第37話 リーディア村奥地の山嶺へ
「薬草の聖域」と呼ばれるその場所は、リーディア村の背後にそびえる険しい山嶺の中腹にあった。
村長の話によれば、そこは古くから清らかな湧き水と豊かな魔力に恵まれ、最高品質の薬草が自生する聖域だという。しかし、今そこから流れ落ちてくる空気は、鼻を突くような腐敗臭と、肌を刺すような刺々しい魔力に汚染されていた。
「……やっぱり、普通じゃないな。ルファス、エトリエル。ここからは遊びじゃないぞ」
アルノは銀等級の冒険者としての顔を見せ、二人の先頭に立った。
「わかってるわ。この山全体の精霊たちが怯えて、息を潜めているもの」
ルファスの瞳が、薄い銀色から鋭い神性を帯びた輝きへと変わる。
「僕も、なんだかムカムカしてきた。せっかくの美味しい空気と植物を台無しにするなんて、許せないよ」
エトリエルもいつものお気楽な調子を消し、指先を小さく鳴らして周囲の索敵を開始する。
山嶺へ続く細い登山道は、所々が巨大な鉤爪で引き裂かれたように抉れていた。さらに進むと、本来なら鮮やかな緑を誇るはずの植物たちが、どす黒い粘液に塗れて枯れ果てている光景が広がる。
(……この破壊の跡。ただの魔物じゃない。意図的に地脈を汚し、そこから溢れ出す負のエネルギーを食らっている「何か」がいるな)
アルノはかつての戦場での経験から、最悪の事態を想定していた。
煩悩に悩んでいたのが遠い昔のことのように思える。今の彼の感覚は、一歩ごとに研ぎ澄まされ、背負ったカゴの中の薬草採取道具が、かすかに金属音を立てて共鳴していた。
「――来るぞ」
アルノが低く呟いた瞬間、頭上の岩壁から黒い影が躍り出た。
それは、通常の個体よりも数倍はあろうかという巨大な「ポイズン・ワイバーン」だった。だが、その翼には不気味な紫色の紋様が浮かび上がり、眼球は赤く濁っている。
「グアァァァッ!!」
「こいつ、自分から魔毒を浴びて変異してやがるのか……!」
「アルノ、下がって! ここは僕が――」
エトリエルが前に出ようとするが、アルノはその肩を片手で制した。
「待て。お前らが力を全開にすれば、この聖域ごと吹き飛ぶ。……俺が動きを止める。お前らはその後、浄化とトドメを任せた」
元竜騎士が、一歩、踏み出す。
地脈を汚す怪物に対し、大地を愛する農夫の怒りが静かに燃え上がっていた。




