第5話 不純(?)な動機と出陣
「救える命、それを見捨てるのがおめーさんのスローライフか?」
ボリスの言葉が、ギルドの天井に重く響いた。
かつてのアルノ・ステルモであれば、その言葉に「騎士としての正義」を呼び起こされていただろう。しかし、今の彼を突き動かしたのは、もっと切実で、もっと個人的な怒りだった。
「は、畑が……荒らされている、だと?」
アルノの口から漏れた声は、地を這うような低音だった。
魔物被害。村人の嘆き。それ自体も看過できないことだが、何よりも許せなかったのは「手塩にかけて育てられた作物が無惨に踏みにじられている」という事実だ。
土を耕す苦労、芽吹いた時の喜び、そして収穫を待つ期待。それを知ってしまった今のアルノにとって、畑を荒らす行為は、自分の魂を汚されるに等しい暴挙だった。
「場所は……どこだ?」
アルノの瞳の奥に、かつて戦場を支配した「竜騎」の鋭い光が宿る。
ボリスはニヤリと笑い、カウンターに数枚の羊皮紙を叩きつけた。
「場所はここだ。王都から南へ半日。豊かな土壌で知られる農村だが、最近、正体不明の魔物が夜な夜な現れては、収穫間近の作物を食い荒らし、踏み荒らしているらしい。村人たちが必死に防壁を作ったが、それも紙細工のように破られたそうだ」
「……許せん」
アルノは無意識に、冒険者プレートを握りしめていた。
畑が目的だ。それは間違いない。だが、その畑を守ることは、結果として村人たちの生活を、そして彼らの命を救うことになる。
それが今の自分にできる、最高のスローライフへの「落とし前」だと、アルノは自分を納得させた。
「ボリス? これ私も行くべきだな?」
それまで黙って推移を見守っていたセルマが、不意に口を開いた。
ボリスは太い腕を組み、当然だと言わんばかりに頷く。
「ああ。現状を把握するためにも、あんたには同行してもらうつもりだった。王国騎士団長自らが現場を見れば、周辺警備の増員も話が早いだろ?」
「わかった。アルノ、共に行こう。十五年ぶりの共同作業だな」
セルマが爽やかに笑い、アルノの肩を叩く。
アルノは忌々しげにその手を引き剥がしたが、拒絶はしなかった。一人で行くよりも、騎士団長という権力者がいた方が、後腐れなくスローライフに戻れるかもしれないという計算もあった。
「勘違いするなよ、セルマ。俺は畑を助けに行くんだ。お前を助けに行くわけじゃない」
「わかっているとも。君の『農夫としての正義感』には敬意を表そう」
二人は準備を整えるため、足早にギルドを後にした。
アルノは途中の道具屋で、冒険者用の予備の剣だけでなく、なぜか最高級の「追肥」と「土壌改良材」を買い込んだ。
「……アルノ、それは戦闘に必要か?」
「魔物を仕留めた後、荒らされた土をすぐに手当てしてやらなきゃならないだろうが。騎士団長なら、兵站の重要性くらい理解しろ」
セルマは呆れたように肩をすくめたが、その瞳にはどこか懐かしそうな色が浮かんでいた。
たとえ動機が「野菜」であろうと、アルノ・ステルモが再び戦場(現場)に立つ。その事実だけで、セルマにとっては十分だった。
王都の門を潜り、二人は南へと馬を走らせる。
かつて竜の背から見下ろした景色を、今は地面に近い視線で駆け抜けていく。
アルノの心にあるのは、これから出会うであろう村の畑への同情と、それを踏みにじった何者かへの、静かな、しかし苛烈な怒りだった。




