第55話 地下水路の「収穫」と農夫の経済学
地下水路の調査へ向かう前、アルノは「少し寄る場所がある」と二人を連れて馴染みの道具屋へと足を運んだ。
そこでのアルノの買い物は、これから闇の組織を追う者とは到底思えない、あまりに奇妙な組み合わせだった。
カウンターに並べられたのは、特大サイズのゴム長靴、大量の麻袋、何故か強力な消臭液、そして目の細かい金網数枚。
「ねえ……それ、今回の調査に本当にいるの?」
エトリエルが不思議そうに、長いゴム長靴をつついた。
「……必要だ」
アルノは真剣な眼差しで、金網の目をチェックしながら答える。
「どうして? 相手は不死の兵士とかいう気味の悪い連中なんでしょ? 聖水とか銀の剣とか、もっとこう……あるじゃない」
ルファスも困惑した表情で、消臭液の瓶を見つめる。
「ルファス、お前は分かってないな。地下水路ってのはな、単なる泥水の通り道じゃない。そこには臭いの原因菌やバクテリア、堆積した有機物が腐るほどある。……だが、これらは俺の大切な畑にとっては、発酵を助ける貴重な『源』にもなるんだ」
「「…………。」」
アルノは構わず続ける。
「奴らを追うついでに、良質な沈殿物を回収してくる。あの地下の微生物群は、冬場の土作りには欠かせない。金網で余計なゴミを濾せば、最高の肥料のベースが手に入るんだ」
「でも、アルノ。そんなに大量の麻袋……調査の邪魔にならない?」
エトリエルのもっともな指摘に対し、アルノは胸を張って言い放った。
「俺はこうしてギルドの報酬を道具屋で使い、還元することで、国の経済を円滑に回しているんだ。ただ貯め込むだけじゃ金は腐る。経済の循環は土の循環と同じ――」
「長い話は嫌い」
エトリエルが即座にシャットアウトした。
「私も……少しだけ、アルノの『農夫の性』に付いていけなくなりそうだわ……」
ルファスも深いため息をつく。
結局、アルノは山のような「肥料回収キット」を背負い、満足げに道具屋を後にした。
ギルドを出ようとしたその時。
「アルノさん! おかえりなさい!」
聞き慣れた声と共に、コボルトのラッドが駆け寄ってきた。
その姿を見た瞬間、アルノの目が鋭く光る。いや、それは戦士の目ではなく、獲物を求める「愛好家」の目だった。
「……ラッド。いいところにいたな」
「えっ? うわっ、アルノさん!? 急にどうしたんですか、そんなに熱い目で見つめて……ひゃあぁっ!」
アルノは無言でラッドを抱き寄せ、そのふかふかの首周りに顔を埋めた。
ここ数日、魔王や精霊や魔族といった「人外の美女美形」に囲まれ、精神をすり減らしていたアルノにとって、ラッドの純粋な毛並みこそが唯一の救いだった。
「(……これだ。この弾力、この獣臭さのない清潔な毛並み。……足りなかったのはこれだ)」
「アルノさん、苦しいです! 補充って言っても加減してください! 鼻息が荒いですよ!」
「うるさい……。俺は今、極度の『もふもふ不足』なんだ。お前がギルド員として地下水路に同行するなら、移動中はずっとこうだぞ」
「公私混同がひどいですよぉ!」
ラッドの悲鳴がギルドに響くが、アルノは離さない。
魔王たちに翻弄され続けた銀等級の農夫にとって、コボルトのもふもふは、もはや理性を保つための「聖域」となっていたのである。
こうして、大量の麻袋を背負い、嫌がるコボルトを小脇に抱えたアルノの一行は、不気味な気配が漂う地下水路へと足を踏み入れた。




