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4日目

 次の日、雨はすっかり止んで、雲ひとつない青空が広がっていた。昨日の分もと言わんばかりに小鳥が元気いっぱい飛びまわる。

 まだ誰も起きてきていないのか、廊下はしんと静まり返っていた。

 つい教会へと行こうとする足を止める。

(我ながら、未練がましいわ……)

 今まで休ませてもらってた分、精一杯働かなくっちゃ。と、サリナが意気込んだそのときだった。

 誰もいない台所。庭に面したその窓を、こつんこつんと叩くものがあった。

 すでに日が昇っていたので分かりづらかったが、それは微かに紫色の光を放っている。

『紫色の光が外をたゆたってて、それで外に出たら、後ろから……』

 三日前、声を震わせながら告げた幼馴染の言葉を思い出し、サリナは息を呑んだ。

(まさか……でも……)

 二の句が継げない頭とは裏腹に、身体は勝手口へ向かって走っていた。たったひとりの心当たり。今、一番会いたかった人のことを思って。

 庭へ飛び出しさまよわせた視線を受け止めたのは、まぎれもないルカだった。

 昨日のジュリオのように、長いローブで日の光を遮っている。やっぱり、そんな、ふたつの思いが複雑に混ざり合って息が詰まった。

 驚き入ってしまっているサリナにルカが近づく。

「……昨日は、すまなかった」

 何度か躊躇いながらもゆっくりと口を開くと、それを皮切りにルカは淡々と話しだした。

 ひとり教会で知った、プリムラの雫の正体。四日前、ジュリオを襲ったこと。そして、サリナに手を貸した本当の理由。

 全てを話し終え面を向かうルカに、サリナの顔を窺い見ることはできなかった。俯き、わなわなと唇を震わせる彼女の名をルカが優しく呼ぶ。

「光……っていうのも、ルカだったの」

 それに反応したのかは分からなかったが、サリナは顔を伏せたままで問うた。ルカが小さく頷く。

「俺が吸血鬼に襲われたのは、十年前」

 そう語りだしたルカに、サリナがハッと顔を上げた。

「ルカも人間だったってこと……!?」

「あぁ。でも、家のことも家族のことも、もう覚えてない。誰かに名前を呼ばれるのも、何年ぶりか」

 サリナの瞳が揺れているように見えた。しかし視線で続けて、と促され、気にする間もなく再び口を開く。

「生き物の本能か、襲われて数日後には、この人間を騙し血を貰うための能力があった。今まで何人か吸血鬼には会ったが、この能力はひとりひとり違うものらしい」

 ……なんて、おまえに言っても意味ないか。ルカは苦笑した。

 そんなルカの表情に、サリナが顔を歪ませる。

「意味なくなんか、ないからっ、ルカのこと全部教えてよ……全部話す気になったから、来てくれたんでしょ?」

 泣きそうな笑顔で告げるサリナに、今度はルカが顔を顰めた。

「あぁ……全部話して、俺はこの町を出る」

「え……?」

 意味が分からない、とサリナが大きく目を見開いた。そのままルカとの距離を詰め、真っ白なシャツの胸倉に縋る。

「どうして?そんなこと言わないで、私気付いたの。昨日、もうルカと会えないかもしれないと思って、私、ルカのことっ」

「やめろ」

 堰を切ったように溢れ出す気持ちを、たどたどしくも伝えようとするサリナをルカが制する。

 その無表情は会ったばかりのころの、まだ鋭い空気をまとっていたルカのようで、サリナはひゅっと息を呑んだ。

「サリー、おまえは人間で、俺は吸血鬼なんだ。生きる世界が違う」

 しかしそんな表情とは裏腹に、優しくサリナの肩を掴み、幼子に言い聞かせるかのようにルカが言う。

 確かにそれはサリナに言い聞かせたものだが、しかし同時に自分に言い聞かせるようでもあった。

「おまえたちに姿を見られ吸血鬼だと知られてしまった以上、ここにはいられない。だから、またどこか遠くで新しい居所を見つける。俺のことは忘れろ」

 そう言って、ルカは手を離し踵を返した。そんなルカの腕をサリナが引く。

 ルカがぎゅっと唇を噛みながらも足を止める。その隙にサリナはルカの前へと回った。

「なんでひとりで決めちゃうの、ねぇ、言わせて!私、ルカのこと……ッ!」

 突然の衝撃に、サリナは目をつぶった。

 好きなの――言いかけた自分の唇を、ルカのそれが、塞いでいる。

 何、これ。言いたいことはたくさんあるのに、唇は動かない。言葉にできない。

 本当に数瞬の出来事だったのだろうが、まるで何十分もそうしていたかのようにサリナは錯覚した。

 息苦しくなってきたころにルカがそっと唇を離す。が、それも束の間。気がつけば、ルカの腕の中にいた。

 とくん、と胸が大きく脈を打つ。だんだん早くなる鼓動が伝わるのが恥ずかしくって、細身のわりにしっかりしたルカの胸板を何度か押してみるサリナだったが、彼女の力ではぴくりともせず逆にまた力を込められる。

 真っ赤な頬に構いもせず顔を上げてみるが、ルカと目を合わせることはできなかった。

「俺も……サリーのこと、好きになってたみたいだ、けど」

 途切れ途切れにルカが言葉を紡ぐ。同時に、強く抱きしめられた肩だけではなく、ざわつく胸も疼痛を訴えていた。

 これ以上、聞きたいけれど聞いてはいけないような気がして。

 聞いたら、ルカが離れていってしまう。そんな気がしてサリナは眉根を寄せた。

「俺たちは一緒にはなれない、から」

 そう言った声は震えていたような気がした。ルカ、と小さく呟くと、名残惜しくもそっとその腕から解放される。

 じっとサリナを見つめると、再びルカが口を開こうとする。サリナは悟っていた。これから紡がれるのは、きっと、別れの台詞。

 それが形になってしまうまえに、とサリナが先に口を開く。

「じゃあ、ルカ。私がこれを飲んで、ルカについていくのはダメなの?」

 エプロンのポケットからプリムラの雫――昨日見つけた小瓶を片手にそう告げるサリナに、ルカが眦を決した。

「ダメだ!!」

 叫び声とともに、サリナの手が叩かれ小瓶が飛ぶ。青草の上に静かに着地したそれに傷はなく、中身が零れるようなことはなかった。しかしサリナはすっかり色を失って、転がる小瓶を見つめていた。

 そんなサリナにハッとして、ルカが自分の掌を見つめる。

 自分は今、何をした――ルカもまた今の状況に肝を潰していた。

 そして幾度逡巡しながらも、なんとか口を開く。

「す、まない……でも、おまえが薬を飲む必要も俺についてくる必要も……、ない」

 サリナも我に返り、歩き出して小瓶を拾う。

 また元の位置に戻ると、ルカの顔を見上げた。

「どうして?ルカの目的は、これだったんじゃないの?」

「そうだ……けど、今はもう、そうは思わない。サリーとそんな関係には、なりたくない」

 疑問符を浮かべるサリナに、ルカが顔を顰めながら答える。過去の自分とはいえ、そんなことを考えていたなんて。ルカは心の中で歯軋りした。

「それにおまえには家があるだろう。一人娘のサリーが出ていったらこの服屋はどうなるんだ」

 町一番の自慢の服屋じゃないか、とルカがサリナの頭を撫でた。

 その言葉に、サリナがかっと瞠目する。いつもなら切なくなってしまう、頭の上に置かれた手にも見向きもしない。

 再び小瓶を掲げ、光の戻った瞳でルカを見上げた。

「だったら、ルカがこの町に残ればいいのよ……これを飲んで!」

 何を言っている、と訝しげにサリナを見つめるルカの冷たい視線にも負けず、サリナは続ける。

「うち、男の子いないから、ルカが婿養子になったらいい!」

 突拍子もなく、しかもやたらに積極的なサリナの台詞に今度はルカが瞠目する番だった。

「なッ……!?」

 それならいいでしょ、と縋ってくるサリナの肩を押す。肩を竦めて、言葉を返した。

「サリー……俺はこの町一番の豪商の息子を襲ってしまったんだろう。いくら人間に戻ったところで俺がここに住めるわけが」

「そのことはまだ、お父さんとお母さんしか知らないから。ジルの両親にも、迷子になってたとしか伝えてないの。吸血鬼なんて言って妹に距離を置かれたくないって、ジルが」

「なおさらダメじゃないか、それを知ってて婿養子に迎えるような親がどこにいる」

 そう言って苦笑すると、こつんとサリナの頭を小突く。

 一瞬でもサリナとの生活を夢見た自分があほらしい。今のは、ただの冗談だった。そう考えてこの町を出よう。そう、思い定めようとした。

 しかしそんなこと、サリナは認めない。

「私が決めたの!もうルカひとりで決めさせたりしない!」

「おまえがひとりで決めてるんだろう……」

 そう言って、ルカはサリナを白い目で見る。が、その口は微かに笑みがたたえられていた。それを確認したサリナは、こっそり息をつく。

 ――ルカ、別に嫌とは思ってない、よね。

 子供のように駄々をこねる自分が滑稽に見えて馬鹿らしくても、それでもルカが笑ってくれているならいいと思った。

「それに私、もうルカ以外の人と恋することも結婚することも、絶っ対いやだからね!お父さん、お母さん!」

 最後に付け足されたその言葉に、ルカはハッとしてサリナの視線の先を追い振り返る。

 そこにいたのは、いかにも優しそうな夫婦。しかしその表情はどこか曇っているようにも見えて、ルカは視線を落とした。

 その間にサリナはルカの前へ回って、声高らかに言う。

「姿を見ないと思ったら今日は仕入れの日だったのね。聞いてたでしょ?ルカを婿養子にして!」

 無理があるにも程がある娘の言い分に、夫婦は困ったように顔を見合わせる。それを睨むように見つめていたサリナの襟をルカが緩く引いた。

「サリー、やめろ。だから、無理だと」

「分かった」

 一瞬、時が止まったかのようだった。

 ルカの言葉を遮って耳に届いた低い声は、サリナの父親のものだろう。しかしその内容に、そんなはずがない、と脳が告げている。

 開いたままの口をそのままにルカが顔を上げるが、それから紡がれたのは、

「……は?」

 という一言だけだった。

 ルカと同じく、瞬刻ぽかんとしていたサリナだったが、みるみる満面の笑みをたたえ、ルカの手を取り跳びあがる。

「ほらルカ、聞いた?いいって言われたよ!」

 自分で言っておきながらも花が咲いたような笑顔を向けるサリナと、その両親との間で視線を行ったり来たりさせるルカを見て、サリナの母親は苦笑した。

「やるって言ったら聞かない子だしねぇ。ほんとに結婚しないで店が終わっちゃっても困るし」

 良くも悪しくもマイペースなサリナの思考回路は、きっとこの女性に似たのだろう、とルカは思った。

 傍らで父親も口を開く。

「今回のことは胸にしまっておこう。会話は大体聞かせてもらった。君にならサリーを任せられる」

 そう言って父親は狼狽するルカに近づき、ぽんと肩に手を乗せ、ぎこちなく笑みを浮かべた。

「本当に手のかかる子だが、よろしく頼むよ」

 それだけ告げると、夫婦は家へ戻っていく。庭にサリナとルカだけが残された。

 未だに現状を理解できていないルカにサリナが跳びつき、語りかける。

「ルカ?ねぇ、聞いてる?ふたりとも認めてくれたよ!」

 毎夜毎夜、人を襲い血を喰らう生活。気付かないふりをし続けたが、心は痛み、ぼろぼろになっていった。

 無自覚ながらもその傷を癒し、さらにその生活に終止符を打とうと、会ってそう間もない少女が告げている。

 突然訪れた転機に、ルカは開いた口が塞がらなかった。ゆっくりとサリナのほうを振り返り、掠れた声で言う。

「結、婚?」

 その声に呼応するかのように、暖かい春の風がふたりの間を吹き抜けた。

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