おにぎりと声出し
放課後は、家庭科室にダッシュして、おにぎりを握るところからはじまる。
選手の腹ごしらえのためだ。
家庭科室の大型炊飯器で炊いたお米をマネージャー総出で握る。だけのこと、なんだけど。
「ちゃんと手ぇあろたん?」
いきなり梨花さんから詰問が飛んでくる。
「あろたん?」とは「洗ったの?」という意味なんだろうと思いながら「はい」と返事すると、
「ほんま? 石鹸で指の隅々までちゃんとあろたん?」
と重ねて聞くので、「そこまでは」と返した。
「あんたなあ」
小柄で愛らしい顔の眉間に縦スジが入る。
「もし食中毒でも起こしたら、どうするつもりなん?」
「は、はいっ、すみません」
「ここで見とぉから、そこで手ぇあろてみ」
梨花さん監視のもと、石鹸を泡立てて丁寧に洗ったつもりだったが、先輩は洗った指先を見て、ため息をついた。
「あんた、ツメ伸びすぎやわ。もっと切ってきぃ」
「ええっ」
思わず声が出たけど、ぱっちりしたおめめがまっすぐに睨んでいる。
「わ、かりました」
さくらさんはなにも言わず、お米をしゃもじでかきまぜていた。水蒸気がもうもうと上がる。お米の匂いが部屋じゅうに広がる。
おにぎりは、ひとり2個。部員は三学年で55人。全部で110個。しかもかなり大きめ。それを3人でやらねばならない。ほかほかご飯はすぐ掌に熱をためる。
「もぉ、とろいなあ。もっと、はよ握られへん?」
梨花さんはここでも手厳しい。
「は、はいっ!」
とは言うものの、ご飯はあつあつだし、おにぎりは大きいし。
「まあまあ、慌てない慌てない」
さくらさんが助け舟を出してくれる。
「でも、のんびりやっとぉヒマないですよ」
先輩ふたりの手際のよさと言ったら。おにぎりがどんどんできあがる。形もうつくしい。
110個できると、学年別にポリ袋に詰めてグラウンドまでダッシュ。ベンチにどさっと置く。そのままマネージャー室に入って、体操着に着替える。着替えたら、グラウンドに出て、道具の清掃や整理をする。
その頃、選手たちはライトあたりで円になって声出しをしている。誰かが指名され、その日のお題でスピーチするのだ。今日で言えば、「将来の夢」。日替わりの司会進行役が「語りたい人」と言えば、全員が大声で「はい、はい」とほぼ叫ぶように挙手する。指名されれば、円の真ん中に立って、スピーチをはじめる。
「自分の将来の夢は、プロ野球選手より上手い社会人野球選手になって、都市対抗で優勝して会社に恩返しすることです。自分は社会人野球の仕組みがよくわかっていませんが、たぶん仕事は少なめで野球をやらせてくれるのだと思います。だから仕事が少ない分、野球で恩返しできる選手になりたいです。この双翼の3年間の一日一日を大切にして、野球の技術、人間性、そして勉強もしっかり伸ばしてゆきます。以上です」
てな具合。
こんなところ、ほんと野球部だよね。
準備しながらスピーチを聞いていると、さくらさんが言った。
「モモちゃん、気をつけてね。あのスピーチ、マネージャーに振ってくることあるから」
ぇ゙ そうなの?
「無茶振りとアドリブは野球部の十八番だと思って」
はあ。
「べつに立派なこと言わなくていいからね。いざってときにアタフタしないための訓練みたいなものだから」
みたいなものだからはいいけど、これいきなり振られたら、やっぱ焦るよね。
ふとママの顔が浮かんだ。なんだかいつもアタフタしてるような気がする。
選手は挨拶の声を出しながら、円を小さくしてゆく。
「おはようございます!」「おはようございます!」
「おやすみなさい!」「おやすみなさい!」
「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」
「いただきます!」「いただきます!」
「こんにちは!」「こんにちは!」
「お手数おかけします!」「お手数おかけします!」
「俺たちは今日も練習ができる!」「俺たちは今日も練習ができる!」
「俺たちは今日もやる!」「俺たちは今日もやる!」
「俺たちは昨日より先に進んでいる!」「俺たちは昨日より先に進んでいる!」
「俺たちはできる!」「俺たちはできる!」
「俺たちは勝つ!」「俺たちは勝つ!」
「今日も自分に勝つ!」「今日も自分に勝つ!」
最後に全員で拳を高々と挙げながら、わあっと大きな声を張り上げた。そして一斉にランニングに入った。