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ゲジョン  作者: ネッしー
6/6

限りなく平和

 デドドキシンは、夜になるとひどく気温が下がり、肌身を出していればものの数時間でその部分は壊死する。シリューらが白い屋敷に帰って来た時、もう夜は近づいており、月明かりが緑に囲まれた庭を、また青々と照らしていた。

「シリュー様、夜は冷えますので、おへやで待機をしていてもいいのですが」

 申し訳なさそうにそういえレアルは、現在台所の掃除をシリューと行っている。喚起しながらの掃除は、窓を開けながらするため、冷たい空気が体を刺すような感覚であった。バケツに入れた雑巾は、冷凍庫に入れたほどの冷たさで、冷たい水で絞ったシリューの手は、血がなくなるように白くなっていった。

「大丈夫だよ。エヴァンが来た時に、台所が汚かったらまた喧嘩になりかねないよ。この屋敷まで破壊されたら僕だって困るよ」

 ヘルヤ家の屋敷では、部屋が七つほどこの二人の戦闘で壊滅していたが、この屋敷ばかりは守らなくてはとシリューは感じていた。シリューが丹精込めて掃除したものを壊すほど二人の忠誠心が薄いわけがないだろう。

「台所は綺麗になりましたね。これで晩御飯の安全は保障されました。お疲れ様です。あ、紅茶淹れますか? ミルクティーにもできますよ」

 紅茶はもう勘弁かと思ったが、ミルクティーとなれば話は別である。

「アイスのミルクティーがいいな」

 レアルはまたカタカタと準備を始める。やはり後ろ姿のレアルのメイド姿は絵になるなぁと、シリューは感じていた。レアルは砂糖の多さが玉に瑕であるが、ミルクティーは絶品であり、しかし偶にしか飲めないため嬉しい限りであった。ミルクティーは、ホットで作られた紅茶をアイスにして牛乳を入れるという、なんだか遠回りしている気がする工程で作られる。ホットをアイスにするというのが時間がかかるため、なかなか頼みにくいのである。

「その、シリュー様、おへやはどうですか」

 レアルは背中でそう語った。

「どうって、全然不便はしてないよ」

「そうですか」

「どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」

 なんだか変な会話であるが、シリューは家具が動かせないことを切り出すか迷っていた。そしてそれは、レアルも同じであった。

「シリュー様、明日は、私事ではありますが、ガジェンダを探そうかと思っておりまして。ああ、コルニのことです」

 ガジェンダ=コルニ。屋敷の焼き討ち二か月前に雇われたばかりの、見習いメイドである。容姿端麗、つけ入る隙がないとはこのことで、つまりは完璧な人物に限りなく近かったのをシリューも覚えている。つややかな黒髪をなびかせて、いつもレアルと歩いているのを見かけていた。レアルは教育係であったから、コルニに少しは愛着があったに違いない。コルニはいつも笑顔で接してくれるため、レアルだって友達にしてしまっていたのかもしれない。そう考えると、たいして不思議な人選ではなかった。

「コルニと仲良かったよね。いいよ。僕はあまり話したことがないけど、これを機に仲良くなれたらいいな」

 レアルは「ありがとうございます」と言って、冷蔵庫に湯気の立っている紅茶を入れた。レアルは、振り向いてこちらを見た。すっと、蒼い目が見えた気がした。

「シリュー様、少し外でエヴァンを見てきます。そろそろ着くでしょう」

 なんだかただならぬ予感を感じたシリューは、部屋に戻ることにした。

「僕は部屋にいるから、喧嘩はダメだよ」

 レアルは「はい」と言って玄関へ向かった。シリューも椅子から降りて廊下を歩き始める。電気も廊下にはないため、ガラス張りの縁側のある廊下は、庭と同じように月明かりで青々としていた。長めの廊下は、先の階段へ続く廊下まで暗く、奥が真っ暗で、吸い込まれるような気がする。それか、奥から何か別の物が出てきそうな気がしてならない。少し恐怖に足が止まってしまう。

 昔も、屋敷の大きな、広い廊下を深夜歩くのは苦手であった。そんなとき、どこからともなく現れた、コルニがいつも後ろから手を握ってくる。

「大丈夫ですよ、ご主人様。私たちがいます……」

 寄り添うような、愛に満ちたその声は、シリューの心を弄ぶのであった。シリューはそうやってコルニと共にトイレに行くのであった。忘れかけてはならない、シリューはまだ九歳であるから、子供としての尊厳はまだ守らなければならない。

 シリューはそんな昔を思い出して、しかし、成長はしなければならないと廊下を進み始めた、薄く目を細めて、なるべく視界を遮った、縁側のある外を見ないように、廊下の板と板の溝のなかにある、ちいさな埃をみるように何も見ないようにして、暗い廊下を進んでいく。「大丈夫、大丈夫ですよ」というコルニの言葉が頭を駆け巡って、踏み出す勇気を与えてくれる。足音をたてないように進んで、階段へと続く扉の前に辿り着く。扉のドアノブに手をかけたとき、「ギシ」と中から音からするではないか。シリューは止まった。まばたきも、体の震えもしないように止まる。階段を降りてくる奴に気づかれないように、止まる。「ギシ」とまた鳴る。声を出して、レアルがすぐに来る場所でもない。長い廊下を戻る気もない。であれば、立ち向かうのしかないのだろうか。

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。ドアノブの内部構造が回されるのを手で感じながら、内開きのドアをそっと押す。この場を動かなくていいから、内開きには感謝をしてしまった。不便だなんて言っていた初日を悔やむ。

 階段の様子が見えて、そっと上を見ると、キランと光る金属ものの何かが見えた。それはシリューにでも分かるぐらいには、包丁であった——

「ぎゃあああああああ」

 シリューがすべての尊厳を捨ててでもいいと覚悟した叫びをした瞬間、階段の上から顔を覗かした顔を見て、シリューは「あ」とその顔を見た。白目で。

「—っ、シリュー様!」

 そう叫んだのは、階段の上から顔をのぞかせて、キラキラ輝く目をした、エヴァンであった。なんで包丁を持っているのか、なぜ二階にいるのか、すべての疑問を抱きながら、いつのまにかシリューは、気を失っていた。白目で。

「そんなにエヴァンと会えたのが嬉しいだなんて! シリュー様はやはりお優しい!」

 とエヴァンは白目をむいたシリューを背負って長い廊下を歩いた。部屋で待っていればシリューと二人きりになれると踏んだが、こうなっては仕方がない。と廊下を歩き、L字を曲がったとき、そこにいたレアルと目が合った。「あ」と言ったのもつかの間、レアルは恐ろしい形相でエヴァンに突っ込んでいった。


 シリューが目覚めたとき、何時間か経っていたのだろう。紅茶は良い感じに冷えており、それがミルクティーになるには充分であった。

「レアル、大丈夫だよ。僕は怖がりだけど、別にエヴァンも悪気があったわけでは……」

 とシリューはエヴァンをなだめるフリをして、ミルクティーの至福の味に舌を巻いていた。キッチンから見える、レアルによるエヴァンへの説教の様子は、幼い子と親にしか見えなかった。レアルは腕を組んで、正座しているエヴァンを見下ろしている。

「エヴァンさん、あまりシリュー様にトラウマを植え付けるようなことはしないでください。昔、トイレの道中でシリュー様が気を失って大事になったのを忘れたのですか」

 シリューはミルクティーを吐き出しそうになった。コルニがまだ雇われなかったころは、よくトイレでの道中で動けなくなりそのままパニックになって、白目をむくことがよくあった。シリューにとっては、恥ずかしいことで、あまり思い出したくはない。

「ごめんって言ってるだろぉ……」

 と子供のようにエヴァンは拗ねている。レアルのげんこつを食らったようで、うっすら涙目だ。だが身長が高いエヴァンが拗ねても、どこかレアルの隙をみて殴り掛かるのを詮索しているのではないかと、そう勘ぐってしまう。かれこれ十分はこんな茶番みたいなことをしているわけで、シリューはポッドの中のミルクティーを飲み干してしまった。

「レアル、大丈夫だよ。もういいよ」

 エヴァンは拗ねた顔をしたままスタスタとシリューのもとに行き「シリュー様! 何にしましょう!」と机を叩いた。ミルクティーの無くなったコップが音を立て、エヴァンはさっきとは別人のような笑顔を見せている。反省している振りは昔から上手いエヴァンであったが、まさか演技で涙を出せるようになっているとは思わなかった。

 そんなエヴァンを見て、レアルはやれやれと首を振った。シリューは、二人の喧嘩を常日頃から見ていたわけではないが、二人の距離感を見る限り、犬猿の仲を感じられるのは確かであった。

 エヴァンに晩御飯を聞かれてもシリューはどう答えればよいのか分からなかった。昔はリクエストなんて概念はなかったわけで、エヴァンや他の担当が作ってくれたご飯を、別のメイドが運び、食べ終わったらまた別のメイドが片付ける。シリューが何かを言わなくても、勝手に時間が過ぎるための環境は作られていたのである。だからこうしてエヴァンに何かを頼めるというのは、メイドに囲まれる日々の延長線に、昔とは圧倒的に違う、緩んだ関係が生まれた気がする。前までの緊張感のあった、屋敷の細かな装飾に縛られ、煌びやかに輝く装飾に照らされる日々とはもう違う。メイドとこんなに話せて、素朴な屋敷に包まれ、そんな環境があることに、シリューはなんともいえない気持ちになってしまった。これからエヴァンのご飯を食し、部屋に行き、ベッドで寝て、明日になれば「おはよう」とまたメイドたちがあいさつをしてくれる。激動の初日の報酬は、そんな環境と関係に昇華されたというものと共に、シリューから溢れ出した。

 シリューはいつの間にか、大粒の涙を流していた。表情は変わらず、でも強がるように口角を上げて「幸せだ」と思ったのである。

 紅茶も飲み放題である、明日はメリエルだってやってくる。きっとまた面白い本を教えてくれるだろうか、エヴァンの朝ごはんも待っているだろうか、明日はコルニも探すと聞いた。待ち受ける全てが、幸せな気がするのである。

「シ、シリュー様……?」

 困惑するエヴァンに「大丈夫」と、涙のしょっぱい味を噛みしめながらシリューは言う。エヴァンはあたふたしてシリューの背中をさすり、レアルを見る。

「レアル?」

 レアルは、あの紅茶を注いでいるときのように、こちらに背を向けていた。夜の静けさに呼応するように、何も言わなかった。エヴァンとシリューは分かっていた。なぜ背を向けているのかを。聞きはしなかった。どうせレアルも口は開かない。


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