第47話 波乱の帰宅と、魔王の膝枕
ようやく辿り着いた、我が家。
アルノにとっては安らぎの聖域であるはずのその場所が、扉を開けた瞬間に「にぎやかな戦場」へと変貌した。
「わあ! ここがアルノの家ね! 素敵、王宮の寝室よりずっと落ち着くわ!」
「やっぱりアルノの家は空気の質が違うねぇ。この土の匂い、落ち着くよ」
「私はキッチンの精霊たちにご挨拶してくるわね。アルノ、お料理の準備をしましょう」
はしゃぐユーミ、勝手知ったる様子で寛ぐエトリエル、そして甲斐甲斐しく動き出すルファス。
アルノは玄関で立ち尽くし、深いため息を一つ吐くと、重い腰を上げて台所へと向かった。
「……よし、食え。今日は特別だぞ」
アルノが作り上げたのは、リーディア村で手に入れた新鮮な薬草を隠し味に使った、特製の煮込み料理と香草焼きだ。
立ち上る芳醇な香りに、三人の目が輝く。
「おいしい! アルノ、これ毎日食べさせてくれたら、私、魔王引退してここで農婦になっちゃう!」
「姫様、それは流石に国家存亡の危機ですよ……モグモグ、でも本当に美味しいな、これ」
「アルノの愛情がスパイスになっているのね。体が芯から温まるわ」
三人の胃袋を完璧に掴み、満足させたアルノ。
食後の片付けを終え、ようやく一息つこうとお風呂の支度を始めた時のことだった。
「アルノ、一緒に入りましょう!」
ユーミが当然のような顔をして、脱衣所の入り口で宣言した。
「だ、ダメだって言ってるだろ! お前は一国の主なんだぞ!」
「ええー、でも野営地の温泉では一緒だったじゃない。ここはお家なんだし、もっとゆっくりしたいわ」
潤んだ瞳で見つめられ、アルノの脳内に「昨夜の秘酒」の影響か、あるいは単なる疲れか、致命的なバグが生じた。
「……まあ、……一緒に入りたいなら、……いいけどな」
(――いかんいかんいかん!! なぜ今『いいけどな』って言ったんだ俺のバカ野郎!!)
口が勝手に滑った。だが、一度許可を出してしまえば、魔王様が引き下がるはずもない。
湯船には、乳白色の入浴剤が溶け込んでいる。
アルノは端っこで石のように固まっていた。
隣には、タオルを巻いているとはいえ、驚くほど無防備な姿のユーミがいる。
(いかんいかん……煩悩よ、離れろ。俺は岩だ。俺はただの動かない岩なんだ……)
だが、狭い家庭用の浴槽だ。ふとした拍子にユーミの肩が触れ、腕が重なる。
タオル越しでも伝わってくる、柔らかく、確かな胸の感触。
湯気の中に漂う彼女の香りと、濡れた肌の艶やかさに、アルノの心拍数は限界突破を繰り返していた。
(ああ、もうダメだ……色々と垣間見えすぎる……。なぜだ、なぜ今、温泉で見たセルマの逞しくも妖艶な裸体までフラッシュバックしてくるんだぁ!? なんで今セルマが出てくるんだよ!!)
脳内を駆け巡る欲望の嵐。
ユーミの愛らしさとセルマの肉体美が混ざり合い、アルノの精神はかつてないほどの混沌に叩き落とされていた。
ほうほうの体でお風呂から上がり、ようやくリビングのソファに腰掛けた。
「はぁ……。やっと落ち着ける……」
そう呟いた直後だった。
「アルノ、お疲れ様。はい、これ」
ユーミがふわりとアルノの膝の上に頭を乗せてきた。
まさかの膝枕――いや、アルノが「される側」ではない。魔王を「している側」だ。
アルノの太ももに、ユーミの頭の重みと温もりが預けられる。
(おいおいおい……マジかよ……)
さらには。
「アルノ、お帰りー!」
エトリエルがソファの後ろから回り込み、アルノの首に腕を回して抱きついてきた。
「やーめーろー! 暑苦しいんだよお前は!」
「いいじゃん、アルノ。僕も寂しかったんだよ?」
「アルノ、反対側も空いていますわよ?」
間髪入れず、ルファスがアルノのすぐ隣、肩が密着するほどの距離に寄り添うように座り込んだ。
左腕にはルファスの柔らかな感触。
首筋にはエトリエルの無邪気な抱擁。
そして膝の上には、幸せそうに目を閉じる魔王ユーミ。
(……俺ってなんなん? 隠居したはずの農夫だよな? なんで世界を滅ぼせるレベルの連中に包囲されてるんだ?)
ソファの上で完全に身動きが取れなくなったアルノは、天井を見上げて遠い目をした。
かつての戦場で、数千の敵軍に囲まれた時よりも絶望的な状況。
だが、その胸の奥底には、自分でも認めたくないほどの、温かくてこそばゆい幸福感が確実に芽生えていた。
「……はぁ。お前ら、明日からはちゃんと畑仕事手伝えよ……」
アルノの小さな抵抗は、三人の穏やかな寝息と笑い声にかき消されていく。
最強の元竜騎士が夢見たスローライフは、どうやら「世界一賑やかなハーレム生活」へと、なし崩し的に上書きされてしまったようだった。




