後日談:隠色だより
昼下がり。
事務所のプリンターが「ピピッ」と鳴って止まった。
ディスプレイには無情の文字——紙づまり。
相沢がトレーを開け、慎重にA4を引き抜く。角は少し波打って、でも救えた。
「縁起がいいじゃん。紙が“詰まる”ほど反応があるってことだよ」
「うまいこと言うけど、予備のはがきが足りないのは本当だ」
昨夜公開したレポート「隠色の落書き」。ダッシュボードの山はまだ成長中。
受信箱がまた青く光った。
「レポートを投稿してすぐ伸びるってことは、待ってる人がいて、興味を持ってくれているってことだよね」
桂一はうなづいて答える。
「そうだな。そのうちもっと専門的な所からも声がかかるか、本格的に調べよう、って人も出てくるだろう」
「暗号か何かに使えそうだし、『特殊インク』とか売れるようになったら面白いかもね」
「いたずら書きが増えるかもしれないぞ」
「あ、それもそうか」
相沢が笑った。
「この活動も人の為になるって思えるから、趣味の延長みたいな感じじゃなくて、もっと大きくしたらいいんじゃない?」
「大きくするには人を雇ったりしないといけないからな。そんなの僕に合ってないんだよ」
「おお、かっこいい」
軽口の間にも、受信箱は静かに光り続ける。
——石川県金沢市・工芸職人より。金箔工房の偏光を見せながら、子どもに“帯”の話をしました。語彙カードが便利です。——
——長野県松本市・高校生。街灯の下できらきらが見えました。母は何も。同じ紙に並べたら静かになりました。——
——鹿児島県霧島市・管理会社。路上テスト不可の明記に助けられました。センター展示の相談をしたい。——
相沢がA5のコメント受領票をプリンターから抜き、日付と時刻を書いて受領印を押す。朱が紙にゆっくり広がる。
「“静かになりました”は名フレーズだね。冷蔵庫に貼る高さの文だ」
「紙は生活の高さにあると効く、ってやつだ」
受信音。今度は学校から。
——東京都小金井市・小学校。理科の『光』で黄色バリアグラスと偏光を扱います。結果票(A4)と安全手順のはがき、教材に引用させてください。——
「引用可。直視禁止/短時間/未成年は同意書の三点は太字で、って一文を添えて送る」
返信テンプレ(A4)に一行ずつ手書きで足し、PDFで返す。控えはクリアポケットへ。
机の端では貸出キットの名札ケースを拭き、偏光カードの角を角丸に切りそろえる。
相沢が画面を覗き込む。
「グラフ、階段みたいに上がってる。紹介経由が多い。『見えた/見えないを同じ紙で並べる展示』って書いてくれてる」
「言葉が広がるのは嬉しいけど、手順が先に行ってほしいな。安全が土台だから」
「太字三点、もう一段濃くしよう」
受信箱がさらに光る。今度は経験者の長文が三通。
——福岡県大牟田市・大学生。小さい頃から見えていたけど、黙っていました。結果票に『見えた』と書いたら、家族が『見えない』を並べてくれました。喧嘩になりませんでした。——
——新潟県長岡市・娘より。父が白内障手術後に青が変わったと言います。記事の水晶体の説明を一緒に読みました。医療は専門への一文、助かります。——
——和歌山県田辺市・救命講習指導員。保護具の話をするときに黄色バリアグラスの例を出します。SDS抜粋の配布、許可いただけますか。——
「OK。SDSはリンクではなくA4に印刷して同封、が鉄板」
「あと、はがきの増刷。白鳥さんから“庁舎分が切れた”って来る頃だよ」
と、ちょうど受信音。白鳥から一文。
——庁内周知は初回分がなくなりました。三百増刷お願いします。——
「当たり」
「角2の封筒、あと二十」
ふと思い出したように、相沢が指を鳴らす。
「グッズは?『語彙ステッカー』とか、『偏光まわしメジャー』とか」
「絶対いらないだろ」
「じゃあ『紙は噂より重い』の活版カード」
「それは……ちょっと欲しい」
二人で笑っていると、玄関のチャイムが鳴った。
差出人のない封書が一通。中には便箋とL判の写真。便箋には達筆で短く。
——兵庫県尼崎市・千明。貸出キットを友人と試しました。彼女はもや、私は何も。同じ紙に並べて貼りました。ありがとう。——
写真には、冷蔵庫の扉に結果票が二枚。マグネットで押さえられ、横には買い物メモ。
生活の高さに、紙が収まっている。
「これ、ニュースレターの巻頭に使おう。隠色だよりの一枚目」
「見出しは『喧嘩にならない紙』で決まり」
そこへ、非通知の着信。短い呼吸の後、落ち着いた声。
「Keyです。四つの条件のA3パネル、写真で見ました。——机が見えました」
「机?」
「見える人と見えない人が向かい合って、紙を真ん中に置くための机です。路上には置けませんでした」
「じゃあ、これからは会場に置きます。増やします」
通話が切れて、静けさが戻る。
相沢がホワイトボードに一行。
——紙の机は増設中——
夕方。
ダッシュボードの山はなだらかな尾を引きはじめ、代わりに長文コメントが増える時間帯になった。
僕は【FAQ】に一文足す。
——健康や診断は医療機関へ(本記事は一般的な仕組みの解説です)。
相沢はA4横の簡易集計を更新し、語彙の雲にさざ波/ふわり/網目を追加。
成瀬は貸出キットの台帳(A5)に列を増やし、返却印をきれいに並べる。
「そろそろ次号いける?」
「いける。巻頭は冷蔵庫の写真、特集は偏光45°が強い理由を三文で、末尾は**“語彙の例文”**募集」
「“例文”いいね。『帯が出た』『きらきらが走った』『もやが揺れた』みたいなやつ」
受信箱が最後にもう一度、控えめに光った。
——沖縄県宮古島市・祖父。孫が『きらきら』、私は『網目』。同じ紙に並べたら、夕飯の味が濃くなりました。話すことが増えたからかもしれません。——
「……最高のレビューだな」
「うん。味が変わるくらいの紙、って最高」
バインダーの背にインデックスシールを貼る。「隠色/後日談」。
はがきの束は封入してポストへ。結果票の写しはクリアポケットで背をそろえる。
編集画面の【編集後記】を一段だけ更新した。
——“見える”は個性。“見せる”は手順。
——見えた紙も見えない紙も、同じ高さで並べれば、たいていの喧嘩は起きません。
——紙の机、引き続き増やします。——
「閉める?」
「閉めよう」
蛍光灯を一本落とす。
白い背表紙の列がやわらかく浮かぶ。
玄関の鍵を回す前、ホワイトボードにもう一行だけ足した。
——在ったことは紙で共有。違いは紙で並列。今日はよく眠る。——
ドアを閉める。
高架の音が一度だけ重なって、遠ざかった。
明日の朝、ニュースレターを流して、補充のはがきを受け取る。
紙の机は開いたまま、次の「ありがとう」を待っている。
読了ありがとうございました。




