マーメイド・ラプソディ
水面が夕暮れの色に染められ、潮風が頬を撫でる海辺から、取り残された様に僕は青かった。それが見た目だけによるものでないのは、特筆する必要もないだろう。それ程までに未熟だったのだ。いつになったらこの風景のごとく赤々しく熟す事ができるのだろうか。
「そろそろ本気出さないと、どこにも行けないよ」
今日の昼、教師に言われた言葉だ。高校受験を半年後に控えたにも関わらず、勉強面で飛躍的な伸びが見られないとの事だった。だが、僕から言わせれば、こんな知識何の役に立つと言うのだ。誰かが「将来、意外な形で自分の味方をしてくれるものだから」と言っていた。抽象的で具体性に欠けているくだらない主張だ。
学校という巨大な檻に閉じ込められ、教師という飼育員が育てた生徒という動物達は、社会という野生に突然放される。更に飼育員達が動物に教え込んだのは、野生を生き抜く技術や知識ではなく、それとはほとんど関係のない数字や名前に囲まれたつまらない知識なのだ。
そんな人生を辿るならばいっそ、僕は自由になりたい。
赤い海に一歩足を踏み入れた。冷たい流れが、暑さを少し和らげた。もう少し深いところに行っても大丈夫そうだな、と思った。その時、近くの岩の辺りから、歌声のようなものが聞こえた。それは微々たる音だったので、本当に歌声なのかは分からなかったし、更に深いところに行く事になるので近づくのはやめにした。
「いつか自由と愛の羽を持って空へ昇りたい」
多分、そんな感じの歌だったと思う。僕の心にぴたっと寄り添う歌詞が印象的だ。
しかし、しばらく耳を傾けていると、ある違和感に見舞われた。
「そういやこの時間、普通なら誰もいないんだよな……」
頭上は依然赤く染まっていたが、遠くの方は星の天井に覆われていた。こんな時間に、海の中で歌なんて歌うだろうか。しかも歌声から察するに、年端もいかぬ少女だろう。ここら辺におよそ少女と呼ばれる住人はいないのだが……。
……まさか
昔、ばあちゃんから「この辺りの海には人魚がいる」と言われたことがある。今の歳になって信じるわけではないが、他に可能性が考えられない。つまり、この声は……人魚のものかもしれない。
「でもなぁ……人魚なんて、おとぎの話の領域だし……」
少しの間悩んでいると、目を疑うような光景が飛び込んできた。
突然歌が聞こえなくなったと思えば、岩裏から人が飛び跳ねたのだ。
いや、正確には上半身が人の姿をした何かが飛び跳ねた。下半身は魚の尾ビレの様なものが見えた。
「まじかよ……」
本物だ。本物の人魚だ。何事にも縛られない、伸び伸びとした姿で跳んでいた。不思議と、恐怖は感じなかった。それよりも、あまりにも自由なその姿に羨ましいとさえ思う程だった。
また一歩、海の中へと進む。
だが、僕が一歩だと思っていたものは違っていたらしく、もう腰まで浸かるほど進んでいたようだ。
人魚がもう一度飛び跳ねた。
水しぶきが少しだけ頭に降り注いだ。手を伸ばせば触れられるのではないかと思う。同時に、触れられたら自分も自由になれるのではないかと感じた。
肩まで水が迫っていたが、構わず一歩進んだ……が、いきなり深くなる構造だったようで、そのまま沈んでしまった。
……今更だが、僕は泳げない。
どこまでも青くて黒い空間が広がっていた。海が赤いのは表面だけで、中身は青いのだ。僕とまるで同じじゃないか。
もう助からないとどこかで感じていた。だって助けを求めてないし、第一辺りに人はいなかったのだ。
このまま、沈んでしまおう。
すると、青と黒の世界にひと粒の赤い光が見えた。
「こっちにおいで」
少女のように甲高い声。言われるがままに海の深く、深くへと進んでいった。
ーーーこれで僕も自由にーーー
静まり返って、逆に五月蝿い夏の海。波打つ音だけが永遠に聞こえるような浜辺には一つの言い伝えがある。
この辺りには歌の好きな人魚がいる。その歌声を聞いてしまったら、逃げなくてはならない。
その姿を見てしまったが最後、海の深く深くへと引きずり込まれ、死んでも還る事はできなくなる。
永久に、それらと共に暮らし、それらと同じ形容になり、それらと同じように人間をそそのかし続ける。
ーーー自由になんてなれない。
こんにちは。夏の暑さには耐えられない春瑠です。
今回は色鮮やかな情景描写に挑戦してみました。綺麗な景色の中に狂気が隠れてる、と言った感じでしょうか。
あと、少しだけ中学校時代に思っていた事も書いてみました。なんで勉強しなきゃいけないの!と常に思っているような生徒でした。
そういえば、受験生は「夏を制するものは受験を制す」と言われる時期ではないでしょうか。
去年、受験を体験した身としては本当にその通りだと思います。なんやかんや言われて、ストレスもたまると思いますが、頑張ってくださいね。