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信心2



 これから毎日外に出るとして、ではやはり目的地が必要になる。


 遠く無く、近すぎず、行って帰って『私は外に出て来た』という実感が抱けるぐらいの距離が好ましい。しかしそうなると、やはり公共交通機関の利用が不可欠となる。


 あの狭苦しい空間に身体を密着させて乗るような真似が、今の自分に出来る筈もないので、これは却下だ。


 とはいえ、歩いて行ける距離などタカが知れるし、それでは本格的な外出にはならない。密着するような混み合った状態で乗る事を避けたとしても、狭い空間に複数の人間がいると思うと、心細くなってしまう。まして公共交通機関では突如の吐き気に対処出来ない。


 そんな様々な不安を抱えて暮らしていく訳にはいかないので、私はスーパーでの嘔吐を教訓に、数種類の食べ物と、嘔吐に至るのではないかと思われる状況を再現し、何度か試行を繰り返した。


 結果食べ物としては『出来あいの弁当』『大入りの安いチョコレート』『ポテトチップス』は高確率で駄目だった。


 また状況としては『知らない他人に密着』『薄着で外出』『人の多い飲食店の滞在』などがあげられる。


 他人に密着は言わずもがなだが、肌露出もしくは身体のラインがみえる薄着はNG、飲食店や喫茶店で長い間居ると、まるで誰かが私をジッと監視しているかのように思えて気持ち悪くなる。


 この実験中相当に身体に負担をかけた気もするが、以前のように突如として不幸に見舞われる可能性が減ると考えれば、仕方の無い労力だ。


 これらを踏まえた上で、少し遠出出来れば、今のところは恩の字だ。


(とはいえ、易々とはいかないしねえ)


 手元のメモを見てから、日傘を少し外してビルを見上げる。

 私の家から歩いて十分、駅前繁華街近くにあるホテルだ。正直繁華街に近づくのは憚られたのだが、喫茶店実験の折に一度訪れているので、これが二回目になる。いや、正確に言えば、幼い頃から来てはいるので、引きこもって以降二回目、だろう。


 あと数度通えば流石の私も慣れるに決まっている。そうあって欲しい。

 日傘をたたんで正面から入る。ビジネスホテルではあるのだが、その雰囲気はただ来て寝るだけ、という程簡素ではない。


 フロントも立派であるし、掃除が細かく行き届いているのか待合の机と椅子など証明に反射して光って見える。そのまま入って大丈夫という事だったので、私はフロントに一瞥してからエレベーターに向かう。途中から誰も乗り合わせない事を祈りながら五階に上がった。


 五階の一番奥、510号室の前に立ち、私はドアをノックする。

 暫く待っていると、鍵がガチャリと開く音がしたので、私はそのまま中に入る。


 細い通路を行くと、大きなベッドが観えた。その上では黒い下着を身に付けたハナエが、大の字になって寝ている。来客に応対する態度としてどうなのか。彼女は羞恥心が足りないのかもしれない。


 まあそれはそれとして、良い下着だ。

 デザインも凝り過ぎず、かつ扇情的である。私と違って彼女の胸は平均より少し大きく、そんなものが付いていたら誇らしいだろうなあと羨ましくなる。


「ハナエ」

「もう少し……」


 鍵を開けるだけで気力を使い果たしたのか、動く気配がない。

 据え付けの机に目をやると、ノートパソコンが三台も並び、外付けモニタが二つ、外付けHDDが三つ、高そうなヘッドホンやイヤホンがあちこちに散らばっている。まるで自宅のような様相だが、彼女の旧自宅はもっと凄まじいのだろう。


 基本的に彼女は、MMORPGを三つ、ソーシャルゲームを六つかけ持ちし、その全てで毎日ルーチンワークをこなしている道楽人だ。しかもその全てで上位ランカーとして君臨しており、ユーザー名も統一されている事から『升糞女』『妖怪粘着』『真性ヒキニート皇帝』などという痛烈かつ反論しようもない渾名を幾つも持っている。


 運が良い。兎に角運が良い。この調子なら課金額も凄まじいだろうけど、どうあってもお金や時間で解決出来そうにないアイテムなども平然と取得するような奴だ。


 最近は転居の予定がある為、かなり規模を縮小している様子だ。掲示板なども覗いてみたが、hanana不在を喜ぶ輩は沢山いた。平和で良い事である。


「今何時」

「14時だけど」

「半、半まで寝よ。タツコも一緒に寝よう」

「嫌」

「そんな。でもほら、ベッド一つしかないし……私の隣しか空いてない感」

「寝る事前提なのが変なの」

「はぁい……」


 彼女はもそもそと起き出して髪のセットを始めたので、どこかに出かけるのかもしれない。携帯電話を貸すから来て、とチャットで言われたので来てみたものの、それだけには留まらないらしい。


 私は窓のカーテンを開けてから窓際の椅子に腰かけて外を眺める。


「あ、携帯。それ」


 指差したベッドの枕元には、真新しいスマートフォンがあった。手に取って起動すると、壁紙がハナエの写真になっている。私は直ぐにデフォルトの壁紙に戻す。


「なんで写真なんて」

「いつでも傍にいる感じがして安心すると思ったんだよ」

「不安なんだけれど」

「あちゃあ」


 携帯を持つのは一年ぶりだ。

 それまでは高校時代から使っていたものを持っていたが、無駄だとして私から解約を願い出た。ネットならパソコンがある。


 これは高スペックを謳う最新機種だろう。無駄の無い作りで、私のように飾り気の無い人間には好ましい。


「本当に良かったの?」

「新規契約で一度に二つ契約するとオマケでついて来る奴だから、タダみたいなもんだ。それにどうせ、タツコはあんまり通信しないっしょ。パソコンあるし、会社勤めてないしね」

「まあ、そうだけど。ありがと」

「うひょ……タツコさんデレるんですね」

「どちらかといえば、貴女に対しては辛辣な方」

「あっそう。私の番号とその他便利そうな番号、あと普段使うだろうニュースサイト、掲示板、まとめサイト、面白サイトなんかのブックマ、んで使えるアプリ、全部突っ込んでおいたからすぐ使えるよ。あ、欲しいアプリあったら勝手に買って良いから。暗証番号これね」

「う、うん」

「んふふ」

「どうして笑うの?」

「いやあ。なんか信じられなくて」


 ハナエは眉を描きながらそんな事を言う。信じられないのは此方も一緒だ。どこの世界に恩義を返そうとしてマンション買って移住までしてくる馬鹿ものが居るだろうか。海外面白ニュースでもあるまいに。


「それは私もだよ」

「私ほら、友達いないし。寄って来る奴は金目当てだし。そんな人間がさ、こうしてアンタと話してると思うと、滑稽でさあ。この数年で修羅場潜っちゃって、あんま人信用してないんだよね」


 突如として大金が舞い込んだ人物には、知らない血の繋がった兄弟、知らない親戚、知らない隣人、知らない宗教、知らない慈善団体がこぞって現れるという。


 その蟲のような輩を捌いて捌いて、彼女は疲れてしまったのだろう。確かに彼女はネット上でも疑り深かった。


「ましてほら、私結構良い女でしょ。ちょっとイイモノ身につけてると男が群れる群れる。めんどくっさいったら無くて、こんなチョットハスッぽい格好してたりするのよさ」

「それは、心中察するね」

「なんで、お金はあるけどずっと一人身か、この際女の子かな」

「あ、そういう」

「あら、ビアンはお嫌いで……てか、タツコもそうじゃなかったか?」


 厳密にそうだとは言い切れないものの、男は勘弁願いたいので、そう疑われてもしかたないだろう。まして私の信奉する彼女も女性である。


「ハナエなら、ま、苦労しそうにないか」

「さて。男女の生活統合、所謂結婚なんていうのは、互いに財産を共有したり、足りない部分を補って生きて行く為の契約さ。子供は二の次というか、共同の結果。それは怪我をした時、病気になった時、老後、それらにおいて発生するどうしようもないお金と労力負担を軽減出来る契約さね。子供は保険になるかもしれないけど。私はほら、もう社会からドロップアウトしてるし。だから、隣にお嫁さんが居ようと、愛人がいようと、悩む事はないかもね。金銭的に面倒みられるから」


 普通の人間には、考えこそすれど実践出来ない人生観である。


 私など言うに及ばず、小金持ちやちょっと成功した人間でも届かない。彼女はまるっきり私達の居るラインから外れているのだ。


 いつか、カナメと話した『大人』の事を思い出す。

 これが大人かといえば――恐らく違うのだろう。これは大金を持った子供だ。


 ただ、そんな彼女に恩恵を受けている私がどうかと言えば、間違いなくそれ以下となる。


「まあ問題といえば、友達も嫁さんも、金じゃ買えない事かな」

「持ち逃げされたら嫌だしね」

「その通り。元から育ちが良い子なら良いだがね……ねえ、育ちの良い子」

「遠慮します」

「うわ、フられた……辛い。死のう」

「え、ちょ」

「あははっ。ま、それはいい。で、ご飯食べに行くけど、食べるだろ?」

「話した通り、あんまり人の居る所は」

「個室」

「……じゃあ頂きます」

「うっし。出来た。どう?」

「うん」

「ん。じゃ、行きますか」


 ハナエに連れられ、近くの繁華街にまで繰り出す。私はおっかなびっくりだ。

 日傘を差し、なるべく人の視線が当たらないように先を進む。ちなみにサングラスはしていない。何にしても視界が悪いし、あまり隠しすぎるのも宜しくないと指摘を受けたからだ。


 ハナエは私の直ぐ前を堂々と歩いている。あのように歩けたら、さぞかし気持ちが良かろう。

 街を歩いていると、やはり若い人たちを見かける。


 私と同年代位の子達が、仕事に、遊びに、大学にと向かう姿が目に入るたびに、自身のおかれた立場の弱さを痛感する。


 私は何処にも属していない。

 属していないという事は自由だが、誰も守るものが背景にない事、社会的に認められていない事を意味する。


 あの子は、どんな人生を夢見ているのだろうか。

 あのカップルは、これからどんな未来を描いているのだろうか。

 あの楽しそうな人達は、数年後も笑って人生を謳歌しているだろうか。


 私はどうなのだろうか。

 私に未来はあるのだろうか。


 こんな調子で何時になったら当たり前の生活を送れるのだろうか。

 送れないまま五年、十年と経った時、私はカナメにどんな面を下げて逢えば良いのだろうか。


 胸の奥が黒く滲む。

 脳が圧迫されるような気がする。

 指が震え始めた。


 私は近くの整備された花壇の縁に腰かけ、身体を抱きしめる。


「タツコ、どした」

「ちょっと、ごめん」

「辛いか、人多いところ」

「うん」

「もう一、二分だから。ほら、手貸して」


 私はほんの少しだけ躊躇ってから、ハナエの手を借りて立ち上がる。

 見上げると、彼女の顔は酷く優しかった。


「私は怖いかい?」

「ううん」

「じゃあ、もすこし頼りなよ。私はアンタの味方だから」


 手を繋がれながら歩く。先ほどよりも、幾分か楽だ。

 まるでカナメ以外に心を許しているようで申し訳ない気持ちもあるが、今の私には頼れる人物が彼女しかいない。


 彼女が腹の中で何を考えているのか、その真意は解らないものの、私を貶めて得るメリットなど彼女には何も無い。友達の居ない私に協力してくれる彼女は、やはり貴重なのだ。


 そうだ、焦る必要はない。

 ここ一週間と少しで、私は見違えたではないか。


 外に出るどころか、家族に顔を合わせる事すら憚られた私が、今こうして繁華街を歩いているのだ。焦って功を急いで、自滅するような道を辿っては本末転倒である。


「ほいついた。あ、個室ってカップル用なんだよね。カップルってことでいい?」

「い、致し方なし」

「あい」

「いらっしゃいませ。二名様で宜しいですか」

「個室で。あ、いらん詮索しないでね」

「畏まりました。此方へどうぞ」


 そのお店は繁華街の表に出ている、普通のお店だ。木造でシックな雰囲気が漂い、照明も仄暗い。店員に従って奥まで行くと、ドア付きの部屋が幾つも並んでいた。飲み屋ならこういった作りもあると知識では知っていたが、普通の飲食店にあるとは思わなかった。


「ごゆっくりどうぞ」

「あ、ちょいまち。決まってるから。私ビール。タツコは?」

「こ、コーラで」

「肉食えるよね。ポークプレート一つと、あとチキン&チップス。おっけい?」

「……はい。少々お待ち下さいませ」


 慣れた風のハナエは得意げだ。何度か来ているのだろう。

 個室は三畳ほどで、テーブルが壁についており、二人掛けの長椅子があるだけだ。


 私が奥に座り、ハナエが手前に腰かける。下のスペースに荷物を置くと、ハナエは小さく溜息を吐く。


「少し焦った。あんな感じなんだね」

「うん。でも、大丈夫」

「そっか。次、辛くなったら言ってな」

「ごめんね」

「良いって。頼られる為に居るんだから……あ、ちょいと一服してくる」

「うん」


 そう言って、ハナエは鞄から煙草を取り出して個室を出て行く。

 別にここで吸っても良かったのだが、彼女は配慮したがる人らしい。ネット上で暴虐の限りを尽くす彼女は、現実では思いの外謙虚な様子である。やる事は滅茶苦茶だが。


 私は預かった携帯を弄りながら、普段アクセスしている猫画像ブログを探す。流石にデフォルトの壁紙では味気ないし、まさかハナエの顔を壁紙には出来ない。検索すると直ぐに見つかった為、その中から好きな三毛猫画像を繕う。


 画像を編集して携帯画面に合わせてセットし、私は少し遠くに離してそれを眺め、満足する。二十歳としてどうなのかとは思いつつも、最近の携帯はなんでも出来るもんだなと感心する。


「お待たせしました。ビール中ジョッキとコーラです」

「……あ、あ、りがとうございます」


 先ほどとは違うウェイターが飲み物を運んでくる。少し驚いたが、問題ない。ただ男性からものを直接受け取れないので、テーブルに置くよう暗に指示する。


 知らない人間との接触は恐ろしく、特に男性は顕著である。

 ハナエなどは他人も同然だったが、やはり知人としての認識が私にはあるらしく、嫌悪感はなかった。しかし肉親でも父などは否定感も出るだろう。


 私が外に出て考える事といえば、やはり線引きである。

 具合が悪くなる状況と種類は幾つか存在し、そのどれもが耐えがたいものではあるが、明確な違いがある。


 他人との接触、視線からの恐怖、先ほどのような妄執と自己相対化から来る自己嫌悪は、大体眩暈がして動悸が激しくなる。


 変わって食品類に対する嫌悪、過去の想起などは吐き気が強い。此方も動悸がある。

 過去の想起、視線恐怖、自己嫌悪はほぼ同列と思っていただけに、ここ数日の実験は気持ち悪いながらも意外な発見があった。


 自分が何に怯え、何に対処すれば良いのか解るという事は、それだけで武器になる。


「ただいまっと」

「おかえり」

「昼ビール昼ビール」

「駄目人間っぽい」

「あー、働かないで飲むビールは美味しい」


 ハナエが戻り、駆け付け一杯をあおる。生憎私はアルコールを口にした事がない。まして苦いと言われるビールを美味しそうに飲む彼女が不思議でならない。私はコーラをストローで吸いながらそんな姿を眺める。


 それにしても、確かにここは人の視線が無くて有難いのだが、カップル席というだけあって狭い。机の下に広がっている空間が実に無駄である。私は極力ハナエに触れないように、壁際に身を寄せる。


「んあ。接触恐怖もあるんだっけ」

「他人に触らせた事がないから解らない。ハナエは大丈夫みたいだけど」

「私と喋る時は、案外ハキハキ喋るね。初対面の時は敬語だったし、ドモってたし」

「……だから純粋に、知人で女性なら大丈夫なんだと思う」

「それで、色々試してみたんでしょ、どうだったの」


 ハナエに実験結果を請われ、私が苦手なものについて説明する。

 ハナエは精神科医でも専門家でもないが、ネット辞書で引いて来たような解釈を齎す為、彼女の見解は重宝する。恐らく引いて来たのだろう、調べる手間がない、というだけかもしれない。


「んー……視線、怖い?」

「顔は、慣れた。顔、変?」

「いいや。それで変だったら世の女性の七割方が残念なことになるから、言わない方が良いぞ」

「わかった。でも、身体に視線を向けられるのはちょっと」

「身体を見ているって、何で解るのさ」

「……ええと、その、解らないけど」

「だからね、誰も見てやしないし、チラリと見られたぐらいで本人は絶対気が付けないよ。ああ、胸とか尻とかガン見されると気が付くけどね。アンタは全身布で隠れてるし、男性はジロジロ見ないんだよ、そういう露出の少ないフェミニンな服」

「そうなんだ」

「むしろ見てるのは女。この際ハッキリしておくか。男ってのは、女のファッションなんてどうでもいいの。胸とパンツとふとももが見えるか見えないかで判断してると言っても過言じゃない。人のファッションジロジロ見て相手の格付けをするのは女なんだよ」

「確かに、人の服装は気になるかも。凄く露出の多い服は下品だなって思うし、同時に羨ましくあるけど」

「それはアンタが自分の身体にコンプレックス持ってるから、肉付き良い女に目が行くんだわな。そういう意味でアンタの視点は男に近いな」

「男って、そんなに、胸とか、お尻とか、好きなのかな」

「顔が悪くても身体が良ければ妥協するぐらいには好きらしいよ。対して私等……まあ私もアンタもビアンだけど――」

「いや、ビアンとかそういうのでは……」

「まあまあ――男見る時、どこ見るさ。顔、髪型、身につけてるものだろう。終着点としては同じなんだよ。『繁殖に適しているかどうか』だ」

「はんしょ……」

「男なら『この女は良い子産めるか』『抱いて気持ち良いか』女なら『この男は私と子供を養えるか』『出来た子供の顔が良くて次世代を繋ぎやすいか』ああ、加えるなら『他の女に自慢出来るか』とか。一概じゃないけどさ。まあ何だ、そんだけ肌露出ないと、そもそも目に留まってないかもな、はははっ」


 女性として大問題であるが、男に好かれる気はないのでそれで良いだろう。

 女が女の服装を気にするというのは、確かにあるものの、それだって自身と近い立場にいるような人間を見るのであって、いちいち通り縋る人間と自分を見比べてはいまい。


 頭では解っていたが、具体例を出されて説明されると、心に落ち着くものがある。当然それが私自身の精神に反映されるかといえば、違うだろうが。


「先生」

「たった三つ上だぞ、失礼な」

「じゃあ女性が女性を好む場合は?」

「あー……」


 何となしに、ふざけて聞いてみる。私は同性愛に対して造詣が深くない。ビアンというくらいならば私よりもそういった知識があるのでは……とも思ったが、質問して気が付く。異性愛者が異性を好きな理由をいちいち調べないだろう。同性を当然と好いている人間も同じである。


 しかし律義にも、この人はわざわざ首を傾げて頭をひねって考えてくれている。


「――繁殖に加担しない、という時点で種の保存的に論外だからな。これはどっちの同性愛も同じだ。ただしかしながら、それが動物的で無いとも言いきれない。猿の一種だけど、これは自身の被害を避ける為、そして争いから来るコミュニティの崩壊を防ぐ為に、同性だろうとセックスするんだ。私に敵意はありませんと」

「さ、猿が?」

「結局は人間も、自身の存続の為にやらかすし、自身の存続に関わるからこそ自身を守ってくれる可能性のある人を大切にしようとする訳だから、同性愛も異性愛も、子供を残さないという点以外は、同じなんじゃなかろーか」

「博識な事で」

「いや、私は専門家でも何でもないし、拾ってきた知識を自己見解と交えて話してるだけだから、真に受ける事はないぞ。子供残さないって致命的だしな、あくまで生物的には」

「そういうの、変だって意識、ある?」

「ないよ。人間何十億いるんだよ。むしろ人減らしたいぐらいだ。いいだろ、こういうの居ても」


 はははと笑い、ハナエがジョッキを空ける。

 そんな話をしていると、やがて料理が運ばれてきた。ハナエはもう一杯注文して、お酒のツマミを齧りながら、私の他愛ない質問に答えてくれる。


 彼女としても、私としても、その答えが真実であるかどうかなど、さして気にしてはいないのだ。私が質問し、彼女が答え、私が一人で納得するだけの事である。


 まるでその関係は、私とカナメを逆転させたようなものであると気が付いたのは、ポークプレートをペロリと平らげた辺りだった。


「美味しい?」

「うん」

「食べるね、結構」

「食べるの、好きだし。過食の頃は、思い出したくないけど」

「今は無いんだ、その影響」

「引きこもっている間に無くなったから、その治療は出来たのかも、引きこもり期間」

「ふぅん」

「声、変じゃない?」

「変だったら変って突っ込んでるなあ」

「よかった」

「……ああ、嘔吐繰り返して掠れたか。余程酷く無い限り、そら戻るさ。複合的な理由で引きこもったんだろうが、今のアンタは何も変じゃない。ま、私に言われたくらいで安心したりはしないだろうけど」

「――ううん。ありがとう」

「……」


 客観的な意見が増えれば、それだけ私の自信につながる。特効薬的効果を期待するもので無い事ぐらいは承知だ。兎に角今の私は積み上げて行く他ない。


 最初は尻ごみしたが、ハナエの存在はもしかすれば、私にとって掛け替えのないモノになるかもしれない。久しぶりに他人らしい他人からの知人であるからして、カナメとは一線を画す。


 多少気になる事があるとするならば、本気かふざけてか、私に気があるような素振りを見せる事ぐらいだろうか。


「私、ご飯食べてる子見てるの好きなんだよ」

「ふうん」

「うわ、気の無い返事」

「気があったらどうするの」

「それ相応に対処するさね。恩義もあるけど、なんだったら親しくなりたいだろう?」

「それは、まあ。親しいの度合いにもよるけど」


 昔から、女の子とは仲が良い。

 恋愛云々抜きで、男の子と比べた場合やはりどうあっても私における友好度は女の子の方が高い。しかしながら悲しいかな、私が引きこもって以来、仲が良いと思っていた子は見舞いにこそ数度現れたものの、それ以上踏み込もうとする子はいなかった。


 何度かメールも寄こしたが、早く元気になってね、程度でそれ以降の関係も無い。

 軽薄さがにじみ出る。そういったものを実感すると、やはり女性の友情というものが、どれだけ体面に比重を置いた関係であるかが、はっきり解ってしまう。


 勿論、私も悪いのだ。悪いが……。


「どした。嫌な事思い出したか?」

「……私が引きこもった時……いや、いい。私のエゴだ」

「誰も助けてくれなかったってか」

「なんで解るの」

「そんな顔してたから。ま、こればっかりはな。相手の家庭に踏み込むのは憚られるし、問題が問題だっただろう」

「ハナエだったら、どうしたと思う?」

「当事者じゃないから答えられない。何、私だったら助けに行くとか、言って欲しかった?」

「言い方がキツい」

「終わった可能性を、引き摺るのは止めなよ。今の私は、助けるから」


 そっと手を触れられる。

 否定しようかとも思ったが、弱い私は彼女の優しさに絆されてしまったのかもしれない、振り払わず、そのままにする。


 ネット上ではあれだけの怪人物ぶりを発揮しているというのに、現実の彼女は優しく、気遣いが出来て、とても社会不適合者とは思えない。


 彼女の言葉を真に受けるのならば、それは私に好かれたいからだとも判断出来るものの、私のような人間に手を出して彼女が得るモノの少なさを考えると、納得出来なかった。


 心が損得勘定だけで構成などされていない事ぐらいは十分承知しているし、人の好みも千差万別で、もしかしたら本当に私の事を好いているのかもしれないが、私は釈然としない。


 恩義に報いると言われても、打ち消せないだけの違和感があった。

 私は流されやすい人間だ。


 その流されやすさがリハビリに役だっている内は笑っていられるかもしれないが、笑えない方向に転んだ場合のリスクを考えると、多少恐ろしい。


「まだ何か食う?」

「ううん。いい」

「うし、じゃあ行き先決めよう。折角外だし。あ、喫茶店行く?」

「も、もう少しレベル上がってからでいいかな。そこは即死する可能性があるから」

「盾にでも何にでもなるんだけどな。ま、尊重しよう。ならホテル戻るか」

「戻ってどうするの」

「家帰っても暇だろう。会話リハビリでもしようじゃない」

「貴女の口から聞くと、なんでもいかがわしく聞こえるの」

「そら、タツコの頭がピンク色だからだろうねェ……あ、そうだ。ゲームの新作発売してたんだ」

「何の」

「携帯ゲーム。ほら。でかいモンスター狩る奴」

「ああ……でも、携帯ゲーム持ってないけど」

「今から買いに行けばいいよ。買い物リハビリも出来て丁度いいや。街中歩くけど、大丈夫か?」

「――辛くなったら、その、頼るかも」

「うんうん。なんだ、可愛い顔して」

「うるさい」

「えっへっへ。じゃ、行きますかね」


 会計を済ませ(ハナエは有無を言わさず全部自分で払う)、また外に出る。

 彼女が主体で動き、何でも彼女が手配して、私が与えられ付き従う様が、まるでペットのようだなと、何となしに思う。


 とはいえ、昔から主体性がある人間ではなかった。どちらかと言えば、与えられる側である。


 私が提供したものは、常に愛想だ。同時に親切心である。


 価値に換算出来るものに対して、価値に換算出来ないもので返すという人生だ。考えれば、私という人間が友人だと思っていた人々に振り撒いていた価値は、彼女達が望む見返りに見合わなかったのかもしれない。


 どうすれば正しい価値を提供出来たのか、引き摺るというよりも、今後の為にも考察しておく必要があるだろう。私はどうあっても、人として足りないのだから。



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