4章6話 琴上人は愚かである
暗雲立ち込める空。木々は怪しく揺らめく。
小ぶりだった雨は、激しさを増し、一人の少年に降り注ぐ。
「いってて……ここは?」
少年は冷たい雨に降られ、ようやく目を覚ます。
どうやら、少年は森の中に倒れていたらしい。
混乱しながら、上体を起こし辺りを見渡す。
揺れる木々。黒い雲。冷たい雨。
泥の上に少年はいた。
「俺、確か、父さんと戦って……その後……」
「ようやく目を醒めしたようじゃな。ジン。我が孫よ。」
ジンと呼ばれた少年は、声のする方向を振り返る。
そこには、九本の尻尾を揺らす狐の妖怪がいた。
「九尾……」
ジンは鋭い眼光で目の前の妖怪を睨みつける。
「邪険にするでない。おばあちゃんだぞ?」
「……何の話だ。」
「シノブや恭から聞いてないか?お前はこの俺『琴上義』と『九尾』の孫だってな。」
九尾の背後から現れた青年は、不敵な笑みを浮かべてジンに話しかけてくる。
「琴上義……一族のほとんどが、お前に殺された。そう聞いている。」
「悪質な事実の切り取りだな。まあ、否定はしない。だが、おじいちゃんとしては、少々悲しいぞ?」
ジンの怒りのこもった眼差しに怯むこともなく、返してみせる義。
「義はな、お前さんと恭を助けるために戦ったのじゃ。そこは知っておいて欲しかったな。」
「何の話だ。さっきからなんの話をしてんだ!!!俺をこんなところに連れてきてどうするつもりだ?……やり合おうってんなら、いつでもいいんだぜ?」
悲しそうに言葉をかけてくる九尾に対し、怒りを溢れさせるジン。
立ち上がると、霊力を解放する。
「アッハハハハハ!なんじゃそれは?それで殺気を向けておるつもりかえ?小便でもチビったのかと思うたわ。」
「貴様ァああああああ!!!!」
さらに出力を上げて威圧してみせるが、九尾と義は小馬鹿にしたように笑うのみだった。
「良いでは無いか。九尾。そうバカにしてやるもんでもない。孫が一生懸命力を見せてくれようとしているんだ。お遊戯に付き合うのも、親というもの。孫なら余計に楽しく相手してやるのが、年寄りの勤めだろう?」
「それもそうじゃな。話はオムツを変えたあとでも良いか。良いぞ?どこからでも来るといい。ちょいと、遊んでやろう?……小僧。」
刹那。九尾の雰囲気が一変する。
ジンはとんでもない霊力の圧に、いとも容易く膝を地面につける。
「あがっ……!?」
「おや?ちと威圧した程度でこれか?さっきまでの威勢はどうした。ほれ、来てみろ。」
「な…!な、なめんなよ……!!クソババア!!!!!」
ジンは再び霊力を爆発させ刀を呼び寄せると抜刀し、九尾を切りつける。
全力の一撃。
予断している今を逃す手はなかった。
首元目掛けて切り裂く。
だが───────。
「他愛ない。所詮は児戯。この程度の攻撃にオロチは敗れたか。堕ちたな、琴上!!!!!恐るるに足りぬわ!!!!」
「なっ!?ば、ばかな!?」
刀が九尾の首元に触れた刹那、その刀は簡単に砕け散った。
絶望するジンの首を掴むと、九尾は微笑む。
「我が孫として、これでは示しがつかん。真なる攻撃というものをその身に受けるがいい。……特別じゃ、本気をくれてやろう。……『業火』」
「がっ!?」
その痛みを知覚した刹那、全身を焼くような炎に身を包まれる。
九尾が繰り出した拳はジンの腹部を易々と貫き、その傷が起点となり地獄の業火へと痛みを昇華していく。
燃えたぎる炎は勢いを増し、漆黒の雨さえも寄せ付けぬほどジンの体を燃え上がらせる。
皮膚は焼かれ、四肢は朽ち果て、魂だけがそこに残った。
「どうじゃ。生まれ直した気分は。清々しいであろう。人の肉体という業から、開放されたのじゃ。もう縛られることはない。己を解放するのじゃ、ジン。ソナタは我らと共にある。ソナタが歩む道は我らが作ろう。……共に行こうではないか。人なき世界へ。我らが幸せな世界へ。」
「憎き琴上を滅ぼし、世界の人間全てを葬り去る。理想郷はもうすぐそこだ。俺たちを捨て裏切った悪しき人間は全て、殺す。妖怪だけの世界を作るのだ。……安心しろ、ジン。お前が気にかけている鬼の子も、俺たちの仲間になってくれるさ。」
暗闇に染まる森の中。九尾と義は愛おしそうに、ジンの魂を見つめていた。
◆◇◆
昔から、妖怪を殺すように育てられてきた。
それが俺たち琴上の勤めだと、教えられて生きてきた。
じっさまの瞳には、妖怪を憎む炎が燃えていた。
父さんは怯えるように、力を奮っていた。焦るように、必死にその力を奮っていた。
母さんは悲しむように、俺たちを見守っていた。
俺には何も無かった。
使命も約束も、運命さえもどうでもよかった。
ただ与えられた役割だけをこなす。そこに意味なんて見出さなかった。
そういう家だから、そういう力があるから、俺は戦う。
それだけだった。
世界には良くも悪くも妖怪とか幽霊とか溢れていて。
害をなす奴は片っ端から殺す。なんもしてこない奴は別にどうでもいい。俺には関係ないし。そんな感じだった。
だから、どこか冷めていたんだと思う。
周りのみんなとは違う世界が見えていて、俺にとってはそれが当たり前。
周りのみんなを遠くに感じていた。
だからかな。クラスに一人の女の子が、幽霊として現れてもなんも気にしなかった。
『助けて。お兄ちゃんを助けて。』
そう強くお願いされたけど、別にどうでもよかった。
一目でわかった。『創助』の妹だろうなって。
最近死んだって聞いたから。
でも別にそん時、創助と友達じゃなかったし。
俺には関係ない。俺が生きてる世界では、亡者から助けを求められるなんて当たり前。
醜い人の悪意や気味の悪い未練まで、俺に擦り寄ってくる。
その中のひとつでしかなかった。
『お願い!助けてよ!!!』
でも、あいつは違った。
「誰。誰なの?どうしたらいいの?私に何かできることはある?」
目を疑った。
幌先鈴蘭は教室のど真ん中で、姿も見えないのに『そのなにか』に声をかけたんだ。
妖怪は忌むべき存在で、助ける対象じゃない。
それなのに、あいつは普通の人間みたいに手を差し伸べたんだ。
「鈴蘭ちゃん、何言ってるの?」
「わかんない。わかんないんだけどね、最近声、声が聞こえるの!」
「ちょっとやめてよ」
「なにそれこわい!」
「おいおい、きめーこと言うのやめろよな!」
「なんもいねえじゃんか!」
「いるもん!いたもん!絶対!誰かに助けを求めてたもん!」
『そんなもん、いるわけねーだろ』
口をついて出た言葉。
俺はその言葉をずっと、後悔している。
そしてあの日から、心を閉ざした『創助』にも。
酷い罪悪感から俺は抜け出せていない。
自分が酷く情けない奴に思えた。
ダサくて惨めで、『役割』に対して『意味』が生まれた時に、オレは怖くなった。
自分で選択することの恐ろしさを知ってしまった。
何かを選んでしまったら、自分の中の何かが崩れる気がした。
興味のないフリをして、考えることから逃げて、俺は自分を保とうとした。
悔しかった。
前に進んでいくふたりが。
眩しかった。
俺は何も出来ずに、ここにいるのに。
創助は自分で選択して、できる最善をいつも尽くしていた。
びっくりするぐらい壁をすぐに乗り越えて、前に進んで、隣にいるだけで、劣等感に押しつぶされそうになった。
鈴蘭は絶対に自分の正義を曲げなくて、自分の答えをいつも貫いていた。
考えて行動して、いつも前を向いていた。
二人みたいになりたかった。
主人公みたいにかっこいい二人に。
でも俺は心が弱いから。
鈴蘭と何度も妖怪と遭遇するたぴに、心が折れていった。
『ここの妖怪さんは、人に攻撃しないんだね!』
『ほら見て!あの二人!片方は妖怪!片方は人間だよ!素敵じゃない?』
『うわあ!あの猫さんの妖怪、可愛い!!』
『あの子が遊んでるのって、妖怪さんだよね?私と同じだ!』
鈴蘭と関わる度に、無差別に殺してきた妖怪の最期を思い出して心が傷んだ。
無邪気な鈴蘭の笑顔が怖かった。
なんでそんな簡単に受け入れられるんだよ!!!!
怖いだろ!キモイだろ!殺すのが普通なんじゃねえのかよ!!!!
なんでそんなふうに関われるんだよ!なんでお前はいつも自分が傷つくことを恐れないんだよ!
俺は怖いんだよ!!!
◆◇◆
目を開けると、白い空間に俺はいた。
それよりも視界に映る自分の姿に違和感が走って、周りを見るどころではない。
銀色に煌めく毛並みが視界に入った。
耳と爪は鋭く伸び、視界は黄金に染まっている。
肩や腕を撫でるフサフサの感触。九本の尻尾が視界に入った。
全身に冷や汗が流れる。
「なんだよ……これ」
「それがお前さんの本来の姿じゃよ。……おはよう。生まれ変わった、否、本来の身体は気に入ったかのう?……我が孫、ジン。」
「あああああああああっ!!!!」
九尾が見せてきた手鏡には異形のケモノが映っていた。
紛れもなく、それは俺だった。
俺は本当に妖怪だったらしい。
酷い頭痛と激しい吐き気。
悲しみと絶望が俺の全身を支配していく。
「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。俺は人間、俺は人間、俺は人間、俺はあっ!!!人間だ!!!!!」
地面に強く拳を打ち付ける。
戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ。
何度も、何度も、何度も、俺は体を地面に打ち付ける。
だが───────姿は元に戻らなかった。
「ぁあああああああっああああっ!!!」
「気は済んだかのう?我の後継がなんという醜態を晒しておる。汚らわしい人間の肉体を、かように欲するか?」
「……殺せ。殺せよ。」
俺は生きる気力を無くしたように呟く。
「ふざけたことを申すでない!!!!」
俺の言葉が、九尾の逆鱗に触れたのか首を絞めあげられる。
「そこまでクズでありたいのなら、我が直々に殺してやる。」
「……好きにしろよ。」
「おい、九尾。それじゃあ、俺たちのやってきたことが意味をなさなくなる。」
「黙れ!!!!こんなやつ寵愛を受けるに値しない!!!!こやつは、妖怪であるどころか、人でもないわ!!!どれだけの愛と想いを受けて、生きてきたのか何も理解しておらん!!!こんな輩はクズじゃ!!!!忌むべき存在じゃ!!!!我にも、義にも、恭にも、シノブにも、那月にも似ておらんわ!!!!!」
「好きで生まれてきたわけじゃねえよ!!!!」
刹那。俺の言葉に被せるように、義の拳が腹部にめり込む。
「かはっ!?」
「………それ以上、口を開くな。」
強烈な一撃によって、俺の体は壁際まで吹き飛ぶ。
「……義。我らは間違っていたのか?」
「……おのが子のために、力をふるってきたが、コイツは琴上家に殺されることを望んでいたとはな。」
「我らはただ……子と家族で平和に暮らしたかっただけじゃったのにな。」
「なんでこんなところまで、来てしまったのだろうな。」
霞む視界で見えたのは、悲しそうに呟く二人の姿だった。
くそ!!!なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。
何を間違えてるっていんだよ!どうしたら良かったんだよ!!!
俺はただ無力で情けない自分に、苛立ちと悔しさを覚えるだけだった。
悔しさとは裏腹に、俺の意識は遠のいていく。
「どうやらここまで馬鹿だったとはね。さすがは琴上。呪わし血だ。」
突然二人の前に現れた人影。
その姿には見覚えがあった。
「お主、何者じゃ?その体に宿るお主に聞いておる。」
「おやおや。力を貰い受けながら、僕のことを忘れたのかい?九尾。……それにこの体に宿る妖など、僕一人じゃないか。」
「貴様は……」
「そうだよ。思い出したかい?僕は天邪鬼。世界を終焉に導く虚無の鬼さ。」
俺の視界に映ったのは、歪な表情を浮かべる───────鈴蘭だった。
「すず……ら、ん。どうして……」
「君が愚かで、二人にかけていた悪意を取り除いてしまったからさ。……ねえ、九尾、そして、義。君たちは計画通り、人間を滅ぼしてもらわないと……困るんだよねえ。」
違う。あれは、鈴蘭じゃない。
鬼だ。
封印が解けたって言うのか?
だから、父さんは鈴蘭を殺そうとしていたのか?
分からない。
九尾の出現に、鬼の復活?
何が起きてるんだ。理解が追いつかない。
「君たちは人間を恨んでいたはずだ。幸せな家庭を作るには人間を滅ぼすしかないんだよ。そこの孫を見てよく理解しただろう?人間というモノの愚かしさを。」
鬼は不敵に笑うと、悪意を溢れさせる。
その溢れ出た悪意は瘴気となって、九尾と義を襲う。
「があああああああっ!?」
「ぐっあああああああ!!」
悲痛な声を漏らす二人。
邪悪に笑う鬼。
痛みが収まったのか二人は転がっている俺を持ち上げて、首を絞め始める。
「ぐっ!?」
痛みで意識が覚醒するが、同時に死を間近に感じる。
「琴上は我らが……」
「滅ぼす……!!!」
何が起きてるんだ!?
さっきまでと、明らかに様子が違う!!!
鈴蘭、お前二人に何をした!!!
問いかけたいが、声は届かない。
お前は、妖怪と人の世界を望んでいたんじゃねえのかよ!?
もうわかんねえよ!!!
刹那。
九尾も義に一筋の斬撃が走る。
不意打ちを受けた二人は俺から手を離すと、後退する。
俺と二人の間に見覚えるのある少年が現れた。
「助けに来たぞ!ジン!!!」
そこに現れたのは───────八岐大蛇と野村海であった。
「……カイ?おまえ、俺がわかって……それにその妖怪は……」
「説明はあとだ。戦うぞ!ジン!」
「……俺は……」
「なんか迷ってるみたいだから、戦う前に一つだけ言っておくぞ。……親友の顔、俺が分からない訳ないだろ?」
カイは眩しい笑顔で微笑んでくれる。
悩んでいたことが途端に、どうでも良くなってくる。
どうすればいいかなんて、今考えることじゃない。
あとで、いくらでも悩んでやる。
親友の前でいつまでも腐ってられないからな。
俺は立ち上がり、意識を集中させる。
「正直、迷いしかない。でも戦うのは、俺の残された役割だ。」
「だな。お前はそれでいいんだよ。難しく考えんな。やるぞ!!」
「ああ!!!」




