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元竜騎の俺は郊外に住んでいたが王国騎士団長は俺をどうやら冒険者にしたいらしい  作者: みなと劉


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第45話 魔王の慈愛と、過ぎゆく時間

温泉での騒乱が明けた翌朝。

 アルノは昨夜の精神的疲労を色濃く顔に残しながらも、一行を促して王都へと続く街道を歩いていた。

 二日酔いは完全に抜けた。だが、代わりに「魔王」という、外交問題どころか世界の均衡を揺るがしかねない存在を引き連れて王都に戻るという重圧が、アルノの肩に重くのしかかっている。

 「いいか、ユーミちゃん。王都に入る時は絶対にフードを深く被るんだぞ。ボリス……ギルドマスターには俺から説明するから、勝手に『私が魔王よ!』なんて叫ぶなよ?」

 「わかってるってば、アルノ。私はただ、アルノの作った野菜を食べて、のんびりしたいだけなんだから」

 ユーミは機嫌よさそうにアルノの隣を歩く。その姿は、どこからどう見ても旅慣れた良家の令嬢にしか見えない。

 しかし、彼女が放つ隠しきれない王者の風格と、時折見せる鋭い観察眼は、やはりただ者ではないことを物語っていた。

 一行が王都まであと数時間の距離にある、緑豊かな林道を通りかかった時のことだ。

 先頭を歩いていたユーミが、不意に足を止めた。

 「……待って。あっちの茂み、何かいるわ」

 アルノも即座に気配を察知し、腰の採取用ナイフに手をかける。だが、ユーミが感じ取ったのは敵意ではなく、消え入りそうな小さな生命の灯火だった。

 彼女が迷いなく茂みをかき分けると、そこには一頭の羚羊カモシカが横たわっていた。

 脚を深く負傷しているのか、立ち上がることができず、荒い息を吐きながら怯えた瞳でこちらを見つめている。

 「……この子、怪我をしてるわ。いま手当をしてあげるから、動かないで」

 「ユーミちゃん、待て。野生動物に下手に魔力を流すと、過剰な活性化で逆に命を縮めるぞ」

 アルノの制止に、ユーミは優しく首を振った。

 「知っているわ、アルノ。魔王として、多くの命を管理してきたもの。魔法に頼りすぎることが毒になる場合もある。だから……私は私なりの、人間と同じやり方で助けたいの」

 ユーミは背負っていた小振りのバッグから、手慣れた様子で薬瓶と清潔な包帯を取り出した。それは魔王としての権能ではなく、彼女が個人的に学んできた医学の知識に基づいた準備だった。

 彼女は羚羊の前に膝をつき、まずは安心させるように優しく鼻先を撫でた。

 不思議なことに、人間を恐れるはずの野生動物が、ユーミの手に触れられると、ふっと全身の力を抜いて大人しくなった。魔王特有の「生命を威圧する力」ではなく、純粋な「慈愛の波動」が羚羊に伝わったのかもしれない。

 「エトリエル、消毒液を。ルファス、患部を冷やすための綺麗な水を用意して」

 「了解、姫様!」

 エトリエルが機敏に動く。

 「はい、ただいま」

 ルファスも清らかな水を生成し、手際よく補助に回る。

 二人の規格外な従者も、今はユーミの「看護助手」として完璧に機能していた。

 ユーミは羚羊の脚にこびりついた泥や血を丁寧に拭い去ると、アルノから譲り受けた特製の治療薬(リーディアで採取したばかりの新鮮な成分を配合したもの)を塗り込んだ。

 「よし……これでもう大丈夫。骨には異常がないわ。少し深く切っただけね」

 仕上げに白い包帯を魔法のように素早く、かつ完璧な強さで巻き上げる。その手つきの鮮やかさに、アルノは感心せざるを得なかった。

 「……大したもんだ。戦場での応急処置以上だな」

 「ふふ、アルノに褒められるなんて光栄だわ」

 手当を終えたユーミは、次に自分の荷物から干し草の束と、少しばかりの果実を取り出した。

 「これ、食べられるかしら。美味しいわよ」

 差し出された林檎の欠片を、羚羊はおずおずと口にする。シャリ、という心地よい音と共に食べ終えると、羚羊は感謝を示すようにユーミの手に顔を擦り寄せた。

 「アルノ。悪いけれど、今日は帰るのを止めましょう。この子が立ち上がって、ちゃんと群れに戻れるか見届けたいの。一晩だけ、様子を見ていいかしら?」

 アルノは空を見上げた。

 日はまだ高いが、ここから王都へ向かえば到着は夜更けになる。それよりは、弱った動物を優先したいという魔王の願いを叶える方が、今のアルノにとっては「正しい選択」に思えた。

 「……分かったよ。一晩だけだぞ。ルファス、周囲に魔除けの結界を張ってくれ。エトリエル、火を焚く準備だ。今夜はここで二度目の野営にする」

 「やったぁ! アルノ、今夜のご飯も楽しみにしてるよ!」

 「私もお手伝いしますわ、アルノ」

 こうして、一行の帰還は一日延びることとなった。

 焚き火の傍らで、傷ついた羚羊を優しく見守るユーミの横顔。

 かつて破壊の象徴と恐れられた魔王が、一頭の小さな命のために心を砕いている。その光景を眺めながら、アルノは「これが自分の守りたかった平和の形なのかもしれない」と、不覚にも少しだけ胸が熱くなるのを感じた。

 もっとも、その数分後にはユーミに「アルノ、お腹空いた! 私、お肉も食べたい!」と催促され、いつもの苦労人モードに引き戻されるのだが。

 静かな森の夜。

 焚き火の爆ぜる音と、時折聞こえる羚羊の安らかな寝息。

 アルノのスローライフ(仮)は、魔王という最大の居候を加え、また一歩、予想外に温かな方向へと足跡を刻んでいった。

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