結:見える人と見えない人のあいだに
日曜の朝。
地域センター会議室Bの白い壁に、A3パネルが三枚並んだ。左から「安全な可視化の手順」「Key for four(四つの条件)」「隠色の地図」。受付の机には黄色バリアグラスと名刺サイズの受付カード、結果票(A4)の束。電源タップの上に365nmライトが二本、キャップをしたまま静かに横たわっている。
「準備、確認」
「偏光シート、十枚。タイマー、二個。SDSの抜粋、見える場所」
「掲示は白鳥さんの文面どおり、太字三点」
パネルの中央に太字で三行がある。
——見える/見えないには個人差があります
——路上での可視化テストは行いません
——黄色バリアグラス/短時間/直視禁止
九時半、最初の来場者。
相沢が受付カードを渡して説明する。
「順路に沿って偏光を回す→UVを2秒。見えた/見えないのどちらでも正解です。自分の言葉で書いてください」
「はい」
十時。
辻さんが静かに入ってきた。結果票の余白に「『みえるひとへ』が1/5」「45°で濃い」と書き、ペンを置く。字は読みやすく、緊張の跡はない。
サトシは準備席で偏光の回し方をゆっくり示す。玲は後方で安全の声かけと同意書の確認。二人は目が合うと短く笑った。
十一時、親子連れ。
親は「見えない」、子は「きらきら」。同じ台紙に二枚が並ぶ。
「違っても正しいですよ」と相沢。親はほっとして頷いた。
その直後、ドア口で声が荒くなった。
「また落書きの連中だろ。やめろよ、子どもに変なこと教えるな」
作業着の男性が壁の前へ踏み出す。玲が下がる気配。
僕は一歩だけ前に出た。
「路上ではやっていません。ここは許可をいただいています。顔は映しません。もしご不安なら、結果票をご覧ください。見えなくても正解です」
「正解って何だよ」
「自分で書いた言葉です」
男性は鼻を鳴らしながらも、黄色グラスを受け取った。
偏光を0→45→90°。UV 2秒。距離60cm。
しばらく沈黙。結果票には、たった一行が残った。
——何も見えませんでした。
そして小さく、もう一行。
——でも、隣の人は見えたようです。
「ありがとうございます。両方、正しいです」
男性はグラスを返し、手すりに手を当ててから、短く会釈して出ていった。背中に力は入っていない。
昼。
机の上で結果票が積み上がる。濃さスコア、偏光角、距離、語彙。
「今日のトップ語彙、帯ときらきらが拮抗」
「棒グラフ、その場出しする?」
「やろう。A4横で簡易集計」
成瀬がA4横に角度別の棒グラフを出力、45°が最多に丸をつける。L判の現場写真も三枚プリントして貼付台紙へ。
白鳥が昼過ぎに寄って、はがきサイズの周知案内を受付に一束置いていった。
「庁舎内でも配ります。**“見える/見えないは個人差”**の一文は、こちらでも出します」
「助かります。紙があると、現場が動きやすい」
午後一時、大学生グループ。
一人が「あ、点々」と声を上げ、仲間が「もや」と首を傾げ、もう一人は眉を寄せて「見えない」。
並んだ三枚の結果票を見て、最初の学生が言う。
「同じ壁で違う三枚、面白い」
「“違いを並べてOK”が展示の肝です」と僕。
その横で、サトシが透明シートを持ち上げ、玲が来場者の手元を見守る。
「2秒ね。回して、止めて、離す」
「はい」
「皮膚にも向けないで」
「わかってます」
受付の端に、貸出キットの棚ができた。名札ケースに黄色グラスと偏光カード、手順カード。
——貸出中(日付)/返却(日付)
A5の台帳にサインをもらう。受領印を重ねるだけで、内容に骨が通る。
夕方前、辻さんが少し照れたように寄ってきた。
「Key for four、すごくわかりやすいです」
「光/角度/距離/個人差。紙で置けると、説明が短くて済む」
「私、今日初めて『一人じゃない』って紙で感じました」
「それが終わりで、始まりだよ」
閉場。
机の上に、結果票の束が残った。見えたも見えないも、同じ紙の束に重なる。
相沢がA4台紙に今日の代表三枚を並べ、日付印を押す。成瀬は集計表をA4横でまとめ、片隅に語彙の雲を書き足した。
玲がA5の謝辞を読み上げる。「路上での配布はやめます。これからは許可場所で、安全手順でやります」。
拍手は小さく、でも芯がある音だった。サトシは頭を下げ、名刺を差し出す。余白に小さく「#隠色」。
片付けの最中、小さな小競り合いが一度だけあった。
帰り際の通路で、肩がぶつかった男子高校生が、勢いでサトシの胸を押した。
僕は外側から手首を軽く払うだけで線を作る。
「押さない。ここで終わり」
相沢が案内カードを差し出し、成瀬が短く会釈。「ごめんね、もう終わりだから」
高校生は舌打ちして、でも走らずに去った。問題なし。
記録には**「肩を小突かれる→振り払う→終息」**と一行。紙にしておくことで、次へ持ち越さない。
夜。
事務所のL字デスクで、僕はレポートの下書きを開いた。
見出しは【仕組み/結果/運用】。
【仕組み】では水晶体の短い図解(フィルタ/個人差)、UV蛍光と偏光の説明を三文で。
【結果】は角度別の棒グラフと、語彙トップ3(帯/きらきら/もや)。見えない票も写真入りで載せる。
【運用】は貸出キット、安全手順、路上不可、相談フォーム、はがき周知。
最後に、あの一文。
——証明はしない。記録は残す。場をつくる。
「公開、いつにする?」
「明日の朝。トップ固定で一週間」
「寄付ボタンは下のほうでいい?」
「紙代と郵送費が伸びてるから、控えめに置く」
白鳥から掲示完了のメール。はがきの写真付き。黄色い帯に太字三点。
返信に今日の結果票の写真を数枚添えた。
「個人差の明示と場の確保、ありがとうございます。路上不可の徹底は、こちらでも続けます」
相沢がカップを置き、ふっと笑う。
「ニュースレターのタイトル、『隠色だより』でいい?」
「いいね。巻末は語彙の俳句コーナーとかつける?」
「やめとこう。路上不可の横に俳句は軽すぎる」
「確かに」
受信箱が青く光った。
千明からの短文。「見えない自分も混ざれました」。
もう一通、知らない人から。「子どもはきらきらで、私はもや。同じ紙に並べました」。
どちらの言葉も、A6の単票メモに移してバインダーの裏へ差す。
深夜。
バインダーの背にインデックスシールを貼る。「隠色/結」。
結果票はクリアポケットに移し、写真貼付台紙はA3パネルに差し替え用を二枚印刷。
貸出キットは名札ケースに戻し、「返却期限」の小紙を一枚ずつ入れた。
「終わり。——よくやった」
「見える人と見えない人の間に、紙の机を置けた感じ」
「うん。机があれば、座れる」
蛍光灯を落とし、机のライトだけにする。
白い背表紙の列がやわらかく浮かぶ。
窓の外の夜は静かで、偏光を回す必要がないほど、やさしい。
「帰ろっか」
「帰ろ」
ドアを閉める前、ホワイトボードに一行だけ残した。
——“見える”は個性。“見せる”は手順。紙は噂より重い。
鍵を回す。
廊下の灯りが少し揺れ、すぐ落ち着いた。
明日の朝、レポートを公開して、後日談をブログに固定する。
ほっと息を吐く。
今夜は、よく眠れそうだ。




