金烏玉兎 (月曜日)
金烏玉兎、すなわち空にある二つの天体。金のカラスは太陽、玉のウサギは月。その二つが対をなしている。最初にこの言葉を知った時、まるで俺達を示しているようだと思った。
「あそこまでいって、なんで失敗したの?」
と、ウサギは言った。動物のウサギは人語を話すわけがないのだから、もちろんこれは月山兎美が話したということだ。彼女は俺の相棒……いや、俺が彼女の相棒である。
昨日俺達は某所に忍び込み、見事に成敗され逃げ帰った。気絶したウサギを、俺はやっとの思いで俺たちが暮らすアジトまで連れ帰ったというのに、彼女はいつまで俺に愚痴を言い続けるつもりなのだろう。
「何度も言っただろう。あの女の子が場所をすぐに言ってくれなかったからだ」
「縛り上げてでもはかせりゃよかったじゃない!」
ウサギならば本当にやりかねない。というより、やっていただろう。俺にはそんな事をする度胸はない。しかし、度胸がないなどと言えば、間違いなくウサギに怒られる。
「そんな時間はなかった」
「違うでしょ、そんなことできなかったんでしょう。カラスは昔から可愛い女の子に弱すぎる」
女の子に弱い……か。そうかもしれない。でも、そうではないかもしれない。もう終わったことなんだ、深く考えるのは辞めよう。といっても、ウサギが納得するわけじゃないし、面倒だ。
「今日こそ、成功させる……」
とりあえず、これからの自分が頑張れるように、呟く。俺にはこれしかないんだから。ウサギは満足げに笑みを浮かべた。
「そう、その意気込みっ」
彼女は(どこから持ってきたのかわからないが)竹刀を持った。
「ごめん、今回ウサギはお留守番だ」
「なんだと!? あたしを置いてくつもり?」
「その通り。怪我をしてたら、足手まといなんだ」
「戦えるよ! 使えなくなったら置いてけばいいじゃない! そもそもこれはあたしの仕事なんだ!」
仕事熱心だな、御苦労さま。ならばわかっているだろう? この仕事はやる気だけではできないんだ。
俺は用を足しに行くふりをして、アジトを飛び出した。怪我している彼女には追いつけまい。
足手まといである以外に、俺には彼女を連れていきたくない理由がある。
俺達は決まった住処のない人間だった。ウサギは親への反抗心から家を抜け出した。俺はちょっとした事情があって家にいられなくなった。そんな二人が出会ったのは数か月前。十八歳という年齢が一緒だったのもあって、二人はともに行動するようになった。いつの間にかアパートを借りて、二人で暮らすようになっていた。今のところ彼女への恋愛感情はない。俺にとってウサギは妹みたいなもので、大切な存在には変わりがなかった。
二人とも他人には言いたくない過去を抱えていたが、それでも少なくとも俺は幸せだった。少ない稼ぎしか得られなかったが、それでも何とか生きていくことはできた。
全ての不幸は、ウサギが通りすがりの人間から、近くの豪邸から物を盗んでほしいという内容の仕事を頼まれたことから始まった。報酬金はとても高かった。彼女はすぐに了解し、俺にも話してくれた。すぐに俺も協力する気になった。豪邸ならば盗みを働いても構わないなどと、安易な考えにとらわれていた。義賊とやらになった気分で、一瞬で盗み出して、華麗に逃走するつもりだった。
だが、現実はそう上手くはいかない。
ウサギの怪我と家長の女の子の青く透明なまなざしに負けてしまった。俺はすっかり弱気になった。それと共に、自分が何をやろうとしていたのか、はっきりとわかった。盗みは犯罪だ。人を傷つける行為を俺がするなんて、あの日亡くなった子に申し訳がつかない。問題なのは、ウサギがこのまま続けるつもりでいることであった。どうにか彼女を諦めさせなくてはいけないが、その方法が俺には思いつかない。
目標の近くについて、一休みしようとすると、ウサギがやってきた。
「あたしをなめんなよ」
デコピン。
「二人で協力してやるって言ったじゃないの」
「そうだな」
無鉄砲で、自分で行動しなければ気が済まない性格。怖い女だな。ここで納得したふりをしておかないと、次に何をしでかすかわからない。なんでこいつを妹みたいに考えてしまうのだろうか。思わず苦笑した。
「とりあえず、俺が先に行く。様子を見て行けそうなタイミングで合図をするから、それまで待っていてくれ」
今度はできるだけばれないように。解決策は後で考えればいい、今は内部の人間と争いにならないようにすることが優先だ。持ってきた梯子に登り、塀の上に上がる。空を見ると少し欠けた月が真上にあった。
とりあえず中の状況を確認しようと見下ろすと、少年と目があった。これは、まずい。
「誰?」
なんだ、こいつは俺のことを知らないのか、運がいいぞ! このままゆっくり戻れば……梯子の下ではウサギが待ち構えている。駄目だ、このまま降りるわけにはいかない。戻ったら彼女に何をされるかわからない。
ならば前の少年を説得する方が簡単だ。
「あの、お兄さん、この屋敷に入りたいと思ってたんだけど、入り方が分からなくて……」
「なんかその人を見下した態度がムカつく」
駄目だ、駄目だ。これでは余計不審に思われるだけだ。しかも少年の言うとおり、俺は少年を見下している。少なくとも、塀の上からは下りて話さなくては。
塀の上から飛び降りる。恰好よく着地……のつもりがバランスを崩してしまった。尻もちをつく。運悪く地面には砂利が敷き詰められていて、かなり痛い。もう今日は何もやりたくない気分だ。いや、これでは駄目だ! とりあえず、焦るな、俺。
「どうも、運動不足だな。ではなくて、年上にため口とは感心しないな」
「弥生に、ここの人に対してはため口でいい、って言われたんだけど」
弥生って例の家長の女の子か。ということは、重大なミスを犯してしまった!
「もしかしておじさん、あっ、お兄さん……」
おじさんだと! 俺はまだ若いんだ。お前の年齢差も数年程度のはずだ。なんて悠長なこと考えていないで、これは逃げたほうがいいか?
「ヘタレだよね」
あ……。
「うん、完全なヘタレだな。屋敷入れないし、着地失敗するし、弥生の言葉忘れるし。この屋敷には変わった人間が多いんだな」
少年の思い込みに乾杯、いや完敗。
そしてついでに、この屋敷に変わった人間が多いという情報も得た。情報は多いほどいい。あって損するものではないからな。
「ところでお兄さん誰?」
嫌な質問だ。どのように答えれば彼は納得してくれるだろうか。
「屋敷で働いている人間」
「名前は?」
「……佐藤ケイスケ」
もちろん偽名。一部友達の名前を拝借した。俺は自分の本当の名前が嫌いだ。ウサギにさえも教えていない。
「へぇ……」
どうやら騙されたようだ。豪邸というものはやはり、かなりの人数の人間を雇っているものらしい。今後のために覚えておこう。
「ところで、君の名前は?」
「俺は中野ま……」
「ミヤビくん!」
振り返ると家長の女の子と、前回ウサギに怪我を負わせた付添い人みたいなやつがこちらに向かってきていた。まだバレてはいないが、今度こそ逃げるしかない。
塀の脇の倉庫の近くに箱などが上手い具合に置いてある。よし、逃げ出そう。
「あれは!」
気付かれた? いや、俺ではない。
「合図するって言って、いつまであたしをまたせるつもり?」
ウサギがいつの間にか塀の上に立っていた。銀髪が月の光を浴びて輝いている。
「また来たのね……」
「お嬢様、お下がりください!」
家長と付添い人に気付かれた。早く逃げ出さなくては。
「ウサギ!」
「わかってる」
彼女は塀から華麗に飛び降りた。付添い人が迎え撃つ。わかってる、って俺は逃げようと言うつもりだったのに。
「あんた昨日もいたね。覚悟しなさい、今回は手加減しないからっ!」
「負け惜しみですな。何度やっても無駄だ」
このままではウサギが不利だ。しかし非力の俺が突っ込んでいったところで何にもならない。どうにかしてウサギを助けなくては。
俺は冷静にあたりを見回した。近くには倉庫以外の建物はない。家長は離れたところにいる、先程の少年(ミヤビというらしいな。全く名前と態度が合っていない)がまだ同じ所にたっていた。茫然としている。状況が分かっていないようだ。これは使えるかもしれない。
付添い人と家長がウサギの方を見ていることを確認し、俺は飛び降りた。今度は低かったから着地成功! 喜んでいる暇もなく、ミヤビを捕らえた。
「おい、お二人さん、こいつがどうなってもいいのか?」
立派でありきたりな脅し文句だが、声が震えている。やはりこんな役、慣れないな。
「いいんじゃないですか?」
「……」
こいつを捨てる可能性だってあることを忘れていた。冷や汗。いや、これは敵の作戦だ。こうやって油断させた隙に、捕虜を逃がすつもりだ。俺は騙されないぞ。
「ちょっ待て、島津、俺を助けない気か!」
ミヤビという少年が叫んだ。どうやら、付添い人(島津というらしい)の発言に驚いたのは俺だけではなかったらしい。
「私の仕事はお嬢様をお守りすることですから」
「裏切りやがったな、島津!」
相手も仲間割れか。これはよかった、逃げるチャンスじゃないか。といってもウサギは相変わらず島津という奴とにらみ合っている。
「島津、ミヤビくんを助けて」
「駄目です、今この人から目を離せばお嬢様が危険です」
隙を狙ってウサギが竹刀で殴りかかるが、簡単に避けられてしまう。やはり実力は相手の方が上だな。癪な奴、とミヤビが呟いた。
「なぁ、使えないんだったら、俺を逃がしてくれない?」
捕虜がのんきに言った。自分の立場を分かっているのだろうか。こいつにはヘタレだと思われているから、仕方がないのか。
「逃がすわけにはいかない。俺も本気出したら怖いんだぞ」
「手が震えてるのに?」
確かに、それは事実だ。今の言葉をウサギが聞いていなくてよかった。
「クラスメイトにも、もっと強そうな奴いるんだけどなぁ」
「うるさいな」
懲らしめてやろうと思ったが、家長がミヤビを心配そうに見ているから、やめた。彼女の戦闘能力がわからなくて怖かったからではない。女の子の前で暴力はいけないと思ったんだ。
「こいつっ」
ウサギが叫んでいた。ちなみに、わがたくましき義妹は女の子ではないことになっている。
「家宝を盗もうとしている奴らって、あんたらのことだよな?」
口の減らない捕虜が小声で尋ねた。
「おそらく、そうだろうな」
「さっきの名前って偽名?」
「そうだ、わざわざ変な偽名を使っている俺が、本当の名前を言うわけがないだろう」
「あのさ、盗もうとするの、やめてくんないかな」
「嫌だ。辞めろと言われたらやりたくなるのが人情ってものだ」
「じゃ、盗んで」
「そう言うならどこにあるのか教えてくれ」
「なんだよ、結局盗むのかよ。どうせ俺場所しらねぇし」
知らないのか。こいつ本当に捨て駒なのかもしれないな。このまま捕まえていても、後でウサギに何もしなかったと怒られるだけか。ならば離した方がいいのか?
ウサギと島津がにらみ合っている。あの中に巻き込まれたらひとたまりもないな。今こいつを離したら戦闘に巻き込まれる。ここで仕事を果たしているふりをし続けよう。
家長が遠くから心配そうな目でこちらを見ている。そういえばずっとミヤビを見ているな。もしや……。
他の奴には聞こえないように囁いてみた。
「お前、家長の彼氏か?」
「はぁ!?」
顔が赤いぞ、少年。これは図星かもしれない。
「もしくは片想いなのかな?」
「違うっ、あいつが勝手に、俺には別の……」
「つまり二股?」
「ぐぅっ」
ミヤビは黙った。なかなか面白い反応をしてくれるな。
「カラス、何してるのっ?」
さすがに怒られた。
「今作戦を練っていたところなんだよ」
「嘘をついてないで、こっちを手伝いなさい!」
嘘なのは確かだが、いい作戦があるんだ。ウサギ黙って見てろよ。
「いてぇぇ!」
ミヤビが叫んだ。もちろん俺が彼の腕をひねってやったからだ。
「偉そうなことばかり言うから懲らしめてやるんだ」
「懲らしめるって、単なる弱いものいじめじゃねぇかよ」
もう一度腕をひねる。どうだ、痛いだろ。早く家長に助けを求めろよ。
「やめてっ!」
彼が助けを求める前に、家長は叫んだ。やはりこいつのこと、助けたいんだな。特別な感情もあるのではないだろうか。
「十六夜家のお嬢さん、こいつを助けたいんだろう? 交換条件というのはどうだね? 家宝の場所教えてくれれば、こいつを解放してやる」
家長はうつむいた。どうすべきか考えているようだ。
「家宝の場所は教えられないわ、でもミヤビくんは友達だから……」
そう、友達だから……。え? 恋人ではなくて、友達!?
「単なる友達かよっ!」
なぜかミヤビとセリフが被ってしまった。これは俺とこいつが同じ感情を持ったということなのか……ものすごく残念だ。
目の前を何かが横切った。
「あぁっ!」
しまった、油断した!
突然こちらへと向かってきた島津は、一瞬にしてミヤビを奪い取っていた。今や彼は俺の腕から離れ地面に膝をついている。
「ゴホッゴホッ」
「今の衝撃で少年が咳き込んでいるが、いいのか?」
「すみませんねぇ、連れていくときに強く腹を打ってしまいました。まぁ背に腹はかえられない、ということなので」
「ちくしょう、どいつもこいつも……ゴホッ」
さすがに俺もミヤビに同情した。友達宣言と仲間からの暴力行為が連続して起こるとは、不憫としか言いようがない。家長が全く近寄らずに声をかけた。
「大丈夫ミヤビくん? 島津、酷いわよ」
「仕方なかったのです。お嬢様をお守りするのが、優先事項ですから」
と、家長に言った後、彼は俺の方へと向き直った。
「で、どうするんですかね? また逃げる?」
なんだと? 俺をなめているのか。逃げるかと質問されて逃げる男など、いるわけがない。ここはもちろん、
「逃げるぞっ!」
「えっ、何いってんの?」
ウサギが反論する余裕を与えずに、俺は塀の外へと逃げ出した。このような不利な状況ならば、彼女もともに逃げ出してくれるだろう。怒られるかもしれないが、今回は逃げるかどうか聞かれたから仕方なかったんだ。
さらば、豪邸。非現実の空間よ!
「……」
アジトへ帰る途中の繁華街。ウサギが何かを言ったようであったが、俺には聞き取ることができなかった。
「ん、今何て言った?」
「あたし、カラスが一緒に戦ってくれるのを待っていたんだ」
俺の助けを待っていた? 馬鹿も休み休み言え。俺がどれだけヘタレであるか、お前が一番知っているはずだろう? と心の中では思ってはいるが、言葉には出さない。
「助けられなくて、ごめんな。俺も自分の作戦立てるのに一所懸命だった」
とりあえず謝るのが先だ。本当に言いたいことはその後に言えばいい。本当に言いたいことなんて、言えたためしがないような気がするが……。
「あいつには、あたし一人じゃ勝てない」
「珍しく弱気だな。いつものお前なら、勝てそうにもない相手から売られた喧嘩も、一人で買って一人でけりをつけるだろう?」
ウサギは立ち止った。俺も彼女に合わせて立ち止った。
「急がないと間に合わないんだ」
「間に合わない?」
「家宝を盗んでくるという仕事には、期限があるんだ」
その話は初耳だ。それならばゆっくり行動すれば、これ以上怪我人を出さなくて済むかもしれない。
「失敗したっていいだろ」
「だめだ!」
あまりにも強い口調で否定したため、このまま殴られるかと思った。しかし予想に反して彼女は何もしない。拳を握りしめ地面(もしくは地面に張り付いているガム)を凝視している。
「だめなんだよ……」
声が震えている。今にも泣き出しそうな、そんな感じがした。この仕事には、きっとまだ何か大きな秘密があるに違いない。
「とりあえず、帰ろう」
「うん」
俺がウサギの手を握ると、彼女は珍しく純粋な笑みを浮かべた。まるで本当の妹のように。
なぜウサギはこんなにもこの仕事にこだわるのか、彼女が抱えている秘密とは何なのか、その時の俺には全く分からなかった。




