挑戦
人間の努力の汗。この世で最も美しく清清しいものの一つである。
今から20年以上過去に遡る。私は当時フリーターとしてアルバイトを転々としていた。いつまでもこのままではいけないと考え、定職について安定しようとハローワークに通いつめ、ある仕事に採用が決まる。東京が本社の大手人材派遣会社の営業職であった。当時私は実家のある四国の田舎町に住んでいたのだが、東京での3ヶ月間の研修に出向くことになった。大都会東京での一人暮らし、初めての営業職、当時としては未知の分野の人材派遣業界(地方にはまだ浸透していなかった)。不安は山積みであったが、若さゆえの無鉄砲なチャレンジ精神や飽くなき好奇心は、それらのものを凌駕していた。
会社の寮に住む事になるので、引越しは最低限の衣類や身の回り品だけを郵送すればよかった。ボストンバッグ一つで家を出る時は、両親が見送ってくれた。普段気難しい父が屈託のない笑顔で、『元気でな。頑張りなよ。』と送り出してくれ、胸にこみ上げるものがあった。
東京に着いてすぐ本社に入社の事務手続きに行く。本社のある界隈は、高層ビルが林立する日本のビジネスの中心地で、田舎育ちの私は素直に圧倒された。
入寮してから勤務開始まで一週間ほどあったので、のんびりと観光をする時間が持てた。東京タワー、銀座、新宿、渋谷、お台場、浅草などの定番のスポットを巡りながら東京の街に慣れる事にした。池袋のサンシャイン60展望台から東京の街並みを眺めた時は絶句した。高層ビル群が雑然と積み木のようにどこまでも立ち並んでいるのが強烈で、人類がこれだけのものを築いたと言う感動よりも、どこか不健康で邪悪な印象を受け、軽い吐き気さえ催した。これからこの街で一勝負するには相当覚悟がいるなと気持ちを引き締めた。
そしていよいよ勤務が始まった。3日間の本社研修の後、私は日本橋支店に配属された。支店長の小谷さん以下10名程の中型店であった。私意外ほとんど全員の人が、前職は何らかの営業を経験しているらしかった。しかし私には反骨精神と矜持があった。製造職やコンビニのアルバイトしか経験していなかったからこそ、また四国の田舎からはるばる大都会東京に出てきたからこそ、気高い精神を宿していると信じていた。
最初の一週間は、先輩に同行して仕事を肌で覚える期間であった。それまでスーツを着て仕事をする事さえ未経験だった私は、名刺一つ出す動作さえぎこちなかった。それでも自分の五感をフルに働かせ、先輩の仕事ぶりを間近で吸収していった。
そして次の週からいきなり一人での営業になった。即戦力を期待されるのは中途採用の常であった。人材派遣の営業には、得意先を回るルート営業と呼ばれるものと、片っ端から新規開拓をしてゆくローラー営業と呼ばれるものがある。新人はまずこのローラー営業をやらされる。自分で自分の得意先を開拓してゆくしかないのだ。企業を回り、『人材は要りませんか?必要ならお世話させていただきます。』と提案し、実際に企業の要望に応じた人材を用意し送り込むのだ。そして、一日の訪問件数のノルマがなんと70件!都会は一つのビルにいくつかの会社が入っているとはいえ、すこぶる苛酷な数字である。それだけの数が課せられている理由は、研修の時学んだ派遣業界の特色にあった。車や家などの物を売る営業と違い、人を扱う業種であるから、いくら営業の技術に長けていても、求人の需要がなければどうする事も出来ない。そして各企業がいつ人を求めるかは予測がつかない。誰かが退職するとか、仕事量が増えて追加の人材が必要になるとか、その会社の人間でないとわからない。そのタイミングに出会う為には、単純な確率論で言うと、訪問件数と回数を増やせば増やすほど可能性は高まるのだ。逆に言えば、営業テクニックなどそれほどなくても、気合いと根性で努力してゆけば必ず報われる世界だと言うのだ。
運悪くその時期は真夏で、都会のオフィス街に起こるヒートアイランド現象の効果もあり、我々スーツを着た営業マン(それも歩いてなんぼの新規開拓営業マン)にとっては殺人的な試練であった。全身滝のような汗が流れ、汗を拭うものはハンカチからタオル、タオルからバスタオルに変わり、意識は朦朧とし、自動販売機で買うジュースやお茶の量も半端でなかった。それでも私は棒のようになった足を引き摺りながら、ひたすら企業から企業を回り続けていた。挨拶でおじぎをした時に顔から汗が飛び散り、企業の担当者のスーツにかかってしまい、慌てて謝罪したり、何度もしつこく訪問した企業の担当者を怒らせてしまい、当社のパンフレットを投げつけられた事もあった。先輩・同僚たちにも嘲笑され、『あの田舎者は、どうせ一件も契約を取れないまま辞めていくだろう。』と陰口を叩かれもした。しかしそれらの事は余計に私を燃え上がらせた。今に見ていろ。あいつらの鼻っ柱を叩き折ってやる!
私がそこまで頑張れたのには、一つの理由があった。その年は、プロ野球のイチロー選手が海を渡りメジャーリーグに挑戦した年であった。彼と同じ年頃だった私は、彼と自分を勝手に重ね合わせていた。彼が厳しい練習に耐え、試合でヒットを積み重ねてゆく姿に感動し勇気づけられた。
それでも何十件回っても、何百件回ってもなかなか良い結果が出てこない。一日の終わりに支店長に携帯で結果報告をするのが大そう苦痛であった。
ある日の事である。私がいつものように散々な報告をする。
「本日の結果報告をいたします。訪問件数70、受注0、案件0、情報0、名刺獲得数0、以上です。お疲れ様でした。」
支店長は何も答えず、しばらく沈黙がある。そして諭すそうに話し始める。
「・・・あのな・・あのな、空住。」
「はい、何でしょう?」
「ただ企業回ってよう、チラシ配って、『人要りませんか?要らないですか。はい、わかりました。』なんてガキでもできっぞ、この野郎!」
突然の支店長の怒りに私は固まる。彼は続ける。
「徳島に送り返すぞ、この山猿!もっと頭を使えよ!工夫しろよ!食い下がれよ!お前本当に真剣にやってるか!?」
「あ、はい・・。一応・・。」
「じゃあなぜ結果が出ない?今のままじゃお前は支店のお荷物だ。いいか!今日中に名詞5枚貰うまで帰って来るな!絶対だぞ!」
彼はそれだけ言うと電話を切る。
私は絶望的な気持ちになった。一日回って名刺が1枚も貰えなかったのに、企業が終業しようとする今からの時間から5枚獲得するなど不可能だ!しかし、彼の言い方は本気だ。何とかするしかない・・・。
それから2時間、私は必死に企業を回った。全く相手にされなくても、名刺だけは貰おうと食い下がった。
「お願いします!私事で恐縮ですが、名刺いただくまで会社に帰れないのです!」
そして、熱意と言うより切羽詰った状況に同情した方たちに名刺を貰うことに成功し、なんとか5枚手にした。
私は勇み足で会社に帰り、支店長に5枚の名刺を見せた。彼は澄み切った瞳で私に言う。
「お前、5時の時点で名刺0で、それから2時間で5枚って・・・。それまで何してたんだ?」
「だ、だって、支店長に言われたから必死になったんですよ!」
「あ!お前今自分で言ったな!必死って言ったな!」
「え、はい。」
「お前に足りなかったのはそこなんだ。本気でやる気になれば何だって出来るんだ。」
私の全身に電流が駆け抜けた。
それからの私の仕事ぶりは見違えるようだった。今まで通り多くの企業を訪問するだけでなく、頭を使って、話の言い回しを変えてみたり、配るチラシに工夫を加えたり、その会社の人事決定権者を徹底的に調べあげたり、とにかく受注につながる事は何でもした。そしてついに初めての案件に出会う。農産物を扱う中小企業が、事業拡大の為事務員が必要だと言うのだ。なにぶん急いでいるらしく、いくつかの派遣会社に声をかけているらしかった。私はとにかく最初の契約が喉から手が出るほどほしかった。この競争に勝つには、よそでは出来ない作戦が必要だと考えた。支店長と相談し、先方の担当者に少々手荒な提案をした。
「当社は業界最大手でやらせていただいておりまして、人材の登録者数も最大です。ネームバリューと、派遣スタッフに支払う給料の平均もどこよりも高額である為、良い人材が集まってきます。御社が何社の派遣会社さんにお声をかけられているか存じませんが、当社が今すぐに5名の人材を用意出来ます。その中からお選びいただけます。そうすれば、5社の派遣会社さんがそれぞれ連れてこられた人材を見られたのと同じ事です。時間も手間も省略出来ます。どうか当社にやらせてください!」
担当者の表情は輝き、首を縦に振る。その時オフィスの窓の外は、激しい雷雨であったのを鮮明に覚えている。
この初契約をきっかけに私の快進撃は始まった。今まで地道に種を蒔いていた企業から次々と声がかかり、そのほとんどをものにしていった。ちなみに大リーグのイチロー選手もヒットを量産し、最高の守備を見せていた。心のライバルは、先輩・同僚ではなく、あくまで彼であった。
結果、2ヶ月間で10契約!日本橋支店で1位、全国で3位の輝かしい成績を残せた。大リーグでその年に首位打者とMVPを獲得したイチロー選手同様、自分との闘いに勝利したのだ。この時の歓びは言葉では言い尽くせない。
鬼の支店長が笑顔で私の肩をポンと叩く。
「お疲れさん。やるじゃないか。」
彼なりの最高の褒め言葉であった。
人間は結果を出す事でしか自信や誇りは生まれない。結果を出すには必死の努力を積み重ねるしかない。そして努力するには、具体的な目標を定め自分を追いこまなければならない。
私は今も日々、挑戦している。




