なろうで炎上に巻き込まれて思った事を纏めてみた。
なんとも大層なタイトルを付けましたけど、今回言いたいことって人間として生きる上ではとても当たり前な話なんです。
読者だろうと作者だろうと、思いは100%誰かに通じるなんて事は無い、通じない相手がいるのは仕方ない、いくら己が正しいと思う意見でも広まると不都合だったり、間違っていると感じる人がいりゃ反対意見だって出て来ます。
一つの意見に出てくる批評なんてのは、詰まる所は己の感性を源泉とした好き嫌いであり、人間というのは小さな好き嫌いが積み重なって個人の感性を作っています。
だから他の方がこれは好きだ、あれは嫌いだと言うのは人と関わるなろうをやっていれば当然の事ではないかと思います。
相手を下手に嫌わずに皆違ってそれがいいと思い、お互い理解しようと語り合い歩み寄る努力は忘れない、それでも合わないなら自分と合わない人だとすっぱり諦めて次へ行く、そん位でいいんじゃない?なんて思ったりします。
そう考えないと下手に深刻に受け止めすぎてストレスで頭パーンするか、逆に受け入れる事できない他人の言葉が届かない孤独な人間になっていくか、後はネットの暗黒面に堕ちていき、自分の意見以外絶対に許さないマンになる道を選んでしまうと思います。
前回私の書いたエッセイ『表現の自由って権利、間違えていませんか?』という作品を書いた時、感想欄は私が考えた以上に荒れました。
あれは自衛と、他人の意見も自分の意見と一緒くらい大事なんだよと語りたかった作品なのですけども、私の文章力が足らずに様々な解釈が生まれる作品になってしまいました。
ある方はよくわからない対抗のエッセイを書かれ、またある方は作品を読まずに変に誤解してネタをパクった等と言いがかりを活動報告に残し、さらに当て付けなのかなぁと思うようなエッセイだって書かれていました。
そんな人様から心配されるような状況ですが、寧ろそれもなろうだなぁって思っているのが今の私の感想だったりします。
流石に作品を読まずにパクリ発言は呆れましたし、その方の中ではなろうは自分を中心に回っているのかと自意識過剰な発言に微妙な気持ちにはなりましたけど、むやみに喧嘩をしても仕方ないので、その方には「全体に向けて意見を上げたつもりですよ」とやんわり返しましたし、対抗エッセイは勝手に作品名とURLを貼られていたので、せめて一言「お前の作品使うよ」と言ってから使って欲しいと苦言を呈しました。
なろうで言いたい事いえば何かが返ってくる、そこには否定や肯定、批判と賞賛、誤解と理解など様々な思いがある、これらは他人が介在してこそ起こる事象であり、私は他者の意見を聞くのも必要と考えています。
人間は一人で生きていけるほど強く無いし、他者の言葉の中にもその人なりの歴史や心理がある上に、そもそも論でなろうは閉じた世界では決して無いのです。
なろうの活動をリアルと切り離す方もいるのでしょうが、アカウント無くても通常のネット検索で作品が引っかかるし、そのまま覗ける様なガバガバなフィールドであり、時と場合によっては他者によってSNS等で拡散されていきます。
他者との関わりがあるネットはリアルの一部であり、下手に情報出したらプライベートすら丸裸にする様な恐ろしい人種だってイッパイ居ます。
それはなろうも一緒であり、なろうで起こった全ての出来事は自身で起こした波であり、自身の言葉によって起こった現実の出来事です。
対抗エッセイを書いた方が炎上した事により、私の様な瑣末な男でも書いた内容を一部の方に誤解され、誰かの望むような人物に当てはめられて、好き勝手に面白おかしくフリー素材扱いされました。
そのような状況が、なろうでの表現という活動の裏側に潜む闇であると私はいいたいのです。
貴方の書いた文章を読む誰かは自身の読んで欲しい事などお構いなしに自由に考え、読み手の心の中の肯定や否定として己の手から離れていくのです。
場合によってはネットの海に拡散し、その拡散した信憑性の薄い情報を元に、更に都合の良い様に解釈して気に入らないと感じた人が自身の考え以外絶対許さないマンになり、なろうや他のサイト等で貴方を叩いていきます。
ネットの闇には危険が口を開けて潜んでおり、貴方も許容の心や理性を無くした瞬間に一歩間違えばその闇の住人になってしまうんです。
私が過去に書いた色んなエッセイに寄せられた感想でも、年齢問わずに自分が思った部分を悪し様に抽出して感想書く人は結構多いと思いました。
文字を使って表現するサイトで、作品の裏にある相手の伝えたいテーマをきちんと読まないとはこれ如何になどと感じる時もありますが、所詮は素人が書いた作文なので流し読みをして自分のスタンスを書くのを否定まではしません。
ですが、仮に貴方が書いた文章を同じ様に扱われた時、貴方はどう感じるのでしょうか?
私は別になろうテンプレを面白いと感じれないなろう力が低いおっさんですが、それでも全て消えて欲しいとか、テンプレ作家はさっさと筆を折れなんて過激な思想は持ちあわせては居ません。
普段からそこまで意見は言いませんし、テンプレ書くのは相手の自由でその人なりに頑張ればいいと思っていますから、読んで合わないならそっと立ち去ります。
仮に新規さんが活動報告等でご意見を募集している場合、目を通して話の内容には触れず文章の読みやすさやあからさまな間違えだけに絞って意見を言うように心がけています。
個人的にはテンプレが流行ってるのって別に構わない、それこそラノベやアニメに限らなくても、普段の生活でもファンションやライフスタイルの違いで理解が及ばない流行など山ほどあります。
私はそんな瑣末なことに一々攻撃しているほど暇でもないし、自身が望む世界を自身の手の届く範囲で作る事の方にコストをかけて行きたい人間です。
こうしてエッセイで意見を述べるのは、自分が好きな作品やなろうの風調を望む方が増えるといいなと思って、その行動が自身の読みたい作品を増やして生活を豊かにしてくれると考えているからに過ぎないんです。
私がこんなことを考えるように、ネットには他にも様々な考えの方が居るので、誤解などで攻撃されぬように自己防衛すべきだと思います。
それは互いのスタンスの違いという形で流すべきじゃないかなぁと考えますし、同時にある程度の許容は必要ではないか?と思っています。
過去に誰かに傷つけられたと感じる人や普段誰かを攻撃する人程、どうも自身が気に入らない事を言われると過剰に反応し、感想が攻撃的になる印象があります。
自分が誰かに殴られたからといって、それを全く関係ない誰かにするなんてのは品位のある行動ではないし、貴方が叩いたとしても心の中はちっとも晴れることもなく、むしろその憎しみにより暗いどろりとした澱のようなものが心に残るだけだと思います。
確かに反対意見は時として苛立ちを覚えます、ですがこの世には全ての人と仲良く出来る人なんて居ないのだから、そこはスタンスの違いだとある程度は許容するしか無いんです。
特になろう村は狭いので自分の声が色んな人に聞こえやすいし、それを聞くご近所さんには色んな人が居るから、いろんな反応があるでしょう。
特にリアル以上にイキってるネット弁慶などと呼ばれる愉快犯、誰かが作品を叩いてるから自分も叩く脳内停止的な同調をしてる人も居るのではないかと感じています。
相手の意見が自分と違うと思い、自身の正義を信じて批判を書くのは感情の生き物である以上仕方ないなと思います。
ですが書き込もうとした批判が本当に正しいものなのか、相手のためになるものなのか考え、同時に自身の意見が通じなくても仕方ない、そう思える心の余裕を持つ方が良いと感じます。
誰かをネットで殴ってイキってスッキリしたい、そんな誰かを殴ってイキった結果が自身の好きな方に牙を剥くことだってあるかもしれません。
読者の方なら何処かで誰かが貴方の感想を読んで、この人が褒めるものは気持ち悪い、こんなダメな読者が付く作品は読む気が起きないなんて、貴方の好きな作者にダメージを負わせる事だって有ります。
ここは公共の場で大昔のリアルと違って色々情報も残っていきます。
そうして誰かを殴った結果が、貴方が作者ならこんな変な感想を書く人の作品は読みたくない、こんな作者の書いた作品を読む人は気持ち悪いと思われる、読者でもこんな感想を書く奴のブクマ作品は読みたくないなと感じさせる、それは自身の問題が他人にまで牙を向く瞬間ではないかと感じています。
私も最初はなろうの風潮がよく解らず困ったり、他人に色々言われたりしましたし、今でも色々思うところや考えるべきところもあると感じていますから、相手の言い分を聞いて正しいと思う部分は直してなろうを楽しんでいます。
人は全て正しい事は出来ない、感情の生き物である以上どうしても感情に左右されて生きている、だからこそ理性と共感、許容の心が必要なのでは無いかと感じるのです。
この作品を書いたのは炎上に図らずとも自分が放り込まれ処理たことによって得た生の情報を纏め、なろうで貴方の身にも起こりうる恐ろしい事実の片鱗を示したいと感じたからです。
これからなろうで初めて作品を上げようとする方、今もなろうで活動する作者読者を問わず全ての方へ、今一度ネットでの自衛と画面の向こう側に居る、誰かを考えて欲しいとお伝えした買ったのです。
自身も含め、なろうを利用する人達が許容の心を忘れた時、我々はネットの闇に潜む相手を絶対に許さないマンになると知り、なろうで活動するのに一体何が必要なのかを私と一緒に考えて下さる事を願います。
己も許容の心を無くさぬように、ネットで人として感想やお返しを出来るように頑張って行きたいと改めて感じた次第でした。