プロローグ
昼間、あんなに咲き誇って全身で春の訪いを告げていた花々も眠りにつき、しかしその威厳を失うことなく上品に項垂れている。草木も眠る丑三つ時とはまさにこのことで、紅い満月とわずかな星が紫の雲に覆われて、外は妖しい闇に包まれていた。
だから、いつもなら明るい日差しをめいっぱい取り込むこの大きな窓も、今はただ闇に染まっているだけ――の、はずだった。
真っ黒な窓に、紫色の光が映る。それは蝋燭のようにぼんやりと輪郭のはっきりしないものだったが、それなら人間が持っているはずである。しかしそれは、普通の人間の身長ではありえない高さまで昇っていったり、はたまた足元まで降りていったり、ゆらゆらと揺れ動いていた。
その日は偶然寝つきが悪く、こうやって目が覚めるのも何度目であろうか。少年は見るともなしに窓を眺め、その光に気がついた。
寝ぼけていた頭がゆっくり覚醒する。何度まばたきをしても、その光は確かにそこにあった。はっきりとは見えないが、そう遠くない。少年の家の庭の中だった。
(何、あれ……?まさか、泥棒……!?でも、あの動き方、自然じゃない……!)
ぞくり、と肌が粟立つのを感じた。震えだす右手を、左手で押さえこむ。
自分を叱咤するように、少年は呟いた。
「僕はもうすぐベルトリーノ家を継ぐんだ、自分の家は自分で守る……怖くない……!」
まだ熱の残る布団を出て、椅子に掛けてあったカーディガンを羽織る。春になったとはいえ夜は肌寒い。ぶるっと一度体を震わせランプに火を灯し、少年は庭へと向かった。
玄関の扉から頭だけ出し、そっと辺りをうかがう。が、さっきの光はもう見当たらなかった。
意気込んできたものの、なんだかんだ言って怖いものは怖い。それが消えていたことに少年はほっと息をついて扉を閉めた。そのときだった。
「かかったな」
「わッ!?」
低い声とともに、後ろから襟首を掴まれる。まだ小さな少年の身体はいとも簡単に宙に浮き足が空を切る。思い切りもがいてみても、それはびくともしなかった。
「誰だ!放せ!」
手足をばたつかせながら振り返る。そこにいたのは、この国では珍しい黒目に黒髪に服装さえ黒で統一され、やけに白い肌だけが不気味に闇に浮かんだ、端正な顔立ちの男だった。その整った顔でじっと少年を見たかと思うと眉間にしわを寄せる。
「なんだ、おまえは。兄か弟か?若い娘を狙っていたんだが……まぁ、いい」
妹のことだ――それが耳に入るが早いか、少年はパッと顔を上げた。そのとき。
「もう五日も飲まず食わずなんだ。贅沢は言ってられない」
首筋にチクリと鋭い痛みが走る。じわり、温かいものが背中を流れるのを感じ、少年は震えあがった。
――吸血鬼……!
そう思った時にはもう、少年の意識は深く暗闇へと落ちていた。