『「お前に触れられると元に戻ってしまう!」と狼になった氷の公爵様。私のキスで人間に、ハグで獣人になると判明したのですが……最近、獣人でいられる時間がやたら長くないですか?』
こ、これは傑作(鼻血
「セリア・ヴァンガード侯爵令嬢。突然で申し訳ないが、本日付で当家との婚約を破棄させてもらう。私に公爵位を継ぐ資格の無い『異変』が生じたため、これより姿を消——」
手紙をそこまで読んだところで、侯爵令嬢のセリアは歓喜に打ち震えた。
政略結婚の相手であり、冷酷とも噂される「氷の公爵」レジスからの、あまりにも事務的な婚約破棄と失踪宣告。
手紙を持ってきた使者のひきつった報告によれば、彼に起きた『異変』とは、古代の呪いによって身の丈三メートルはある『巨大な銀狼』になってしまったことらしい。
極度の「もふもふ狂い」であるセリアにとって、それは国宝級のご褒美でしかなかった。
「馬車を出してくださいお父様! いえ、間に合いませんわ、馬に乗ります! 荷物は特注の獣毛ブラシセットと、最高級のトリートメントオイルだけで結構ですっ!」
唖然とする使者と家族を置き去りにし、セリアは屋敷を飛び出し、公爵が隠れ住む森の奥の別荘へと単騎で爆走した。
* * *
深い森の中。薄暗い別荘の奥深くで、一頭の巨大な銀狼が絶望に打ちひしがれて床に伏せていた。かつての若き公爵、レジスである。
——バァァーーン!!!
突然、ぶ厚い扉が蹴破られ、土煙の中から目を血走らせたセリアが突撃してきた。
「なんて極上の毛並みですの!? レジス様最高!!」
『な、何をっ……離れろヴァンガード嬢! 今の私は公爵ではない、ただの恐ろしい化物だ!』
「嫌ですわ! 一生このもふもふに埋もれて生きていきます!」
警告の唸り声を上げる銀狼をガン無視し、セリアはふかふかの首元にダイブした。
巨大銀狼を力ずくで堪能する最中、愛しさのあまり銀狼の冷たい鼻先に「ちゅっ」とキスを落とした瞬間——ぽふん! と元の美しい人間のレジスに戻ってしまった。
さらに、突然の変身に戸惑う人間のレジスに対し、セリアがご機嫌でハグをした瞬間——ぼむん! と今度はケモ耳とふさふさの尻尾が生えた「半獣人」になったのだ。
「私からの『キスで人間』に。『ハグで半獣人』に解呪されるんですね! でも……十秒しかもたないなんて」
「やめろ、突然キスなど! ……いや待て、急げば領地に指示の手紙が出せる! セリア、筆と便箋を——あっ」
——ぼふんっ(狼に戻る)
彼がセリアを未だ警戒しているためか、人間の姿も半獣人の姿も、当初はわずか十秒から三十秒しかもたなかった。
* * *
巨大銀狼との奇妙な同棲生活が始まり、一ヶ月。
セリアの毎日は多忙を極めていた。
朝から晩まで、公爵領の執務室のデスクに向かい、山のような書類と格闘しているのだ。
当主であるレジスが倒れたことで、公爵領の決裁は完全にストップし、危機的状況に陥っていた。
セリアは一日に数回、彼に「キス」をして一時的に人間(数十秒)に戻し、その間に最奥の決裁に必要な指示だけを的確に仰ぐ。残りの膨大な実務と各所への調整は、彼女が徹夜で完璧に仕上げていた。
そして彼が巨大狼の姿でいる間は、呪いの痛みが少しでも和らぐよう、極上のマッサージと特製の安眠香で彼をいたわった。
(……私なんかが彼の側にいられるのは、今だけですもの)
書類の束にペンを走らせながら、セリアは小さく自嘲した。
「もふもふ狂い」を存分に発揮して明るく振る舞っているが、彼女の自己肯定感は極めて低い。
愛想のない「氷の公爵」が、政略で押し付けられた自分を愛するはずがない。
私が彼に必要とされるのは、この事務処理能力と、あとは一時的な解呪のトリガーとしてだけ。
彼が完全に人間に戻り、この領地の混乱が収まれば、きっと私は用済みになって捨てられる。
(だからせめて、彼が呪いで苦しんでいる間だけでも……役に立ちたい)
深夜。疲れ果てたセリアは、万年筆を握ったまま、デスクに突っ伏して微かな寝息を立ててしまった。
* * *
カチャリ、と執務室の扉が開いた。
足音もなく近づいてきたのは、頭に狼の耳と、腰に銀色の尻尾を生やした半獣人のレジスだった。
彼は眠るセリアの寝顔を、甘く、熱の篭った瞳で見下ろした。
「……本当に、君は馬鹿だな」
レジスはそっと彼女を抱き上げると、執務室の奥にある仮眠用のフカフカのベッドへと優しく横たえた。
彼は、すっかり気づいていた。
「もふもふ狂いの変態」を装っている彼女が、実際はどれほど有能で、どれほど自分を想い、身を削って公爵領を支えてくれているか。
そして、その明るさの裏で「自分は愛されていない」という残酷な自己評価に縛られていることにも。
ふと、セリアが目を覚ました。
「ん……れじす、さま……? あれ、半獣人の姿……」
寝ぼけ眼をこする彼女の頬を、レジスが大きな手でそっと包み込んだ。
「すまない、起こしたか」
「いえ……でも、おかしいですね。私がハグをしてから、もう随分と時間が経っているはずなのに。まだ魔法が解けていないなんて」
セリアの言葉に、レジスはふっと優しく微笑んだ。
「ああ。最近、君の側にいると……いつまでもこの姿を保てる気がするんだ」
「えっ……それは、呪いが解けかかっているという事ですか?」
「いや、違う」
レジスは身をかがめ、戸惑うセリアの耳元で、甘く低い声で囁いた。
「俺の心からの意思が、この変身を維持しているんだよ。……愛しい君に、こうして触れるためにね」
「あ、愛しっ……!?」
ボフン! とセリアの顔が真っ赤に茹で上がった。
「だって、レジス様は氷の公爵で……私のことなんて、ただの政略結婚の相手で……っ」
「誰がそんなことを言った? 君ほど有能で、優しくて、愛らしい女性が他にいるものか。俺はもう、君なしでは生きていけない体になってしまったよ」
「そ、そんなっ、私はただの書類係で……!」
パニックになって自己否定を繰り返そうとするセリアの唇を、レジスの、熱い唇が塞いだ。
ちゅっ、と音を立てて離れた後、レジスの頭からはケモ耳が消え、完全な美しい人間の青年の姿になっていた。
「——俺がこれほど長く人間の姿を保てる理由、さすがの君でも、もう分かるだろう?」
それは、ただの不確かな魔法ではない。
彼自身のセリアに対する、「好き」という感情が限界突破している証明だった。
「ひゃんっ!? レ、レジス様、顔が近っ……!」
「君が望むなら人間の姿で。もふもふが良いなら半獣人で、朝まで君を愛そう。……さあ、俺から逃げられると思うなよ?」
自己肯定感の低さなど、極上のイケメンによる圧倒的な溺愛で完全に叩き潰す。
翌日の王城の夜会には、セリアの愛で立派に人間の姿を保てるようになったレジスが彼女を堂々とエスコートし、「氷の公爵」の溺愛っぷりに周囲が唖然とするのだが、それはまた別の話。
呪いという名の奇妙な魔法は、自信のない有能令嬢に最高のハッピーエンドをもたらしたのだった。




