第34話 煩悩の嵐と、魔族の無邪気
アルノは温泉から這い上がると、濡れた体を拭くのもそこそこに、逃げるように自分のテントへと飛び込んだ。
簡易ベッドの縁に腰掛け、両手で頭を抱え込む。心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていた。
(いかん、いかん……煩悩を捨てろ、アルノ・ステルモ。お前は隠居した農夫だ。静かな余生を過ごす身だろうが!)
しかし、一度火がついた想像力は、御しきれない暴れ馬のようにアルノの脳内を駆け巡る。
月夜に光るセルマの逞しくも美しい肉体美。ラッドのあの、抗いがたい魅力を放つもふもふの耳と尻尾。それらが混ざり合い、良からぬ妄想となってアルノを責め立てる。
『ほら、アルノ。お前が本当の本当に見たいのは、私の裸だろう?』
脳内で、妖艶に微笑むセルマの声が響く。
『アルノさん、見てください。僕のお耳に尻尾……ふさふさでしょ? 遠慮せずにワシャワシャしていいんですよ?』
幻覚のラッドが、これでもかと尻尾を振って誘惑してくる。
(うう……やめろ、消えろ! 俺はもっと……こう、高潔な精神を持っていたはずだ!)
己の内に潜む欲望の塊と必死に格闘し、悶絶するアルノ。
その時、テントの入り口がパサリと捲られた。
「アルノ……そこで何してるの? もしかして、人間界で流行りの『自問自答クイズ』?」
入ってきたのは、湯上がりで肌をほんのり桜色に染めたエトリエルだった。タオルを無造作に首にかけ、不思議そうに首を傾げている。
「んなわけあるか! ……ただの、その、体力の回復だよ!」
アルノは慌てて背筋を伸ばし、平静を装って怒鳴り返した。しかし、目の前のエトリエルのあまりに無防備な姿に、再び視線のやり場に困ってしまう。
「ふーん。顔、真っ赤だよ? まだのぼせてるの? ルファスが冷たい風を操って冷やしてあげようかって言ってたけど」
「必要ない! ほら、お前もさっさと髪を乾かして寝ろ。明日は早いんだぞ!」
「はーい。……アルノって、たまにすごく面白い動きするよね」
クスクスと笑いながら自分の毛布に潜り込むエトリエル。
その無邪気さが、今のアルノにはどんな魔法よりも恐ろしい攻撃に感じられた。
最強の元竜騎士の夜は、リーディアへの道中よりも遥かに険しい試練の連続となっていた。




