三人目
次に到着したのは、メリエルのいたセンタネルから、シャルガイドへの中心部に進んだ場所にある町であった。シャルガイドの隣町「ロドマングリフ」である。ここはいわゆる芸術の町で、町中を見ても絵や、焼き物や、なんだかよく分からないものが、道にざっくばらんとある。壁に描かれたカラフルな落書きが、町に広がっているせいで、様々な色の紙吹雪がたくさん待っているかのような、視覚の賑やかさが新鮮だった。
「ここにエヴァンがいるの? 絵でも始めたのかな」
シリューはレアルの背中に背負われながら、その町をフード越しに見ていた。
「ここはエヴァンさんの故郷です。帰ってくるならここが妥当でしょう」
シリューは「ふうん」とうなずいて、エヴァンのことを思い出していた。
「エヴァン、僕に怒ってるかな」
エヴァンというのは、屋敷の中でも、一際短気な人物であった。なんでも納得のいく料理ができなかったからといって、人一人を殺そうとしたことがある。いつも赤いポニーテールは燃えているような彼女の性格と相まって、見るだけで暖房効果のあるこうな赤さであった。黙っていれば、いや黙っていても目つきは悪いが、少しはましになるというのに。エヴァンというのは、シリューにとっては怒りの象徴であった。
「そんな、エヴァンさんがシリュー様に怒るだなんて。ありえません」
とレアルは言うのであった。「ここです」と言った。
「シリュー様、芸術は、料理だってそうなのですよ」
レアルが足を踏み入れた建物には、まったく読めない字体で、おそらく店名か何かがかかっていた。読ませる気があるのか、気になるほどである。
レアルが足を踏み入れた途端、気づいたらシリューの真横を包丁が飛んできたものだから、シリューは目が飛び出す勢いで息を殺し、フードをさらに深く被った。
「危ないですよ、エヴァンさん」
包丁は店の入り口のドアに刺さってしまっている。本物であった。中はレストランのように、テーブルや椅子がいろいろ置いてあって、エヴァンは店の奥にあるキッチンにいるようであった。
「すまんすまん、手が滑って」
と赤いポニーテールを振りながら奥から出てきたエヴァンは、レアルと目が合うと、一瞬足を止めた。エヴァンの赤い目の瞳孔が絞られる。
時間は止まっていたように感じる。ドアに刺さった包丁が落ちかけて、そいて次第に落ち始めるその三秒にも満たない時間で、エヴァンは刀をレアルに突き付け、レアルはシリューを背負いながらだと腕が使えないため、片足を挙げて足の裏で刀を止めていた。かすかに、刃が革靴に刺さっている。「カラン」とドアに刺さっていた包丁が落ちて、レアルの蒼い目と、エヴァンの赤い目が空間を刺していた。シリューが緑のフードを被っていなかったら、緊張感という刃物で死んでいたかもしれない。
「レアル、なんの用だよ」
エヴァンは男勝りな、低い声で言った。
「なんの用でも、歓迎はしないようですね」
レアルは足の裏に刺さっている刀を少し捻って、刀にヒビを入れた。そのヒビはレアルから逃げるようにエヴァンの手元に伸びていく。
「私はシリュー様から離れてからムシャクシャしてんだよ」
エヴァンの言葉に、シリューは耳を立てた。
「私はスラム出身だ。お前は国の偉いとこで偉い訓練うけただけのメイド。お前と私じゃ、シリュー様に対する価値観が合わねぇだろ。それは前からだろ」
シリューは昔のことを思い出していた。あれは屋敷の庭で侵入者としてエヴァンが捕らえられた時のことだった。あの時、エヴァンは酷く汚れていて、シリューはメイドになるように説得した。最初エヴァンは、盗めるものを盗んで逃げようかと考えていたが、シリューの人間性にすっかり惚れ込んでしまったのである。対してレアルは国の精鋭部隊から派遣されたメイドの一人であり、あくまで警備なので、エヴァンからしてみればそんな価値観の違いを感じるのは当たり前であった。
「いえ、エヴァンさんと同じぐらい、私もシリュー様のことを思ってますよ」
真顔でそういうレアルの顔は、怒りを含んだ、そんな顔である。
「へぇ……まぁそうだろうな、お前、シリュー様に革命前夜で解雇告げられた時——」
そう言いかけたエヴァンを、レアルは足を思いっきり捻って刀ごとエヴァンを転がした。「うぉ」というエヴァンの焦りの声と共に、店の椅子に突撃して破壊と共に音と衝撃がシリューの耳に入った。エヴァンが言いかけた、革命前夜の解雇宣言時のレアルは、どんなものなのか、気になってしまった。
「なんちゅう足だよ、お前、やっぱ喧嘩売るもんじゃねぇな」
壊れた椅子の木の破片を、体から落としながらエヴァンは立ち上がった。「まぁいいや」と言って近くの壊れていない椅子に座った。
「んで、何の用だよ。私はムシャクシャしてると同時に、寂しさにふけってるんだよ」
とカウンターに肘をついてエヴァンは言った。どこか悲しそうな顔をして、赤い目に炎が灯ることも感じなかった。シリューは空気感に堪えられなくなり、レアルに小さく耳打ちした。こう言うように。
「エヴァンさん。シリュー様は現在デドドキシンで保護しています」
エヴァンは「え」と顔を上げた。
「シリュー様の意向で、現在解雇したメイドをスカウトしています。エヴァンさんがよければ、デドドキシンにて、またメイドとして……」
エヴァンはカウンターをバンと叩いて「する! するよ!」と声を上げた。ポニーテールが揺れて、エヴァンの赤い目には炎が灯った。
「ええ、では、まぁいつでもいいのですが、できれば晩御飯がないので今日中に」
とレアルは言って、店を出ようとする。エヴァンは、いつのまにか店の奥に消えていて、ガチャガチャと物音をたてて準備をしているようだった。
「シリュー様、英断です」
そう言って飛び立った背中をシリューはぎゅっと掴んで、少し内心喜んだ。やっと紅茶以外のものを腹に入れられる。
そのころ、シャルガイドでは王を決めるための議論が行われていた。エボバルトを含む三人の人物が、ある店で机を囲んでいた。机の上には酒から、ピザから、パンから、また酒、そして酒、酒である。
「いやしかし、エボバルトさん、私ぁあんたでいいんですよ」
とキュポンと瓶を開けながら眼鏡の似合わない「ベンベザ=デルベル」は言った。エボバルトはどこか浮かない顔をして、ピザの耳をバリっと食べる。
「私もそう思いますね。反対も皆しないでしょう。するのは死んだべジュンか、ヘルヤ家の亡命家族だけでしょう」
そう言ってパンを、紅茶に漬けて食べるのは「マルセ=ベンダン」で、堅そうな顔で固いパンを嫌うようである。
「ええ、私も皆にそういわれて。でも私は政治家じゃない。革命は発起したが、政治をするほどの人間ではない。もちろん、そのまま優秀な政治をする人だっているでしょうが、私には娘もいますし」
とエボバルトは悩みを告げた。
「ああ、娘さん。たしかヘルヤ家の見習いメイドって言ってましたね。あれから姿をくらましたって、どうしたんですかね」
エボバルトの娘である「ガジェンダ=コルニ」は、ヘルヤ家に雇われたばかりであった。頭も良く、所作も美しく、容姿も淡麗で、少し抜けている、そんな女性であったから、常に人気者であった。誇らしい娘であった。頭の良さを買われて、ヘルヤ家に呼ばれたが、そこから連絡がつかなくなり、やっと帰ってきたと思ったら「私、ヘルヤ家の専属になりたいかも」なんて言うから、背中の傷を見せたのである。「こんな傷を生む政治をする家族の奉仕をしたいのか」と、人生で一番の怒りをぶつけてしまった。それから連絡はとれなくなり、ヘルヤ家の焼き討ちの直前にメイドの一斉解雇があったと聞いたが、帰っては来なかった。いったいどこへいるのか、心配で仕方がなかった。
「焼き討ちからまったくどこかへ消えてしまいまして。しかし、私が権力者として頑張れば、探せるものかと思うんですが、しかし最悪の結末が待っている気がして……」
エボバルトは優柔不断な言葉をつらつら並べて、デルベルとベンダンを困らせた。
「娘さんのことは、私たちはどうも言えませんがね、見かけたら言いますんで」
と捜索の念をベンデンは押した。
「ええ、よろしくお願いします。それでですね、もし私が王になるのだというなら、それは優秀な頭脳の持ち主がいるんですよ。私はさっきも言いましたが、政治なんてできませんから、娘に傍にいてほしいですが、この状況ですし……」
エボバルトは政治をすることができないことを、王の不在を長引かせていることに、さらに悩んでしまい、負のスパイラルに陥って抜け出せなくなってしまっていた。
「では、三日で優秀な人物を探すとしましょう。まぁ事実上今はあなたがトップですよ。地方でなんだか独立運動が進んでるのも早く手を打ちたいですね」
というベンデンの締めに三人は納得して、店を後にした。三人は煙草をくわえて店の軒下で夕暮れに向かう空を見上げた。シャルガイドの中心部には、まだびりびりに破られた国旗や、破壊された武器の部品や、石造りの道には、燃えカスの灰が詰まっていた。
「私は、あの革命から、この国に夜明けが来ていないように、そう感じますね」
エボバルトは、煙をふかして、帽子を被った。少し深く。
「私たちにしかできませんよ。夜に引きずったのも我々だ。我々の手でこの夜を明かそうじゃありませんか。それが、残された国民の、夢でしょう」
デルベルは眼鏡を調整して煙をふかす。
「今日、それを飛んでいるメイドを見ました。エボバルトさん、そのメイドはどこへ行かれていたと思います?」
ベンデンはエボバルトはそう聞いた。エボバルトは「そうだなぁ」とまた煙をふかして、こう答えた。
「デドドキシンだろう」
ベンデンは無慈悲に「不正解です」と告げた。「それっぽいのに」とデルベルは笑った。これでデドドキシンであれば、あまりに完成されすぎた話である。
「センタネルですよ。センタネル、知っていますか? 昔ニホルと共に滅んだ片田舎ですよ。そんなとこなんで行ったのか、私は何かがある気がします。辿り着くのは容易ではないですが、私はそこへ行こうと思います」
エボバルトは「あまり聞きなれない土地ですね。メイド、メイドが空を飛ぶのはちょくちょく聞く話でしたが、何かありそうですね」と帽子を押さえながら軒先から歩き始めた。「では」と言ってエボバルトは歩き始める。
「根詰めすぎもよろしくない。今日の夕日は綺麗なオレンジ色だ。君たちも休んだ方がいい。勝利の女神も、笑い疲れている。休ませないとな」
デルベルはそう言ってベンデンとも別れた。今日は確かに、綺麗な夕日であった。




