監督
「あ、監督を紹介してたほうがいいよね」
「は、はい」
「うちの監督、とにかく熱いから」
名塩にいざなわれて、体育館の「顧問室」に行く。
「監督がグラウンドにいないときは、基本ここにいるから。あと、今日はいないけど、もうひとり部長の先生がいるの。また紹介するね」
名塩が顧問室の扉をノックする。背筋をピンと伸ばして。そしておもむろに扉を開けると、
「野球部、名塩、入ります」
と芯の通った声を出し、深々と一礼した。さっきまでの柔らかな雰囲気とはまるで違うきびきびした動作だった。
「マネージャー希望の見学者を連れてきました」
中から大きな濁声が返ってくる。
「マネージャーの?」
間をおいて、ぬっと現れたのは浅黒い顔。目と鼻の穴が大きい。わたしを見ると、そのまま部屋から出てきた。まるで入道のように大きい。胸板が隆々としている。歳は五十を過ぎているか。
「野球部顧問の戎晴彦です」
大きな声で名乗ると、大男はにこりと笑った。愛嬌のある顔だと思った。
「鳴尾浜桃子です」
大きな声で返答した。
「鳴尾浜さんね、まあ、まずは野球部の活動を見てって下さい。聞きたいことがあったら、この名塩がなんでも答えてくれる」
「はい」
「野球部は朝練もあるし、土日も練習試合が入ってる。マネージャーは選手と一緒に活動するから、基本、休みはないと思ってほしい」
まっすぐ目を向けて、戎は言う。さっき、名塩から聞いたばかりなので、黙って頷く。
「わたしの方針は、とことんやる、だ。部活はもちろん、学校の勉強もしっかりやってもらう。部活があるから勉強しなくていい、なんて考えは許さない。いいですか?」
「はい」としか答えようがない。
「高校生は詰め込んだ分だけ伸びるとわたしは信じている。この若くて伸び盛りの、可能性に満ち溢れた貴重な時間の1分1秒を無駄にしてほしくはない。部活はその貴重な時間を意義あるものにするためにあると思ってほしい」
戎はふっと笑みを浮かべた。そして、名塩に顔を向けた。
「名塩」
「はいっ」
「このチームの目標は?」
「甲子園出場です!」
戎の顔がこちらに向いた。
「チームは聞いてもらったとおりの目標に向けて動いている。マネージャーの役割は、選手が活動するすべてのサポートだ。選手が、チームが最大限のパフォーマンスを発揮するにはどうすればいいのか。それを自分たちで考え、実行するのが、マネージャーの役割だ。決して簡単なことだとは思わないが、簡単ではないことだからこそ、取り組む価値があると、わたしは考えている」
戎はひと息入れてから、また名塩に顔を向けた。
「名塩、このチームの活動方針は?」
「はい、人に感動を与えられる野球部、です」
「そのためにどうあるべきか」
「はい、ひとりひとりが、さすが双翼高校野球部の部員だと思われる人間になることです」
戎の顔がまたわたしに向けられた。
「つまり、自分を磨き、自分の弱い部分をできるだけなくしてゆくってことです。いいですか、わたしは部活を通して、人間として成長してもらいたいと思っている。そんなところもしっかり見てから、入るかどうか決めてください」
戎はじゃあと言って、顧問室に引っ込んだ。
「ありがとうございました」
名塩が深々と頭を下げた。それを見て、わたしも慌てて頭を下げた。
「緊張した?」
扉が閉じられてから、名塩に声をかけられた。柔らかな笑顔だった。
「いつもはもっとフランクだから、そこは安心して」
「甲子園が目標なんですね」
「そうよ。高校野球やる以上はね」
甲子園。ふと、センバツ開会式の入場行進が目に浮かんだ。
「でもね」
名塩の顔がぐっと近づいた。
「ただのスローガンじゃないからね。うちは本気で目指してるの」
そのきらきらとした眼差しに、この人がプラカードを掲げて甲子園の黒土を踏む姿を想像した。なぜかリアルな感じがした。
次の日、ママに署名捺印してもらった入部届を名塩に提出した。
「入部届は仮入部期間によく見てもらってからでいいんだよ」
名塩にはそう言われたけど、一度決めたことをあれこれ迷いたくなかった。
「わかった。じゃ、鳴尾浜さんのこと、今からモモちゃんって呼ぶね」
「あ、はい。えと、名塩、先輩」
「わたしはさくらでいいわ。梨花ちゃんからもそう言われてるし」
こうして、わたしは、双翼高校野球部に入部した。