主将
今度は向こうが戸惑ったかおをした。と、すぐに「神崎さん、神崎さあん」と叫びながら、グラウンドへ駆けていった。向こうでは「来た、来た、来たあ!」とか急に盛り上がっている。さっきの部員とともに、神崎と呼ばれた、ひどく立派な体格をした部員がドタドタ駆けてきた。大きな尻、ぴっちりとした太もも、分厚い胸板、割れた腹。マッチョだ。
「マネージャー希望っすか?」
「は、はいっ」
見上げるよなところから声をかけられ、思わず返事が裏返ってしまった。神崎、頬が張って、両目が寄って、鼻の下が長い。類人猿みたい。
「おっし、ひとりゲット!」
後ろでさっきの部員が激しくガッツポーズしている。
「おれ。あ、いや、わたし。主将の神垣純一です。今、マネージャーがいないんで、詳しいことはマネージャー帰ってきてから聞いてください。顧問も今いないので、とりあえずこっちで練習見てってください」
筋骨隆々の大男に案内されるままグラウンドへ向かい、古びたホールのような建物の横を通って、粗末な屋根のついた汚いベンチに座らされた。目の前では、野球部が黙々とグラウンド整備をしていたが、部員全員が遠慮のない視線を向けてきた。
「名前は?」
神垣がおもむろに聞いてくる。
「鳴尾浜桃子です」
「なるおはまももこ、なるおはまももこ、なるおはまももこ、なるおはまももこ、なるおはまももこ、なるおはまももこ、なるおはまももこ、なるおはまももこ…よし、覚えた」
それ、呪文?
「なるおはまももこ、さん。科は? 文科?」
「文科です」
「そんな顔してると思った。じゃあ、マネージャー、そのうち帰って来るんで」
神崎はそう言い残すと、グラウンドへ駆けていった。
そんな顔してるって。。。
グラウンド整備は、トンボと呼ばれる木組みの用具で、地面をならすところからはじめる。その後で、ブラシと呼ばれる、刷毛を巨大化したようなT字型の用具で仕上げると、凹凸のないうつくしいグラウンドになる。ブラシはピッチャーズマウントを中心に、円を描くようにかけるのが基本だ。もうもうと砂塵が舞い上がるから、ブラシをかけ終わる頃には、全身、砂まみれになってしまう。ひととおりブラシをかけ終わると、最後にたっぷり水を撒く。
このグラウンド整備がちゃんとできていないと、打球がイレギュラーしたりして、とても危ない。常にグラウンドの状態に目配りができているか。基本的なところだけれど、そのチームの、野球への姿勢が現れる。このチームは。。。見事にうつくしいグラウンドを作り上げていた。
整備が終わると、部員たちは外野に散って、アップをはじめた。大きな掛け声がグラウンドに響く。
声が出ているか?
そこでもチームの力を知ることができる。
声が出ていないチームは元気がない。元気がなければ動きがわるい。動きがわるければ練習が散漫になる。練習が散漫になれば試合でいい動きができない。試合でいい動きができなければ試合に勝つことはできない。
グラウンド片隅のベンチに座り、きびきび動く部員を眺めながら、わたしは少年野球の監督がいつもやかましく言っていた諸々を思い出していた。ときおり風が吹いて、グラウンドの砂を巻き上げた。
「いいチームだ」
なんとなく、そう感じた。