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親の涙



翌日、静かな朝を迎えた。前日はあれ以上なにも喋ることは出来なかった。

ぐちゃぐちゃになっていた思考回路が、余計なことを口走りそうで怖かったから。



リビングにいくと俊郎が座って待っていた。

「おはよう」

「……はよ」

何日ぶりかの挨拶を交わす。

「それでなにされたんだ?」

「いや、もういいよ。大丈夫だから」

「大丈夫な奴は腕なんか切らないんだよ」



俊郎が真剣な眼差しで千恵を見る。

もしかしたらこんなに真剣な親の表情を見るのは生まれて初めてかもしれない。そしてようやく、昨日の自分の行為の重大性に気付いた。観念して話し始める。

「普通に悪口言われたり、無視されたり、持ち物捨てられたり。そんくらい。

世の中のいじめに比べたら軽いね。こんなんで死にたいなんて私は弱いね」

「千恵は弱いんじゃないよ。優しい子だから」

「優しくなんかないよ。だって私もいじめしたことあるもん。

だから、私も黙っていじめられるしかないんだよ

罰が当たったんだ。きっと神様から」



千恵は昨晩からずっと目が虚ろだった。

もう全部諦めたような顔をしていた。

俊郎にとってそれが一番悲しかった。



「千恵」

「なに?」

「ごめんな… 気づけなくてごめん… ごめん」

ごめん……と繰り返す声にだんだん嗚咽が混じる。

「……泣かないでよ」

「お父さんがもっと……ちゃんと毎日話していれば、千恵は自分の体を傷つけずにすんだ」

「そんなことないよ?ごめんね。こんな娘で」

「こんな娘なんて言うな。オレにとっちゃたった一人の娘なんだ。生きててくれてよかった……」

「……うん。もうやらないよ。だから泣かないで」

自分の隣で目を抑えながら声を震わしている父親の手を握った。

父親が泣いているところを初めて見た。



***



「ちょっと外でようか、この時間なら学校の人にも会わないだろう」

「うん」

二人で並べない小さな玄関、順番に靴を履いた。

「鍵かけた?」

「かけたよ」

二人で並んで歩くなんて何年ぶりだろう。

いつも家を出る時間帯が違っていたので、こうして話をするのもずいぶん昔のことのように思えた。

「痛かっただろ?」

「え?」

「手首」

「あ、うん。なんか分かんない。でも、これで気持ちが楽になるのかなぁって思っちゃった。一瞬だけね。

ほんとはそんなこと全然ないのにね。」




午前十時、閑静な住宅街。

みんなそれぞれの生活のための活動を始めている時間。

俊郎たちも生活のために話し合う。これからのことを逃げずにちゃんと。

「どこ行くの?」

「ん?お母さんの墓参り。」

俊郎はもちろんこれからのことを真剣に考えてはいるが、どこか嬉しそうだった。

どんな問題が起ころうと『娘と会話する』

この幸福量を上回る絶望はそうそうないのである。

バケツと桶と雑巾を借りて母 比奈子ひなこの墓の前に立つ。

なにも言わずに黙々と墓周りを掃除する。千恵は買ってきた花の長さを整えていた。



「昔はお墓ってすごく大きいイメージがあったんだけど、追い抜いちゃったなぁ」

と千恵が墓の前で呟いた。

「…きっとお母さんも喜んでるよ」

と俊郎は微笑んだ。

数珠を取り出す。薄いピンクの綺麗な数珠。比奈子の数珠だった。

「手は叩いちゃダメだったよね?」

「そうだよ」

スッと手を合わせ、祈る。

お母さんへ

元気ですか?

私はちょっと元気ないです…。って言ったら心配かけちゃうかな?

今は少ししんどいけど頑張るから大丈夫だよ。

だって私お母さんの子だから強いよ。


あと最近アルバイト始めました。スーパーです。

まだまだ覚えることが多くて、毎日怒られていますが、続けていこうと思っています。

お父さんにはいえませんが、少しだけ働くことの大変さが分かりました。

こんなアルバイトで八百円の仕事なら、きっとお父さんはもっと大変な仕事を毎日朝から晩までして、私のことを育ててくれてるんだなぁって、アルバイトながら少し思いました。


お父さんには、こんなこと恥ずかしくて話せません。それにすぐ調子に乗ります。

でも、少しずつ労れたらなぁとも少しだけほんのちょっとだけ考えてもいいかなぁと。

お母さんがくれた体傷つけちゃってごめんね。

お父さんが怒ってくれました。それがなんか嬉しかった。

いろいろ頑張ります。見守っていてください。

千恵。





「………」

千恵はゆっくりと目を開けた。

「いっぱい話したね」

千恵は少し照れて「そういうこと言うなよ」という目で俊郎を見る。


「じゃあ今度はお父さんが」

「はい」

ピンクの数珠を渡した。

「………」

毎日お仏壇に祈っているくせにおとんだって長いじゃんか。

とツッコミたくなったが、それは野暮だと思った。




帰り道。千恵は俊郎の隣で真っ直ぐに前を見つめる。

「おとん。私学校には行くよ。負けたくないから」

と力強く父親に宣言する。

俊郎は千恵の背中をポンっと叩き

「苛められたら、一度キレてみな。アイツら弱いもんいじめしかできねーから。

千恵は強いよ。強くて優しい。だから負けない。それでもダメだったらまた言いなさい」

とアドバイスした。


誰もが一度は通る道。誰かとぶつかったとき、傷つけられたとき、乗り切れるかどうか。

俊郎はこの壁を千恵には自分で越えてほしかった。


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