任は、「いや、実はね――」と、話しにくそうに切り出しました。
「十数年前になるんだけど、お泊り教室で行方不明になった児童がいたんだ。寝る前に人数確認したんだけど、朝になると、いなくなってて……」
「夜の間に、どこかに行っちゃったんですか?」
「わからないんだよね。まだその子、見つかってないから」
私は、背筋が冷たくなるのを感じました。
「だからそれ以来、寝る前と寝た後、必ず人数確認するようにしてるんだ」
「そう、なんですか……」
でも今年は、今ちゃんと全員いるし、大丈夫だろうと思った時でした。学年主任が、思い出したように言ったのです。
「あれ、でもこのクラス、全部で二十五人だよね」
「はい」
「今日、一人欠席いなかったっけ」
私はその一言に凍り付き、教室を見渡しました。
薄暗い教室の中、二十四人分の寝息の間に、この世のものではない、冷たい息遣いが聞こえたような気がしました。
供養塔
その小学校の敷地内には、水子地蔵だとか、水神を祭る祠だとか、河童が力比べをしたという力石だとか、そういう、川にまつわる旧跡が点在している。昔、この小学校には、川が流れていた。
五十年前、その川が頻繁に氾濫を起こすので、上流にダムが作られ、川筋を変える工事が行われた。その埋め立てられた土地の上に、小学校が建てられた。
校庭の隅に、丸い石が置いてある。もともとは石碑だったが、長年の風雨によって、文字はすでに読めなくなっている。
昔、この土地では、川の氾濫を鎮めるために、人身御供の習慣があった。荒ぶる川の神への生贄として、ちょうど小学生くらいの歳の女の子を柱に縛ったうえで、土で作った壺に入れ、川に沈めた。それが、昔から十五年から二十年おきくらいに行われた。
校庭の隅っこにある石碑は、生贄になった女の子たちの供養塔である。ほとんど見えなくなっている文字の中で、『下川瞳』の文字だけが、最近彫られたように、はっきり見ることができる。
――十五年前、この学校で行方不明になった児童がいた。その児童の名前が下川瞳だった。
校庭の隅にある供養塔を、今となっては、気にかける人もいない。そこに、行方不明の児童の名前が彫られていることも、誰も知らない。