新しい生活
高校受験を控えたある日、波留の志望校は地元の普通科のある高校だった。
偏差値50以内であれば余裕で受験できる。
ただ、他の子たちのように塾通いをしていなかったので、中堅クラスの高校を選んだ。
何故って、結局母の典江は浮気を繰り返し、波留が4年生になる頃、両親の離婚が成立した。
小中学生組は母親の親権になり、高校生以上の姉たちは父親に引き取られることになった。
それに伴い、尚子以下の娘たちは母方の旧姓になる。
波留は父や兄と別れることに泣いて嫌がったが、こればかりは子どもの意志ではどうしようもない。
泣きじゃくる波留を慰めたのは兄の賢治だった。
「波留、兄ちゃんはお前を見捨てたりしない。」
そう言って、いつでも自分を頼ればいいと言ってくれたが…猛反対する姉たち一同。
「そうやって、波留ばかり甘やかす!」
「仕方がないじゃないか、波留はまだ小学生なんだぞ。」
賢治にとって、妹の波留は何時まで経っても幼く病弱な妹だ。
「有紀だって小学生じゃないの。」
そう言われても、賢治には有紀に対して波留のような愛情が湧かない。
母の暴挙を止められず、病弱に生れついた波留の方に気が向いてしまう。
また、素直に甘えてくる波留が可愛いし、裏切りの不義の証である有紀は、向き合うのが誰しもつらく悲しい。
こればかりは理屈じゃないのである。
だからつい有紀の事は忘れがちになるため、二人一緒に何でも考えてしまうのだ。
有紀が先ではなく、波留の方が先に来る。
七五三も一つ違いなのに、有紀と波留は一緒だった。
一方で尚子は自己主張をするため、母も欠かすこともないのだが、大人しい朋子は後回し。
長女や長男は父が忘れないし、次女や三女の事は美恵子が面倒を見ていて忘れない。
だから末っ子の波留は忘れられず、尚且つ病弱児なので父と兄が構う。
なので、尚子にとって邪魔な存在の筆頭が波留だった。
そして、母に引き取られることになった波留に待っていたのは…暴君となった尚子の支配だった。
波留達の生活は一変した。
それまでは家もあれば、生活に困ることもなかった。
父親の収入があり、家事の苦手な母に変わって姉たちがいた。
困ったことがあっても相談できる兄弟姉妹がいたのである。
そう、留守がちな父や放置癖のある母親の代わりに、私たちに気を付けて面倒を見てくれる人がいた。
だけど、母の度重なる浮気に愛想尽かした上の姉たちが出て行き、父親側についてしまった。
まだ自立できない小中学生組は、母の典江に引き取られることで離婚が成立する。
こうして暗明に別れて生活が始まった。
まず、母が外に勤めに出た。
必然的に中学生組が家事を担うのだが…尚子にはその能力がない。
無いモノは仕方がない。
なので家事は分担することになった。
掃除、洗濯物は各自で行い、買い出しは有紀と波留で、炊事は朋子が行う。
そして尚子と言えば、受験を言い訳に母が免除した。
しかも有紀と波留の習い事を止めさせ、その月謝でさらに評判の良い進学塾へ通った。
これにはさすがの波留も我慢ならず、手紙で父と兄に訴えたが、その事がばれて折檻される。
とかく尚子は自分の悪事が他人に知られるのを嫌う。
それならしなきゃいいと思うのだが、兎に角外面を必死で取り繕っていた。
世間的には、家事全般を母親に代わって仕切り、塾にも通う優等生…という仮面をかぶっていた。
何のために…!?
さあ、なんだかよくわからないが、必死で誤魔化し偽っている。
だけど、そんなことは波留にはどうでもいい。
今、自分が置かれた環境は、非常に厳しい現実なのだという事だ。
先の見えない不安と頼る者のいない日々。
何故だか、母も姉たちも父や兄に頼ることを良しとしない。
食べて行くのもやっとで、高校進学や就職について、今の環境は不利であるという事だけはわかる。
その原因は母にあるのに、何故か母も尚子も父親のせいにしているのだ。
子どもにはわからない理由があるというのだけれど、波留にしてみれば理不尽な目に遭っていることだけは事実。
その元凶はどう見ても母だと思うのだが…波留は母の浮気について、まだ何も知らなかった。
波留にとっての不遇の時代の始まり。
典江のネグレクトはさらに加速する。
元々、典江は「親は無くとも子は育つ」がモットーで、子育ては放任主義だ。
そこへ持って、ようやく離婚により自由の身になったわけで、子育てに煩わせたくない。
あわよくば他の誰かに押し付けたかったが、適当な人間が見つからず、成人組に愛想つかされていて、そう言うわけにいかないので、中学生組に小学生の二人を押し付けた。
長女の美恵子はよく妹の面倒を見ていたし、浮気をして有紀を生むまでは兄弟姉妹の仲も良かった。
それが有紀の誕生以降、上の四人は家に寄り付かず、自立して自分たちだけで生活し始めた。
愛海は結美と元々気が合うようで仲が良く、尚子は朋子を従えた。
その愛海と結美を美恵子は可愛がっていた。
母の裏切り発覚後、美恵子は愛海と結美を保護下に置き、ドンドン母親と距離を置いて行く。
美恵子の影響を受けた二人は、中学生になると家を離れ、母親には一切連絡もたなかったという。
だから余計に典江は尚子を可愛がり、贔屓するようになったというわけ。
何でも尚子を優先するようになった。
お陰で尚子の我儘ぶりは加速する。
優秀な兄や姉から解放され、自分が目立つさまは心地が良い。
だが一方で、小学生時代のようにはいかず、成績が伸び悩む。
以前と比べ欲しい物が手に入り、ライバルであった結美の存在が無いので張り合いがない。
おまけに長女に替わって家事全般を仕切らなければならないプレッシャー。
しかも家事なんてしたことが無い尚子には耐えられなかった。
尚子は、自分が如何に恵まれた環境で育ったか、まったく自覚はないので、今までずっと典江の言う通りにしてきた。
何でもハイハイと聞いていれば良かったのである。
溺愛され、我儘に育ったという自覚もなく、自分は常に正しいという思い込み。
面倒な事も嫌な事も、大人しい従順な妹に押し付けてしまえばいい。
だから母に付き従っても不自由はないと信じていた。
だが、現実には妹たちの面倒を押し付けられ、不自由な暮らしが待っていたのである。
『話が違う…』
尚子はそう思ったが、もう今更どうしようもない。
中学受験もせずに地元の中学へ通ったのは、優等生でチヤホヤされる予定だったからで、まさか成績が落ちて落ちこぼれるとは夢にも思っていなかった。
余裕で進学校へ通い、大学も姉たちに習って行くはずが…現実には高校進学も危うい。
こうなったのは誰のせい!?
尚子は、矛先を母の典江ではく、妹である波留に責任転換したのだった。




