第31話 不穏な夜と、穏やかな朝の調べ
アルノはベッドの中で、固く目を閉じながらこれからのことに思いを馳せていた。
かつて竜の背に乗り、戦場を駆けていた頃には想像もできなかった奇妙な日常。隣からは、高位精霊であるルファスの「すー……すー……」という、透き通るような寝息が聞こえてくる。
だが、問題はもう一方だった。
(……おい、エトリエル。いつまで俺の髪を弄ってるんだ)
右側に陣取ったエトリエルが、アルノの髪を指先でくるくると弄んでいる。それだけならまだしも、不意に顔を近づけて髪の匂いまで嗅いできた。
アルノはもやもやとした感情を必死に抑え込み、自分自身に強く言い聞かせる。
(大丈夫だ……落ち着け……。こいつは魔族だが、確か男だったはずだ。……そうだよな? 男同士なら、まあ、ちょっと距離感が近いだけだ。……大丈夫、大丈夫だ、俺)
心の中で何度も「大丈夫」と唱えるものの、肌に伝わる熱や吐息が気になって仕方がない。
「……安心して寝れねーよ」
思わず小さく毒突くが、皮肉なことに、エトリエルの陽だまりのような温かさとルファスの清涼な気配が混ざり合い、アルノの意識を深い安らぎへと誘っていく。結局、あれほど警戒していたはずの元竜騎士は、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
翌朝。
窓の外から聞こえる鳥のさえずりで、アルノは目を覚ました。
昨夜の喧騒が嘘のように、身体は驚くほど軽く、清々しい朝だ。
「……意外とよく眠れたな」
隣を見れば、ルファスは行儀よく、天使のような顔でまだ夢の中にいる。対してエトリエルは、布団を蹴飛ばし、アルノの腕に足を乗せるほど奔放な寝相を晒していた。
「ったく、これじゃ風邪を引くぞ」
アルノは苦笑しながら、蹴飛ばされた布団をエトリエルの肩まで丁寧にかけてやる。
二人の寝顔をそっと見つめると、昨夜のイライラはどこかへ消え、胸の奥が少しだけ温かくなった。
(……まあ、皆、可愛い寝顔だな)
そんな柄にもないことを考えながら、アルノは二人が起きないよう、細心の注意を払ってベッドを抜け出した。手早く着替えを済ませ、キッチンへと向かう。
トントントン、トントントン……。
静かな朝の空気に、まな板と包丁が刻むリズミカルな音が響き渡る。
畑で採れたばかりの新鮮な野菜を切り、香ばしいスープを煮込む。ベーコンを焼くパチパチという音と、食欲をそそる豊かな香りがリビングに広がっていく。
「んぅ……いい匂い……」
「アルノ、おはよう……。お腹空いたぁ」
その美味しい魔法に誘われるように、目をこすりながら二人がキッチンへと姿を現した。
「よし、顔を洗ってこい。朝飯だ」
アルノはフライパンを揺らしながら、ごく自然にそう言った。
銀等級の冒険者と、高位精霊と、上位魔族。
リーディアへの旅立ちを前に、アルノの家には、彼が切望したスローライフとは少し違う、けれど心地よい「家族」のような朝が訪れていた。




