黄泉平坂 其の壱
波留にとっての家族ってなんだろう。
母や姉たちに邪険にされ、頼りたい父や兄を頼ると「甘えてる」と叱責される。
ていうか、まだ甘えていい年なんだけどね。
何故か、家の女どもは波留をかまう父と兄を毛嫌いする。
その後で、父たちの見ていない場所で、姉によって折檻を受けるのだ。
その事を母に訴えても無視されてしまう。
なぜかいつもそうで、何があっても「甘えるな」「頼るな」の一点張りだ。
だから自分なんていない方がいいのかな…と思い、家出もしてみたんだけど、心配するのは他人だけ。
我が家の人間は、「チッ、帰ってきたのかよ!」と、残念そうにいう。
つまり生きかえってみても、同じように言われそうで…ちょっと不安。
そんな事を考えていると、一人の中年らしき男性が、ススキの間を縫って歩いて行くのが見えた。
何処へ向かっているのだろうと、行先を眺めていたら…その先に土手が見える。
『あ~なんだ、あの向こうには川が流れているんだ』
波留は、何気に意識をそちらに向け、土手の向こう側を見たくなった。
それに、このままおじいさんと向き合っていても、息が詰まるっていうか…なんとなく怖い。
というわけで、早々にこの場から立ち去りたかった。
「あの…今の人が向かった先にある土手が気になるので、あっちへ行ってみますね。」
波留はおじいさんに向かってそう告げると、一気に踵を返して走り出す。
なんとなく、この場から一刻も早く逃げ出したかった。
何故だかわからないけれど、そうしないといけない気がして。
一目散に駆け出した波留は、土手の手前で立ち止まって振り返った。
今まで自分がいたと思われる場所を見たが、もうそこには誰の姿もなくて、いるはずのおじいさんの姿も見えない。
『アレ…おかしいな。いままでそこで話をしていたはずなのに…いなくなっちゃった!?』
波留は、夢現のような気分になるが、そもそも夢の中のようでいて、やたらとリアルで現実感に溢れている。
『コレって夢…!?…それとも現実…!?』
夢だったら、テレビで見たように、自分のほっぺを叩いて現実に戻るはずなんだけど…なんて思いながら、目の前にある土手を上がった。
あがる途中で足を滑らせ、波留は膝を擦り剥いた。
みると血が滲んでいる。
『あ~なんだ、やっぱり夢じゃないのか。』
そう、転んだ痛みもあるし、血が滲むってことは現実だ。
そうでなきゃ、なんだかおかしな感覚だ。
『でも、ここまでどうやってきたんだろう…!?』
それにここへ来る前の記憶か…確か、遊んでいてコンクリートの床に後頭部を打って…その後の記憶がない。
『う~ん…思い出そうとすると頭が痛くなる。』
自分に何が起きているのか、波留は歩きながら考えていた。
『それにしても、さっきのおじいさんは誰だったんだろう…。』
波留は全く見覚えの無いおじいさんに出会い、風格と威厳のある態度に怖れを抱いたが、もう会うこともないだろうと思い土手の上の道を歩き出した。
そう、小学生の波留には少々怖そうなおじいさんだった。
それに訳の分からないオカルトチックな事も言うし。
このまま意識を取り戻さないと死ぬ…みたいな話、訳が分からない。
『じゃあ、今ここにいる自分は誰よ。』と、自問自答してみる。
波留は自分が迷子になった…と思っていた。
何時だったか、本で読んだことがあるが、川沿いに道を歩けば町があるはずだと。
目の前に流れる比較的大きな川は、確か授業で習った二~三級河川ぐらいの幅がある。
少し上流の方に目をやれば、石かコンクリで出来た頑丈そうな橋が見えた。
『橋があるってことは、あの向こう側に行けば街があるかも』
波留は何気に知識を思い起こしつつ、人気のある方向を目指して歩いた。
誰かに遭えば、この状況から抜け出せるはず。
舗装されていない土手の道をテクテクと歩く。
水面はキラキラと輝いていて、手前に河原があり浅瀬が続く。
辺りの景色を見渡せば、春爛漫の小川のようだ。
さっきまでのススキ野原だった景色はもうどこにもない。
ただ、最初に見えたはるか向こうに山並みが霞んで見える。
最初に見た景色は深まる秋のようで、何処までも続くススキの草原だったのに、なんだかとても不思議だ。
寒さは感じないけれど、季節はまるで秋から春になったよう。
なんだか変な感じはするが、それがなんなのかはわからない。
ふと、河原に目をやると、数人の幼い子どもたちが遊んでいる。
何をしているのだろうと思い、波留は土手から河原へ下りてみた。
彼等は河原の石を一生懸命に積み上げている。
なぜ、そんな事を…!?
不思議に思って声を掛けようとしたら、「水が来るよ、逃げなきゃ!」と一人の子どもが叫んだ。
波留も驚いて土手の上へ逃げる。
振り返ると、今までいた河原は水嵩が増して水底へ沈んでいる。
「あ~、せっかくあの子たちが積み重ねた石が…。」
そう、すべて流されてしまっていた。
そして、見る間に水は元通りの場所まで戻っている。
また、穏やかな川の流れに、水面が煌めいていた。
今のは一体何だったんだろう。
石を積み重ねる子どもと、水嵩が増す小川。
此処は一体…どこ!?
あのおじいさんが言ったように、現世との境って事だろうか。
波留はだんだんココが現世ではないと思い始めていた。
そして見えている橋を目指して、川岸の土手を川上に向かって歩く。
しばらくすると橋の袂にたどり着いた。
けれど、途端に迷いが生まれ、渡る事に躊躇いが生じる。
それがどうしてなのか分からず、ただ漠然と不安に駆られた。
このまま先に進むと、何やら後悔しそうな不安。
二の足を踏むとはこの事だろうか!?
最近読んだ本に載っていた諺だ。
ためらいがちに橋の袂で佇んでいると、ふと人の気配がして波留は振り向いた。
「…誰!?」
そこに佇んでいたのは四〇代ぐらいの和服の女性。
余り和服に詳しくはないのだけれど、一見して高そうな着物であるとみてとれた。
『う、う~ん、小学生の無知な波留にもわかるなんて、相当な良いお召し物ってことか。』
少し引き気味に、その上品そうな女性を凝視する。
女性は波留に穏やかな声色で話しかけた。




