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第5話 ありがとう、神様。上野観光いってきまーす

「いいねされました」


あの通知が来た夜から、俺の指は落ち着かなくなった。


右に、左に。


顔。


年齢。


距離。


ひとこと。


人間を見ているのに、画面は軽い。軽すぎる。


そして、軽さのわりに、胸の奥だけが忙しい。


次の通知が欲しい。


次の反応が欲しい。


俺は気づけば、深夜までスマホをいじっていた。


翌朝、バイト前、休憩前、休憩中、帰宅後、晩御飯の支度。


昨夜の「いいね」の通知から、久々にAV以外の女性に依存していた。


(マッチした人と会うまでは、オナ禁だ)


俺は高まる気持ちを抑えつつ、久美と豚しゃぶを頬張った。



しかし、最初の壁はすぐ出てきた。

気になる相手とのメッセージには制限があったのだ。


すぐに有料プランの案内が。


一ヶ月。


三ヶ月。


六ヶ月。


まとめたほうが安い。なんでもそうだ。

レビューが並び、満足度が並び、成功談が並ぶ。


「高いけど、高確率で最高の相手とマッチするなら安いかな」

「無料だと限界がある」

「課金すれば人生変わる」


(人生変わるって、軽すぎるだろ)


そう思いながら、俺の指は迷わなかった。

迷ったのは、どのプランにするかだけだ。


「一ヶ月で十分」


でも、一ヶ月だと損かもしれない。


三ヶ月は長い。


六ヶ月は、もう生活になってしまう。


(……とりあえず)


最初はどんなものか試す気持ちで、一ヶ月を選んだ。

課金は一瞬で終わったが、新たな扉が開いた感じがした。

気持ちとしてはこれを「投資」と思い込み、メッセージを打ち始めた。



不思議なことに、まともにやり取りが続かない。


こちらが「よろしくお願いします」と送っても、返ってこない。


返ってきても、一言で終わる。


それでも、マッチだけは増える。


増えると、気分が上がる。


上がると、送る。


送ると、返らない。


それでも、アプリを開く。


脳が、もうこの反復を覚えている。


そんな中で、二人だけ反応が違った。


しかも、二人ともプロフィールの雰囲気が妙に似ていた。


顔は、超絶カワイイ。体型もやけに整っている。


そして、メッセージの最初が同じだった。


「ここだと通知気づかないから、インスタで話そ」


文章が短く、距離感が近いような。


でも俺は、そこに関しては少しだけ安心した。

アプリの中より、インスタの方が本物っぽい。

本物っぽい、というだけで、俺は信じられる気がした。


すると、二人ともすぐにインスタのアカウントを送ってきた。


俺は両方フォローし、DMへ。


画面の背景が変わるだけで、世界の色まで変わる。


妙に現実っぽい。



一人目は、話が早かった。


DMで簡単な挨拶が済むと、条件の話に……


「本番はゴム有3万。前戯だけなら1万」


(高ッ!)


俺は画面を見たまま、少しだけ考えた。


(……でも、三万払えば、セフレになれるってことか?)


交通費とか、デート代のような感覚なんだと思った。


少しだけ固まったが、すぐに考え直す。


(まぁ……そういうもんか)


「了解♪」


すると相手はスタンプを返してきた。


軽い。


軽いのに、話は進む。


そして二人目は少しだけニュアンスが違かった。


「本番は3万。そのあとはお金は発生しないよ」


(……やっぱり、三万払えばセフレになれるんだ!)


俺は、その一致に疑問を持つべきだった。


でも俺が思ったのは、別のことだ。


(こんなカワイイ子と……しかも二人)


俺にとって、まさに千載一遇のチャンス。


「ありがとう、神様」



一人目の女性とは、次の休日に会うことになった。インスタのやりとりのあとにLINE交換。


待ち合わせは、午後一時に上野広小路。


その前夜、俺は妙に落ち着かなかった。


部屋の中を片付けるわけでもなく、掃除をするわけでもなく、ただ準備だけが進む。


風呂場でT字髭剃りを持ち、へそ周りの毛、すね毛を剃る。

ハサミに持ち替えると、局部の毛を少しだけ短くカットする。


こういう時だけ、無駄に几帳面になる。


そのまま風呂に入り、湯に浸かった。


「あぁー、気持ちいい……でも毛がない分、変な感じだな」


湯気の中でぼんやりしながら、何をしているのか自分でもよくわからなくなる。


風呂から上がると、久美が言った。


「風呂、長かったね?」


「うん。 ちょっと風呂掃除してた」


「そうなんだ」


それ以上、何も聞かれない。


それでいい。



当日。


いつもよりも入念に髭剃りをして、徹底的にデオドラントスプレーをかける。準備はばっちしだ。


久々の上野。たしか付き合った当初、久美と上野動物園に行った以来だ。


「いってきます」誰もいないアパートにぼそっと言い、軽い足取りで所沢駅へ向かった。


雲ひとつない気持ちのいい天気。ここまでがんばってオナ禁をした自分への褒美と思った。


少しの緊張を抱え、電車はまもなく池袋に着く。

すると、LINEの通知が入った。見てみるとこれから会う相手からだった。


『会った時にすぐわかるように服装とか写真で送ってくれる?』


(あぁ、そうか。大事なこと忘れてたな)


俺は西武池袋駅のホームに立った後、多くの人が改札に向かうのを待ってから、自撮りをして送った。


「今池袋着いたから、あと三十分くらいで上野着くかな」


既読。


「おっけ、わかりやすい」


返事が早い。


俺はまた少し浮かれた。

浮かれているのが自分でわかるのに、止められない。


はやる気持ちを抑えつつ、山手線に行き、上野へ向かった。



『上野ー、上野ー』


(……着いた)


冬の空なのに、暖かく、気持ちがいい。


待ち合わせまではまだ時間があったので、俺は不忍池の方に行き、少し散策をした。


「いい雰囲気だなぁ。写真撮るか」


思ったほどいい写真が撮れたので共有したく、相手の子に送った。


『上野着いたんだ!てか写真の撮り方うま笑』


その一言で、また胸が跳ねる。



少し早めに目的地である上野広小路に到着。


「人が多いなぁ」


観光客っぽい声が混じっている。


俺は待ち合わせの場所を見つけ、そこに立った。


立ちながら、何度もスマホを見る。


見ているのに、時間が進まない。


しばらくして、LINEが来た。


「ごめん、少し遅れる」


俺は「了解」と返した。


その次のDMで、空気が変わった。


「待ち合わせ、近くのコンビニに変えていい?」


場所の名前が送られてくる。


地図で見る。


ホテル街の近くだった。


(……そういうことか)


今思うと、この時点で俺は引き返すべきだった。



コンビニの入り口付近で待つこと十分。LINE通話の着信が鳴った。


(っえ?!)


「あっ、もしもし?もう着くよ」


来た。


俺は、胸の奥が一瞬で熱くなった。


周りを見るが、インスタに載せていた写真のような子がいない。


すると「お待たせー」と、声をかける、見たことのない女性?が目の前に近づいてきた。


「ん?」


(……なんだ?まさか、こいつ?)


俺の想像していた「女の子」ではなかった。


服は派手で、髪は重たく、顔はどこか別の場所みたいだった。


俺は固まった。


固まったまま、笑う。


「あぁ、やっと、会えたね……」


笑ったつもりだった。


相手は近づいてきて、言った。


「じゃあ、向こうにいつも行くホテルあるから」


声もけっしてカワイイとは言えない。


俺は、ついていった。



ホテルは小さく、古かった。古い漫画喫茶のような感じだ。


入り口の空気が、湿っている。


「おばちゃん、いつもの部屋空いてる?」


受付は老後を迎えたようなお婆さんだった。


「うん、空いてるよ」


部屋は受付からすぐのところだった。


お互い慣れたやりとりをしていたが、俺はどう対応すればいいか……とにかく相手に身を委ねるしかなかった。


部屋に入ると、息つく間もなく相手は言った。


「先に言っとくね」


それは、注意事項みたいな口調だ。


「途中でやめても返金なし」

「時間はきっちり」

「ゴムはこっちで用意するけど、別ね」


質問してもいいはずなのに、俺は頷くだけしかできない。


そして相手は、スマホの画面を見せてきた。そこには金額が並んでいる。しかも、聞いていない文字もあった。


「交通費、ゴム代などなど」


細かい数字。


足し算が勝手に増えていく。


「っあ……」


俺は一瞬だけ口を開きかけた。


でも閉じた。


ここで言ったら、全部終わる。


終わったら、俺は今日のために動いた時間を失う。


失うのが怖い。


だから、払った。


財布の中が一気に軽くなる。


軽くなるのに、胃の奥が重い。



「ここシャワー外にあるんだよね」と相手は笑いながら言った。


部屋を挟んですぐある個室シャワー。

ボロいホテルはこういうものなのかと、どうでもいいことを学んだ気がした。


俺らはシャワーを別々に浴びる。


湯が当たっているのに、頭の中だけ冷えていく。


部屋へ戻ると、相手もシャワーを終えていた。


(……このあと、どうするんだ)


すると、相手は大きな体に巻きつけたバスタオルを躊躇いなく外した。


目の前には裸体が見える。


(もう、観念するしかない)


「キスしよう」と、その女性が言った。


ここまできたら後戻りはできない。相手の指示に従うまでだ。

とはいえ、久々のキス。少し興奮した。


相手は舌を出してきて、俺も同じことをした。


(少し、タバコの匂いがする。喫煙者か)


意外にも、そんなことに余裕がいく自分に少し驚いた。


そんなとき相手は、俺が思いもしないことを言い放った。


「おっぱい揉んでいいよ」


(はっ?揉んでいいよ?何様だ)


しかし、揉むしかない。


「……うん」俺は嬉しそうな演技をして硬くなった拳を広げた。


相手は手際がいい。


手際が良すぎる。


でも、その手際の良さが事務的でさらに萎えた。


俺はなんとか勃ったが気持ちよさが伝わらない。


全体的に体が反応しない。


必死に合わせようとするほど、遠ざかっていく。


時間だけが進む。


空気だけが濃くなる。


俺は焦る。焦っても、どうにもならない。



そのあと、本番もしたが、結局不発のまま、終わった。


「……イかないね」


相手は淡々と言った。


「でも、久々だもんね?よくあるからしょうがないよ」


その一言が悔しく、同時に諦めがつかなかった。



外に出ると、同じ空なのに、さっきより白く感じる。


「じゃあ、また連絡してね」


「……うん、じゃあね」


相手は次の用事(現場)があるらしく、すぐに別れた。


「あぁ……まさに、虚無感。この感じは一生忘れないだろうな」


その瞬間、お腹がグーッとなった。


「腹減った……虚無感に空腹感まで」


財布を見ると、お札はなく、小銭しか入っていなかった。


「たった一時間。たった一時間で税金以上の額を支払うなんて……」


俺は一度立ち止まり、ため息を吐いた。


そしてその空白のまま、次の現場、池袋へ向かう。


そう、今日は二人の子と約束をしていたのだ。予定は十六時。しかし、いま俺の全財産は交通費しかない。


「どうするか……」


空腹を抱えたまま、ひとまず池袋まで歩いた。


歩くところ、飲食店の看板が俺の空っぽの胃に突き刺さる。大戸屋、吉野家、モスバーガー。見れば見るほど苦しくなる。


「100円でもいいから腹に溜まるものを……あっ、そうだ」


俺はスマホからメルカリを起動した。アプリからお財布をタップする。


”メルペイ後払い”


そこには「後払い枠 残り8260円」


(よかった、これでいける)


たまに買い物で現金が足りない時に利用するメルペイ後払いシステムがあったことを思い出した。


空腹絶頂のいま、食べたい店でゆっくりしたいと思い、さっき通り過ぎた吉野家に行くことにした。


店内に入ると、客は一人。昼のピークは過ぎていたので、ソファ席へくつろいだ。頼むものは、吉野家だと牛丼一択。だが、今日は豚丼を注文した。


「まぁ、そんな贅沢できる状況じゃないしな」


俺は飯がくる間にLINEを開く。


さすがに、今日払える現金はない。使えるのはメルペイの後払い。

なので、このあと会う子とはさっきのようにはいかない。


「おつかれ。今日さ、まずご飯でもどう?」


送信。


少し間があって、既読。


返事が来る。


「ごめん、それはできない」


(できないかぁ……)


なんとしてでも会いたい。


「そっか、急にごめんね。でも、いきなりエッチするのもなぁと思って。だから今日は飯だけで。もちろん奢るから」


すると、すぐにメッセージが来た。


「ほんとにそれだけはできないんだ。でも、気になってる。早く会いたいの。一度会ったら次から家に来ていいよ。そこからはお金とかは発生しないから」


やはり相手はできないの一点張りだ。しかし、一度会えば次からはお金は発生しない。けど、いま現金がないから困ってるんだ。


するとまたメッセージが。


「”えっちゃんの好きにしていいんだよ”」


(?!)


このワードに俺の脳はさらに犯された。


(ぇ、えっちゃん?!……好きにしていいんだよ?!)


「お待たせしました。豚丼並みです」


「あっ、ありがとうございます!」


俺は豚丼を前に、いままでの空腹が飛んでいったような感じになった。


スマホ片手に箸を持つ。まずなにから手をつければいいか混乱している状態だ。


『えっちゃんの好きにしていいんだよ』


このワードが頭から離れない。俺は豚丼を頬張りながら考えた。


(……今日会うのは無理だ。条件提示をしてる場合じゃない。とにかく日程の変更ができるか相談しよう)


「ごめん。手持ちのお金がなくて、会う日を変えることできる?」


またすぐに返信が来た。


「うん、大丈夫だよ。いつにする?」


(よかった、ひとまず安心だ)



吉野家を出たときには、次回会う日時をすでに決めていた。


そして、同時に俺の決意も。


「次こそは、気持ちいいセックスをする」


希望を胸に、池袋までの春日通りを気持ちよく歩いた。

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