時が止まるということ
夜露が降りるのを夢から見るような気持ちで、
不完全に隠された現実を何も考えずに観察する。
きっとこれは本当のことではないと言い聞かせながら。
全てのことは誰にでも起こる。
週末だろうと火曜だろうと、等しく起こる。
たまたま、そのタイミングではないというだけで。
1人として同じ人間はおらず、
皆一様に、クロック周波数を合わせて生きている。
超自然的現象に直面することは、
果たして何の意味も持たないのであった。
全ての感情を口にした途端に、
1人ではない独りにならざるを得ないからこそ、
時々、感覚を抹消させることも必要になる。
一挙手一投足に注意を払って観察すると、
言いたいことだらけになってしまう。
見ない方がマシだし、
それなら一緒にいない方がマシだ。
ある観測点に追従しながら、同じ速さで逆行するということ。
どこに生きていても、独りであるということ。
或いは、
何のためらいもなく恐れを抱き、留まり続けるということ。
社交辞令のように身体を重ねるということであり、
愛されたいという気持ちのまま誰の気持ちも受け入れようとはしないということ。
自己矛盾を重ね続けると、いつか時間は止まる。
たとえば、生きているということを噛み締めたまま屋上から身を投げることもできる。