秘密 其の弐
波留が母の典江に呼び出された日。
実は同じことが2年ほど前に繰り返されていた。
それは二年前の夏休み、波留が五年生、有紀が6年生で、尚子は中学三年の受験生だった。
一応、受験生の尚子は夏季講習へ行っていたが、あまり勉強はしていない様子で落ちこぼれている。
同じ頃、小学生二人は子ども会の活動で、日々忙しく出歩いていた。
つまり家で留守番をしていたのは朋子だった。
その朋子を典江は呼び出す。
「あ~朋子、今一人なの!?…そうよかった。じゃあ、悪いけどちょっと頼みたいことがあるのよ。旅館まで来てくれないかしら!?…そう、お願いね。」
朋子は、母の典江に「頼みごとがある」と言われ、夏休みの昼下がりに母の待つ旅館へ向かった。
旅館には、お客が出入りする表玄関と、従業員通用口である裏口の二ヶ所がある。
そして朋子は母に言われた通り、裏口から入って行った。
各階に仲居用の休憩室が設けられていて、それぞれの専用ロッカーが置いてあり、畳部屋になっていて寛げるようになっている。
大抵はそこにいるはずなんだけど、珍しく空いている客室へ呼ばれた。
「ねえ、なんで客室なの!?」
朋子は不思議そうに母に尋ねる。
「そうねえ、他の人たちに聞かれたくないからよ。」
典江は会話を聞かれたくないのだと言った。
「ふーん…ところで頼みたい事って何!?」
朋子は典江の用事を済ませ、早く帰りたいと思った。
「実はね、おじさんがアンタに参考書を買ってくれるそうよ。」
典江は、本題からではなく、まず最初に朋子を物で釣ろうという腹積もりらしい。
朋子は「なんで!?」と聞いた。
同級生のお義父さんでしかない人に、どうして参考書を買ってくれるというのか、不思議に思った朋子。
「うん、アンタにちょっと買ってあげたいから、ドライブに付き合ってくれっていうんだけど…いいわよね。」
何とも強引な話である。
「ふ~ん、頼みたい事ってソレだけ!?」
朋子は典江の話に裏があると疑うこともなく承諾する。
だが、そこには罠が仕掛けられていた。
何も知らない朋子。
誘い出されるがままに、典江の男の車に乗り込み出掛けた。
数時間後、朋子は自宅近くの公園で下され、その日は具合が悪いと言ってベッドで寝込む。
誰にも打ち明けず、それから数回誘い出される度に、朋子は汚され続けた。
やがて一年後、波留の入院がきっかけで、男と典江の企みに気づく。
そしてようやく男との関係を清算した。
一年近く、朋子は男に弄ばれた。
当然、この計画に母の典江は加担している。
それでも朋子は誰にも何も言わずに耐えていた。
だけど波留が典江と男に向かって、激昂する姿を見て感激し、自分も嫌な事にはキチンと意思表示しなくては…と改めて思ったという。
その波留の意志の強さを見て、波留にだけ朋子はそっと胸の内を打ち明けた。
勇気をもらった朋子は、やっと本音を言えた。
それから一年。
今度は波留がターゲットにされた。
波留は典江に呼び出され、旅館へ何時ものように裏口から入って、母のロッカーがある休憩室へ向かう。
けれどそこに母の姿は無くて、客室にいると教えられた。
『なんだ、まだ仕事中か…。』
波留は母が仕事をしていると思って部屋に向かう。
すると普段は滅多に使わない客室に居た。
「へえ、この部屋にも客が入るんだ。」
波留が呟きながら部屋をノックする。
すると中から典江が出てきた。
「あら、アンタよく知ってるわねえ。この部屋は端っこだから、滅多に使わないのよ~。」
典江は、波留に声を掛けつつ、中へと促す。
「うん、でもさ…ココの九階って、出るんでしょ!?」
そう、実はいわくありげな部屋が最上階にある。
「へえ、アンタってそんなことも知ってんだ。」
旅館にはありがちな話だ。
「うん、支配人の娘と同級生だもん。」
そう、波留の小学校からの同級生に、清浦雪乃という子がいる。
雪乃の母は、実は再婚なので、今の父親は実父ではないのだが、弟と双子は今の父の子だ。
そんなわけで、雪乃と波留は友達として仲良く付き合いがある。
雪乃の両親は、波留と仲良く付き合うように言うのだそうだ。
だからというわけじゃないが、旅館の女将にもよく波留と雪乃は可愛がられる。
それで、小学生の頃からたまにお小遣いをもらったりして、何かと二人でいることが多かった。
その雪乃から、「九階のあの部屋は出るよ。」って、しっかり曰く付で教えてもらったんだよ。
まあ、この手の話は、古い温泉宿にはどこでもあるんだけど。
というような、夏休みには付き物のホラー話をして、波留は母の典江とコミュニケーションを図る。
典江の方も娘たちの中で、波留が一番社交的だと思っていた。
ただ、それを認めるのは癪なので、典江はいつも尚子を引き合いにしては、波留を貶める言葉を発していた。
今日も「アンタは誰にでも愛想振りまいて…厭らしい子。」と言い、「尚子は、まったくそういうところが無くて、プライドが高いわねえ。」と言う。
要は、波留の事をお調子者と言いたいようだ。
その評価、微妙に間違ているんだけど…この人に言ってみても仕方がない。
機嫌よく話していても、必ずこの人はこの場にいない尚子を引き合いにしてくるが、肝心の尚子は典江が思うほどの器も人望も全くない小心者だ。
その証拠にいつも朋子や有紀に来客があると任せてしまう。
そして母の不倫についても、一切見ないで向き合おうとしない。
波留は諦めて「要件は何!?」と単刀直入に聞いた。
どうせロクな話じゃないのはいつもの事だ。
「ああ、アンタさ…塾の代わりに参考書とか欲しい!?」
なんで今更参考書なんだ。
「…それなら、お父さんに貰ったお小遣いで買えるからいいよ。」
波留は何となく典江に対して警戒心を持った。
自分から波留に、何か買ってやるなんて事言わないのに、そんなことを提案するのが怪しい。
「何、アンタお小遣いで買ったの!?言えば買ってあげたのに…。」
益々怪しい。
問題集一つ買うのでも、尚子にお伺い建ててからでないと買ってくれないくせに。
大体は、波留は父親に相談して買ってもらう。
自転車もランドセルもそうだった。
でも、いつも尚子は「有紀はお下がり使ってるのに、アンタはいつも贅沢よ!」って怒られる。
そんなの有紀が嫌だと一言言えばいいだけの事だ。
なのにいつもイイ子ちゃんぶって、「アタシは何でもいいよ。」という。
欲の無いふりして、実は波留の持ち物を横取りするのが有紀だ。
過去に何度もそんな目にあっているが、その裏で有紀を誘導しているのが尚子である。
つまり入れ知恵しているのだ。
お小遣いだって、波留はちゃんとみんなに平等にもらえるよう進言しているのに、尚子は自分が一番でないと気が済まない。
だから尚子は母に強請って、高校入学してすぐに原付バイクを買ってもらった。
バイク通学可の学校だったからだ。
なのに、自分は乗らないで友達にタダで貸している。
言ったら悪いが、尚子に新車を買い与える余裕があるなら、有紀に新品のセーラー服や学生鞄を買えたと思う。
それなのに尚子のお下がりで済ませた。
そこは怒っていいと思うのだが、有紀は何時も遠慮がちになる。
だが波留はそんな理不尽は認めない。
だから、嫌な物は嫌だと主張し、父親に買ってもらっている。
そう、今回も入学に必要な物を。波留は父親に頼んで買ってもらった。
すると典江は対抗心から、真新しいセーラー服を入学式三日前になって購入。
嫉妬をむき出しにする尚子と有紀。
それは典江に文句を言うべきことだと波留は思った。
そんな典江が参考書を買ってくれるだと!?
絶対に怪しい。
波留は典江の出方を観察することにした。
典江は、波留に「他に欲しい物はないの!?」という。
なぜわざわざ波留一人を呼び出し、こんな端の客室で話をするのか。
まるで誰にもこの密談を聞かれたくないようでもある。
何のために…!?
波留は裏に何かが隠されていると直感する。
「…本当の用件は…!?」
波留は典江の言葉を無視して、要件を催促した。
「…アンタって…本当、小賢しいわね。」
そう、この人の本性ってこうなのだ。
そしてこの人は、娘を自分の所有物ぐらいにしか思っていない。
お気に入りの娘が尚子で、あとはそのおまけ。
波留に関しては、別れた元旦那の憎々しい男の娘で、敵という認識だろう。
まあ無理もなく、波留は父親に似た。
お陰で目の敵にされている。
さて、今回の典江の目的は…まさに鬼畜としか言いようの無いモノだった。




