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第2話 慣れた手つき

朝、目が覚めた瞬間に、俺の体はもう起きていた。


しかもいつもと違ってかなりうずく。


(……なんだこれ)


眠気より先に、そっちが来る。

それが気持ち悪く、でも、どこかで気持ちいい。


最悪だ。


隣では久美が寝ている。

薄い布団の上で、いつも通りいびきをかいている。


俺は、彼女に興奮しない。


もちろん、触れることはよくするが性行為までしようとは思わない。

久美の身体は「抱きたい」とは別だった。

“性欲のスイッチ”が、久美では入らない。


だからレスになった。


そして、久美が起きる前に、このモヤモヤをトイレで済ますのがルーティンにもなっていた。



「いってきまーす」


久美が出ていき、ベランダから彼女の姿を見送ると、一目散にトイレに入った。


(……朝イチで一回、済ませたのに)


最近、このパターンが多く、自分でも嫌になってきたがどうにも、性欲には勝てない自分がいる。なので、性欲があるうちは元気な証拠だと言い聞かせてもいる。


済ませた後は、二日酔いのような感じでペットボトルの水を一気飲みする。

だが、下半身は冷める気配はない。


俺はスマホを開いた。


一秒で分かった。

俺は今、“弱い”。


副業だの、未来だの、どうでもいい。

今欲しいのは、頭じゃない。体だ。


画面を指でスクロールするだけで、じわっと汗が出る。


(また時間の無駄な……いまやめれば楽になるのに)


と、自問自答するがやめられない。

俺は、俺の人生でいちばんどうでもいいことに、いちばん必死になってる。



自転車で職場へ向かう途中も、ずっとおかしかった。


ペダルを漕ぎながら、ズボンの布が擦れる。

その摩擦が、神経を拾う。


(……はぁ)


止まれ、と思うほど止まらない。

“勝手に火がついてる”みたいな感覚。


信号待ち。

周りの人間は普通の顔で立っている。


俺だけが異常。

俺だけが、世界の見え方が違う。


いや、世界が違うんじゃない。

俺の中の何かが、勝手に色をつけてる。



昼のピーク。


厨房は湯気だらけだ。

湯気が目にしみて、顔が熱い。


それも全部、勘違いの熱に見えてくるような。


「榎本くん、元気ないね?」


パートのおばちゃんが言った。


「うーん、寝不足かなぁ」


俺は笑って返した。

笑えたのが、自分で怖い。


俺、いま、普通を演じられる。

普通の顔を作れる。


でも体の奥は、ずっと濡れた火種みたいに熱い。



十三時を回り、昼のピークはまだまだ続くが、この辺で休憩に入らないと回らなくなる。そうなると、店長が何か言いたげな雰囲気があり俺はそれを察する。


(そろそろか……)


「榎本さーん。休憩入っちゃいましょうか」


いつも通り店長からの指示で俺は休憩時間に入った。


「お疲れ様です。それじゃ、休憩入りまーす」


俺はいつも通り控え室に行き、パソコンで休憩打刻を打つ。そして制服を脱ぎ、ラフな格好に着替えると、すかさず自分のロッカーからスマホとイヤホンを取り出して、トイレに駆け込んだ。


いつもだったら、ホールに出て賄いを食べるが、今日はそれどころではなかった。


トイレの鍵をかけ、個室に座る。

その瞬間――体より、頭がほっとした気持ちになった。


(やっと、できる)


俺は慣れた手つきで、スマホのブラウザからAVサイトに飛び、両手フリックで女優とタイトル名を瞬時に入力し、左にあるトイレットペーパーホルダーの上に置いた。


そして再生し、いつものポイントのシーンまで飛ばしてから行為をする。こんな自宅ルーティンをまさか職場のトイレでもするなんて。

画面には女優と、男優が風呂場でイチャイチャしているシーン。


俺は夢中になりながら、我慢し、さっきまでうどんを延ばしていた手を、今度は自分の性液を出すために使っていた。


目の端に入る唇。

少し濡れた感じの舌先。

豊満な胸元。


それを“情報”として拾った瞬間、俺の中が一気に濃くなる。


(……すごい)


たまに、厨房の方で聞こえてくる「いらっしゃいませー」の声が耳元に入ると、申し訳ない気持ちにもなるが、俺の欲求は止まらない。


(ごめんなさい、でも休憩だからね)


終わったあとの虚しさも、早かった。俺は最低だ。


最低だけど、頭をスッキリさせたかった。


鏡を見ると、なぜか微笑んでいる自分が、そこにいた。


(……俺、何やってんだろ)


そう思った。


でも、答えは出てる。

やってんだよ。



仕事が終わって、俺はいつも通りスーパーに寄った。


いつも通りの地域密着型。

いつも通りの棚。

いつも通りの値札。


豆腐。

ネギ。

えのき。


鍋が頭にある。

晩飯が先に決まってる生活。


最後に精肉コーナーへ行った。


豚肉が並んでいる。


脂の白さ。

赤身の色。

加工日。


俺はいつも通り、肩ロースを吟味する。


「今日も最高の豚しゃぶと共に、酒を飲んで、テレビを見て、ぐっすり寝ると」


豚しゃぶは、生活をちゃんとさせる。

しかも、思ったより節約できる。


「いいこと」しかない。


だから俺は今日も買う。


俺は、日常を守りたい。

壊したくない。


そのくせ、昼のトイレで、あんなことをした。


不釣り合いすぎて、笑える。


――笑えない。


俺はレジへ会計をしに行くと、見たことのない店員がそこに、いた。


(いつもの婆さん店員はいないのか)


見た感じ二十代後半といったところか。

細身で少し影のあるような感じ。長い髪で少し顔が隠れてるが、よく見ると鼻も高く、唇もグロスで艶があり、美人だ。


「いらっしゃいませ」


見た目同様、声も綺麗で思わずハッとしてしまった。


「あっ、お願いします」


その店員さんが商品を次々にスキャンしているのをいいことに、俺は首元から鎖骨、薄いニットの下の線。鼻、目、口、指先の爪の色までを舐め回すように見ていた。


(……だめだ、こんな見てたら変質者も同然だ)


財布を握りしめる。

そのとき、左手が目に入った。


――薬指に指輪。

そんな細部に目が止まった瞬間、俺の中の熱が、また跳ねた。


すぐに会計を済ませ、急いで商品を袋に入れ、なぜか逃げるように店を出た。

冬の空気が冷たい。

息が白い。


でも下腹は冷えない。


俺は、理由も分からないまま、

ただ確信だけを持ってしまった。


この感じは、

今日で終わらない。


むしろ――


明日の方がもっとひどくなる。そんな、予感がした。

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