第6話 夜の静寂と奇妙な動悸
王都を出て数時間。太陽が地平線の向こう側に沈み、空が群青色に染まる頃、アルノとセルマは街道から少し外れた開けた場所で野営の準備を始めた。
慣れた手つきで焚き火を起こし、干し肉とわずかな野菜を煮込むアルノ。その横で、セルマは騎士団の支給品ではなく、アルノが持参した使い込まれた鍋を興味深げに眺めている。
「こうして火を囲むのも、五年ぶりか。君が竜騎になり、私が副団長になったあの日、無理やり演習場で酒を飲んだな」
セルマが懐かしそうに目を細める。
パチパチとはぜる火の粉が、二人の顔を赤く照らした。
「……ああ、あの時は酷い二日酔いで翌日の訓練を台無しにしたな。お前が強引に誘うからだ」
「ははは! あれは良い思い出だ。アルノ、君はあの頃から変わらない。周囲がどんなに騒がしくても、自分の中の芯だけは決して曲げなかった」
セルマの言葉は、焚き火の熱よりも深く、アルノの胸の奥にまで届くような響きを持っていた。
アルノはスープをかき混ぜる手を止め、ふと隣に座る男の横顔を盗み見る。
(……何だろうな、この感覚は)
胸の奥が、チリチリと焼けるように熱い。
これまで十五年間、戦友として、同期として、背中を預け合ってきた相手だ。今さら緊張するような仲ではないはずなのに、セルマの優しい眼差しや、落ち着いた低音の声に触れるたび、アルノの心臓は不自然な鼓動を刻んでいた。
セルマは女性ではない。屈強な騎士団を束ねる、紛れもない男だ。
それなのに、まるで異性と語らっているかのような、むず痒くも心地よい「どきり」とする感覚に襲われる。
(疲れ……ているのか? いや、それとも……)
アルノが混乱した思考を隠そうと視線を泳がせた、その時だった。
セルマがアルノの迷いを見逃すはずもなかった。
彼は少しだけ、アルノの隣へと腰をずらし、肩が触れ合うほどの距離まで近づいて座り直した。
「……アルノ。私の顔に、何か付いているのか?」
覗き込むような仕草。
火影に照らされたセルマの瞳には、真剣さと、どこかいたずらっ子のような親愛の情が混ざり合っている。
近すぎる距離に、アルノの鼻腔をセルマの纏う革と鉄の匂い、そして微かな白檀のような香りがくすぐった。
「な、何でもない。ただ、お前も老けたなと思っただけだ」
「嘘をつくな。君の瞳は、嘘をつく時には少しだけ右上を向く癖がある。十五年前から変わっていないぞ」
セルマは静かに笑い、さらに顔を近づける。
アルノはたまらず、手に持っていたおたまを鍋の中に落としそうになった。
この男は、自分が他人に与える影響を自覚しているのか、それとも無意識なのか。
「アルノ。私は、君が騎士団を去ったあの日から、ずっと考えていたんだ。君のいない王都が、これほどまでに味気ないものだとは思わなかった、とな」
「……言い過ぎだ。お前には騎士団という家族がいるだろう」
「代わりはいくらでもいる。だが、アルノ・ステルモは一人しかいない」
熱を帯びた言葉が、夜の冷気の中に溶けていく。
アルノは返答に窮し、慌てて出来上がったばかりのスープを器に注いだ。
「ほら、食え! 食って寝ろ! 明日は早いんだ」
「ああ、いただくよ」
セルマは満足げに器を受け取り、スープを口にする。
アルノは自分の器を両手で包み込み、熱い液体で動悸を鎮めようと必死だった。
スローライフを取り戻すための旅のはずが、道連れとなった友人の存在そのものが、アルノの心のスローライフを大きく乱し始めていた。




