光
学校から帰宅すると俊郎が待っていた。
すごく心配していたのだろう。少しだけやつれたように見える。
千恵の表情を見て俊郎は聞くことに決めた。
「どうだった…?」
「ダメ…だった」
ダメだったと言われたが、俊郎の目から見た千恵は明るい顔をしていた。それが不思議だった。
「今日ね。クラスの男の子がね。私に、なんかあったら言えって言ってくれたんだ」
黙って聞いている俊郎を見て千恵は続けた。
「だから、大丈夫だよ」
「…そっか」
俊郎もようやく肩の力を抜いた。
「今日はダメだったけど、明日もう一回頑張ってみる…。
もう一度…。何度でも……出来るまで」
「とうちゃんはいつでも応援してるぞ。それで……千恵?」
「ん……?なに?」
「そ…そそそその男の子のことす…好きに、なっちゃったり…」
「は……はぁ?!!」
千恵は驚きそして呆れた。
「い、いや別に千恵に彼氏が出来るのがイヤってわけじゃないぞ。ただちょっと気になっただけで」
「か…彼氏って…!そもそも今日初めて話したんだから好きになるわけないでしょ!!」
「え!あ… とうちゃんの早とちりか。ならいいんだ。あ!いや、いいってわけでもないけど。うん」
千恵は大きくため息を吐いて
「ばか……」と言った。
***
夜。自室のベッドに潜り込んだ。
なぜだろう。昨日よりもドキドキが少ない。吐き気もしないんだ。なんでだろう。
分かっていた。理由なんて一つだけだった。自分を肯定してくれる存在が一つ出来た。
そのたった一つだけで「自分は大丈夫だ、間違ってないんだ」って思うことが出来たから。
……嬉しいんだ、とっても。
そして翌朝いつも通り学校へ向かう。
また辛い辛い一日が始まる。でも、楽しみでもあった。
味方になってくれる人がいたから。そのことでどう変わるとしても、きっと悪いほうには変わらないだろうから。
そんなことを考えていると、靴箱で佐藤に会った。
千恵は少しだけ照れる。
「…おはよ」
「おう。元気そうじゃん」
「…なんでよ」
「別に?顔が笑ってたから」
ボッと耳が熱くなった。幸いにも髪の毛で隠れてるからバレてはいないだろう。
「きゅ… 急に変なこと言うなよ!」
佐藤は頭にハテナを浮かべ「分かった」と言った。
絶対分かってない。
「な…なんで隣を一緒に歩くの?!」
「は?別に歩いてねーじゃん。クラス一緒なんだから仕方なくね?」
「そりゃそうだけど」
男子と話したことがあまりない千恵は、変に意識してしまった。逆に佐藤はテンパったりもせず普段と同じように静かに話していた。そのことがいっそう千恵をキョドらせる。
教室についたら別々の席につく。クラスメイトから見たらいつもと変わらない日常。
ただ違って見えるのは千恵ただ一人。それでなぜか優越感に浸れ安心もした。
しかしその平穏も束の間だった。
「ふぁ~ 朝だっりぃ~」
「やっべ!宿題やってねぇ」
「キャハハハ!ぶぁーかじゃーん」
いじめっ子三人組。
池田愛
関根由佳
矢田郁美
のご登校である。癖で体が強ばる。目をつけられてもアレなので音楽を聞いて寝たふりをする。
すると近づく足音がした。前の席の椅子をひいて誰かが座る音がした。千恵は顔をふせていたので、前に誰が座ったか分からなかった。
「…なに聴いてんの?」
「……内緒」
その声の主は佐藤まさきだった。さして興味がなかったのだろうか。質問を重ねることはしなかった。
「嫌なことを言われたらちゃんと言い返していいんだぞ。お前が他人に蔑まれてもいい理由なんて一つもないんだから。顔あげて堂々としてろ。今はもう俺がいるんだから」
千恵はゆっくりと伏せていた頭をあげた。視界を開くとすぐそばに佐藤がいた。
佐藤は特にこっちを見ることもなく、スマホを触っていた。その日の朝の時間は
佐藤がいてくれたおかげか、とくに池田たちからなにかをされることはなかった。
***
「どっかで飯食べるか」
昼休み。佐藤は弁当箱を片手に千恵のところにやってきた。
佐藤の提案に千恵も甘えることにした。校舎の屋上で並んで弁当を食べる。
「今日は弁当捨てられなくてよかったね」
佐藤はハハっと笑ってそう言った。
「…うん。これ毎日おとんが作ってくれてたから」
「へー、今時すごいね。家事ちゃんとやる父親って」
「…うちお母さん亡くなってるからさ」
「いい父ちゃんだな。」
佐藤はそう一言つぶやいた。
「年頃の娘が他の女の子とご飯食べても恥ずかしくないように出来てる。
普通男が弁当つくったら茶色ばかりになるもんなんだけどさ」
言われてみて確かにそうだと気づいた。今まではこれが普通だとそう思ってたから。
「……うん。自慢の父ちゃんだよ…。」
千恵は小さくそう返した。
「ていうか佐藤くん」
「ん?」
「なんかごめんね。ずっと私と一緒にいてくれてるし、そんなに気使ってくれなくても大丈夫だよ」
佐藤は大きなため息を吐いて
「…つまり僕のことはいらないと」
「えっ、いやそういう意味じゃないよ実際すごい助かってるし。ただ私なんかに時間とられて、なんか申し訳なくなってさ」
佐藤は意地悪そうな微笑みを浮かべながら
「じゃあオレにはいてほしくない?」
千恵は少し顔を赤くしながら小さく
「…いてくれたら助かる」
と言った。それを聞いた佐藤はニッコリと笑って
「素直でよろしい」
とそう言った。
「竹中さんはもっと人を頼ることを覚えたほうがいいな。なんでも一人の力でやらなくていいんだ。頼られて喜ぶ人もいる。頼られることで救われる人もいる。そのことをもっと知ったほうがいい」
そう教えてくれた佐藤の声は優しかった。千恵は父親のことを思い出していた。
「……頼られることで救われる人もいる」
「あんたが悲しむよりも、あんたに幸せでいてほしいと願う人もいる」
「あり…がとう。私もっと頼るね。辛いときはちゃんと辛いっていうから…」
不思議と佐藤の言葉は千恵に温かさをくれた。
それはずっと忘れていたような、でも最近また思い出したような、傷ついた心を治してくれるように。
優しく温めてくれた。千恵の胸の辺りがふわっと温かくなった。