とある事件
温かくて優しかった。
佐藤の一言一言が、佐藤の存在が。
だんだんそうして千恵は自分を大切にすることを思い出していた。
他人にいくら価値がないとバカにされようと後ろ指を指されて笑われようと
そんなこと気にしなくていいと、自分は自分でいるべきだと分かっていてもやっぱり他人の言葉は少なからず自分に影響を与えるのだ。
それは逆の言葉でも同じで、思いやりのある言葉がどんどん千恵を強くしていった。
なんだかんだ言って強がって一人で生きても、一人で生きているふりをしても、本当のことを言うと誰かといたかった。誰かといる幸せを知っていたから。それを佐藤と俊郎のおかげでまた思い出すことが出来た。
帰り道二人で歩いた。夕日が綺麗だった。
その光に照らされた佐藤の髪はなんだかとても温かそうでずっと見ていたいと思えた。
それと同時にいつか離れる日が来ることもなんとなく分かっていた。
「ん?どうした?」
「別に。なんでもないわよ」
今はこうして佐藤は私のことを守ってくれている。
でもこの問題が解決したら?佐藤はまた別の世界にいくのだろう。そうしてなんだかんだでまた誰かを救うのだろう。こんなにも優しいんだ。きっとコイツは今までもこうして 誰かを救ってきたのだ。私もそのうちの一人なだけでなにも特別なんかじゃないのだ。
いや、まぁ別に特別じゃなくてもいいんだけど。全然別にいなくてもいいんだけど。
「私…。どうしたらいいのかなぁ?」
「どうしたいの?」
「……いじめがなくなってほしいかなぁ」
「俺がいるから大丈夫だ」
「なにその自信は…。どっからくるのさ」
「自信なんてねーよ。でも、諦めなければ願いは叶うんだよ。
少なくとも俺は絶対諦めないから。最後までお前のそばにいる」
それを聞いて少しだけ涙が溜まって鼻の奥がツンとした。
それを隠すように千恵は言う。
「バカね」
「よく言われるよ」
とハハッと佐藤は笑う。
「でも…。ありがとう」
聞こえない声でお礼を言う。
「え?なんか言った?」
「言った言った。あんたに聞こえないようにあんたの悪口言ったわ」
「なんだよそれ…」
そうして二人で笑って帰った。こんな日がずっとずっと続いてほしかった。
***
「行ってきます」
千恵は最近家を出るときちゃんと挨拶をするようになった。
「いってらっしゃい」
それに対し俊郎は少し涙ぐむ。
なんて顔してんのよ……。きもオヤジ……。
そんな小言を聞こえるように言われるがそれでも嬉しかった。
どんな話でも千恵と話せるのが嬉しかったのだ。
今日の天気は晴れ。
最近は学校へ行くのが少しずつ楽しみになってきた。
学校へ行くというよりも、千恵は佐藤と会うのが楽しみになってきたのだ。
友達としてか異性としてかはまだそんなことは分からないが、人に仲良くしてもらえるのが久しぶりで、俊郎以外とご飯を食べるのが久しぶりで、たわいもないテレビのバラエティ番組の話、次の授業の話、
そんな明日には忘れてしまうような、意味のないやりとりが何よりも幸せだった。
今まで当たり前だと思っていた。でもそれは失って初めて当たり前じゃなかったのだと知った。
そしてまた自分の元に同じ幸せが少しずつ戻ってきた。
もう千恵はそれを当たり前のことだと思うことはないだろう。
思うことは出来ないだろう。
学校についた。靴を履き替える。いつもならここぐらいのタイミングで眠たそうな佐藤が「おはよう」と挨拶をくれる。
でも今日はそんな姿をみることはなかった。
別に毎日ここで出会うわけでもなかったので、少し残念に思っただけだ。
少しの動悸を抱えながら教室に入る。佐藤の席を横目で見たがどうやらまだ学校に来ていなかったらしい。
「でさー、うちの彼氏がぁー」
「ギャハハハ、まじでそれヤバくない?」
「さすが武闘派はすごいね、格闘技やってんだって?」
条件反射で頭が痛くなる声が廊下から聞こえてきた。
池田愛
関根由佳
矢田郁美
いじめっ子三人組のご登校である。
千恵は見つからないように音楽を聞いて寝たふりをする。
佐藤……。早くきてよ……。いつもあいつらよりかは早くきて私の前の席で話しかけてくれてるじゃんか……。バカ……。寝坊なのか……。私を一人にしないでよ……。
心の中で何度も佐藤の名前を呼んだ。
真っ暗の中でギターの音が響く。
まるで演奏者の指の動きが想像出来るくらい音しか聞こえない。
聞こえないようにした。
チャイムの音が響いた。なんとかこの時間は絡まれずに済んだようだ。
学校で一人なのは久しぶりだったから動悸が酷かった。
起き上がり佐藤の席を見る。そこに佐藤の姿はなかった。
スマホを取り出す。連絡は誰からもない。
「まぁ……。別に休むからって連絡送り合う仲じゃないもんな……」
自分がとっさにとった行動を少し恥ずかしく感じた。
いつから私はこんなに人に依存してしまう弱い子になってしまったのだろう。
今日は佐藤はいないけど、一人で頑張ろう。そう胸に誓った。
「えー…。今日は一つ連絡があります」
先生が教卓に両手をつき体重を乗せ前のめりになりながら真剣は表情を作った。
それがすごくイヤだった。
すごく胸騒ぎがした。
頼むからあいつの名前を言ってくれるな。頼むからそれだけはやめてくれ。神様……。
そう千恵は祈った。先生が次の言葉を発するまで無限の時間を感じた。その無限の時間の中で一回でも多く今日休んでいるバカ野郎のことを想った。
強くまぶたを閉じ、太ももの上で力いっぱいの握り拳を作り体を硬直させた。まるでこれから襲い来る現実に抵抗するかのように。
「………。知っている人もいるかもしれませんが、佐藤君は今入院しています。場所はー……」
体の血の気が一気に引くのを感じた。
どこにそんなに移動するスペースがあるのだろうかと考えるほど頭から一気になくなった。
最初の言葉しか意味を理解することが出来なかった。
「え………?なんだこれ……」
声に出たのか分からない。千恵の耳には入らなかったからだ。
そしてガクガクと小刻みに体が震えだしたかと思うと、ドバっと体中の穴という穴から汗が吹き出た。
気持ち悪い感覚だったから、冷や汗なのだと知ることが出来た。
視界がぼやぁと狂い始める。
「え………」
ようやく一言誰にも届かない声で、口から溢れでた。
先生は詳しいことはまだ分かってないと言った。ただ警察が言うには事故ではなくなんらかの事件に巻き込まれたらしい。今後のことは学校が対応するから待っていてほしい。お見舞いに行きたい人は一応クラスメイトだと病院側に伝えてくれと言った。
しんー…とクラスが静まったのが分かった。
そして徐々にざわざわと声が増幅し始めた。
その雑音の中に千恵の声はなかった。