秘密 其の壱
典江は欠陥人間だった。
娘の朋子を男に引き合わせ、朋子に何をさせていたのか。
それは淫行、または売春行為だった。
しかもそれは典江の私利私欲のために利用されている。
そのための人選に、たまたま中学生だった朋子に白羽の矢をあてた。
それだけの事で、典江は別に娘なら誰でも良かったのだ。
ただ、尚子だけは選ぶつもりはなかったようだが。
そう、朋子は典江の欲の犠牲になり、生贄にされた。
その事に典江は罪悪感もない。
あれば、今日は「この人をお父さんと呼びなさい」なんて、非常識な事を言うはずがない。
波留は頭を抱えた。
兄たちが母を避けている理由は…この性格なんだ。
そしてこの非常識さをしっているのだろう。
波留は、父の元を訪ねる必要があると感じた。
但し、守られるべき娘の心と体を悪用した件について、それを伝えたら…きっと典江は父に殺されるかもしれない。
今回は黙っておいて、進学の事のみ相談しよう。
それだって、本当は行きたい学校を選んでいいはずなのに…。
尚子の家庭内暴力が無ければ、私達は中学受験だって可能なはず。
それを誰もが諦めている。
高校受験だって選択の自由が無い。
尚子が通っている高校より上の学校は許されない。
そんな暗黙のルールが我が家にはある。
こんな事では私達はいずれ崩壊するだろう。
母の典江と尚子のせいで。
そう危機感を募らせる波留だった。
退院をしてしばらくすると、通院の日に担当医から登校の許可が下りた。
翌週から行っても構わないという。
なんだかんだで三週間ぶりになる。
登校しても当分は運動は禁止。
頭痛したり、吐き気がしたら病院へ直行。
という注意事項をもらっている。
そして時は過ぎて、季節は変わって行った。
波留は中学へ進学し、朋子もはれて高校へ進学した。
だが、結局は進学先も尚子に遠慮して、普通科ではなく畜産農業科へ進む。
将来なりたいものも見つけられず、進むべき進路さえ決められない。
また、典江も娘の進路希望に沿うようなそぶりもなく、ただ「行きたいなら行けばいい」という態度だった。
そして相変わらず男との不倫関係は続いている。
波留はそんな典江を軽蔑していた。
というのも、実は入学式の一週間前、波留は典江の許可を得て父に逢いに行っている。
そこで見聞きしたのは…典江が過去に犯した過ちの話だった。
両親の離婚について、波留は父に疑問を投げかけた。
すると、父が波留に向かって「もう中学生か…そろそろ理解出来る齢だな。」と言い、話してくれた。
その内容は衝撃的なモノであり、波留が何故母や尚子に虐げられるのか知った。
そのあまりにも身勝手な理由に、ショックを隠せなかったが、波留は中学卒業したら家を出る決心をする。
そりゃ、愛海たちが家を出て行くはずだ…と、波留も納得がいく。
何も知らない尚子たちは、母の典江に騙されている。
それでも波留のように、真実に目を背けなければ、あるいは疑問に思えば気付くだろう。
けれど、尚子と有紀は自分の事で一杯いっぱいで、他人の事を思いやる余裕もない。
だから朋子が犠牲になり、母の毒牙に…。
なんて恐ろしい仕打ちだろうか。
でも、この朋子の話は流石に言えない。
言ってしまったら…何が起こるか分からないからだ。
波留は家を出たら、兄たちにも会いに行こうと心に決める。
そして波留の中学生活が始まった。
しばらくは平穏な日々が続いた。
ただ、ちょっと有紀とトラブルがあったが、それも夏休み前には解決する。
でも、このトラブルが有紀との確執の始まりだったんだけど、波留はあまり気にも留めていなかった。
そんなある日、波留に付き纏う一つの影がある。
それは朋子に袖にされ、新たな生贄を求める典江の男の姿。
そう、次のターゲットに波留を選択する二人。
波留を巡って、典江は男と交渉する。
再び典江は、朋子のときと同じ手口を使って、波留個人を呼び出した。
その手口とは…。
夏休みの昼下がり。
自宅の一室で、宿題を広げ奮闘する波留がいた。
その時、自宅の電話が鳴り、波留は誰も居ないので電話口に出る。
「もしもし…あ~お母さん。…うん、波留一人だよ。…うん、わかった。じゃあ、あとでね。」
そう言って電話を切った。
どうやら母の典江からの電話だったようで、波留は何やら呼び出された様子。
宿題を切り上げて、波留は母の職場へ向かった。
母の仕事とは旅館の仲居。
朝早くから仕事に出掛け、夜遅くに帰宅する。
基本、日中は休憩時間だ。
チェックアウトの済んだ10時から、チェックインの始まるまえの15時までが休憩。
朝は朝食の配膳があるので、準備も含めて6時半までに入る。
夜は宴会がある日は22時を回るが、普段は21時前には上がれるという。
まあ、実質10時間勤務だけど、残業代はちゃんとつく。
最近は、朝食をバイキング形式にする旅館も多くて、部屋食でない限り朝はゆっくり出勤できる。
つまり、配膳の準備も必要が無い日は、9時ごろ出勤でいいというわけ。
だからお客の都合次第で、出勤時間も退社時間も日々異なる。
それが中居の仕事なので仕方がないが、それにしても典江は滅多に家に帰ってこない。
特に夏休みは家族連れが多く、朝早くて夜が遅くなると言い、ほとんど帰ってこない。
で、典江はどこに寝泊まりしているのかというと、社宅の一室を自分専用に借りているという。
自宅まで歩いて帰るのは面倒なので、徒歩5分の距離にある社宅へ寝る為だけに帰るのだとか。
そんな典江は、小遣い稼ぎにFXに投資していた。
それも男に進められるままに始めたという。
その浮いたお金で部屋を借りていた。
勿論、この事は子ども達には内緒だが、波留は同級生の親が同じ旅館に勤めており、社宅にも遊びに行っていたので当然知っている。
ただ、知っていて見てみぬふりをしていた。
何故か。
典江が秘密にしている素振りだったので。
それと、不倫していた典江を尾行した時、偶然目撃した経緯もある。
その事も波留は姉たちにも内緒にしていた。
何故って、波留は日々尚子の暴力に犠牲になっていて、何時も顔色を伺って生活しているので、話すタイミングもない。
それがこの典江の生活態度になっているというもの。
だから典江は用がある時だけ、こうして娘を呼び出すのである。
でも、呼び出すのは決まって朋子か波留だ。
その理由は、扱いやすいからだった。
さて、典江が波留を呼び出した要件とは…。




