第52話 夜の静寂と、揺らぐ自制心
夕食と風呂を済ませ、心地よい疲労が全身を包み込む。
明日はギルドへ行かねばならない。アルノは早々に各自を自室へ(あるいはいつもの寝床へ)促し、自らも布団に潜り込んだ。
夜中。
ふと、隣から「ん、んぅ……」という微かな声が聞こえ、アルノは意識を浮上させた。
薄暗い月明かりの中、視線をやると、そこには案の定、寝相の悪いエトリエルがいた。
布団を完全に蹴飛ばし、無防備にお腹を出して大の字で寝ている。
アルノは溜め息をつき、這い出してその布団を優しくかけ直してやった。
ふと、至近距離でその顔を見つめてしまう。
昼間の騒々しさが嘘のように、穏やかで純粋な子供のような寝顔だ。
「(……寝顔は、本当にかわいいな。魔族だっていうのを忘れるくらいだ……)」
一瞬、その頬に触れたくなる衝動に駆られ、アルノは慌てて手を引っ込めた。
「(いかん! 俺は何を考えてるんだ!)」
毒を食らったかのように首を振り、視線をずらす。
そこには、ルファスがいた。
彼女はエトリエルとは対照的に、まるで彫刻のように微動だにせず、清らかなリズムで静かな寝息を立てている。
透き通るような肌に、月光が銀色の糸のように反射する。
精霊としての神秘性と、一人の女性としての艶やかさが同居したその姿に、アルノは息を呑んだ。
「(ルファスも……本当に綺麗で、かわいいな……。……いかんいかんいかん!?)」
アルノは自分の布団に潜り込み、顔を覆った。
心臓の鼓動が、静まり返った部屋の中で異様に大きく響く。
「(俺はどうしちまったんだよ……。もっと硬派な奴だっただろ? 戦場では鉄の意志を持った元竜騎士だったはずだ。それが、居候たちの寝顔を見ただけでこれか……?)」
独身生活が長すぎたせいか。
それとも、この穏やかなスローライフが、彼の張り詰めていた心の鎧を溶かしてしまったのか。
右を見ても、左を見ても、絶世の美貌(と人外の魔力)を持つ存在がいる。
かつて死線を潜り抜けた経験も、この「甘い包囲網」の前では何の役にも立たない。
「(……だめだ。余計なことを考えるな。明日はボリスに会わなきゃならないんだ。少しでも……少しでも眠らねば)」
アルノは無理やり目を閉じ、頭まで布団を被った。
しかし、闇の中でさらに研ぎ澄まされる聴覚が、隣から聞こえる柔らかな寝息を拾い上げ、彼の理性を一晩中じわじわと削り続けるのであった。




