打撃練習と投球練習
打撃練習は、ピッチングマシン1台、バッティングピッチャーが2人出てきて、同時に合計3人がフリーバッティングをする。次の3人は別の場所でトスによる打撃練習、その次の3人は素振りという具合に、細かく分かれて、15人ほどでローテーションを回す。他のメンバーは守備につく。
「バッチ、前打たねーから、守備寝てんじゃん」
「なんでそれ振らないかなあ。ピッチ、ノーコンなんだからさあ、二度とこねーぞ、そんなタマ」
「それ振り遅れてるよーじゃ、高砂は打てねーぞ」
監督の声はここでも飛びまくる。それにあわせて、周囲からも「バッチ来いバッチ来い」「さっきから全然来ねーぞ」「一球一球気ぃ抜くなよー」「打ってくれよー、頼むよー」と大きな声が飛び交う。しっかりした打球が飛ぶと「ナイッバッチン!」と大きな声が響く。
1年生は学校の外をひたすら走っている。学校のグラウンドの向こうにはおおきな公園が広がっていて、長距離周回コースがある。そこを走っている。
「打撃練習って、他の人はしないんですか?」
そばにいたさくらさんに聞くと、
「この週末から春の大会が始まるからね」
「春の大会って、公式戦ですか?」
「そ、だから、今ここで打撃練習してる子たちが、ベンチ入りメンバーってわけ」
フリーバッティングの打球はなかなか迫力があった。
特にずんぐりとして、人一倍ヒップの大きな人の打球はぐんぐん伸びて、レフト奥のフェンス上段に次々突き刺さる。
「ほー」
「あれがうちの四番、柳本。去年の夏の大会でも三番打ってて、ホームラン4本打ったの」
部員名簿を繰ってみる。
柳本、柳本、あった。柳本誠也。
「ももちゃん、まだ誰が誰だかわかんないよね。あとで保護者会が作ってくれた写真入りのメンバー表と、春大のベンチ入りメンバー表を渡してあげる。よく見てて」
「はい」
とは答えたものの、50人からの顔と名前を頭に叩き込むのは、ひと仕事だよね。
「ボール磨き、終わりました」
カゴいっぱいのボールを持って梨花さんに報告すると、何やら資料整理していた先輩が顔を上げた。
「見してみ」
カゴごと渡すと、ボールひとつひとつを掌でくるくる回してから、いくつかを傍にあった空のバケツに投げ入れた。
「これ、もうちょっときれいにして」
バケツのボールは、こびりついた汚れが取れそうにないものばかりだった。
いったん戻ったものの、こんなのきれいにならないよ、と思いながら、汚れと格闘した。
「見してみ」
ふと、先ほどの関西弁が蘇った。
大きな瞳が汚れたボールを冷徹に見ている。「ふふん」と笑ったような気がした。
冷笑
という言葉が頭に浮かんだ。
あの人、とてもかわいい顔してるけど、ちょっと怖い。なんとなく、合わない気がする。
拭き直したボールを持って、もう一度ゆくと、今度は一瞥しただけで、「あっち持っていって」とグラウンドを指さした。さっき運んできたカゴに拭いたボールを入れて、カゴごとバッティングピッチャーのもとへ運ぶ。
「おっ、ニューボール」
届け先の先輩が白い歯を見せてくれた。ちょっと気が紛れた。
ホントのニューボールはブルペンに持ってゆく。
ピッチャーのピッチング練習に使うボールは、さすがに縫い目の糸がほつれていたりしない。
ずっぱああん。
キャッチャーミットを鳴らす音は迫力満点だ。
「ボール持ってきてくれたの? ありがとう」
声をかけてくれたのは、すらりと長身のピッチャー。思わず笑顔になる。しゅっとした顔は厭味なくて、この人モテるだろうなと思った。
その隣は、わたしなど目もくれず、全身に力を漲らせて、ひたすら投げつづけている。「うおおおおお」と叫びながら投げてる感じ。
それにしても。
高校野球のピッチャーが投げるタマは、中学の軟式野球部のそれとはまるで違う。
大きく振りかぶって。
高々と左足が上がって。
流れるように大きく前に踏み込まれる。
胸を張った上体が正面を向く。
右腕がしなる。
右足が蹴り出され。
指先よりボールが放たれる。
ばっしぃぃん!
はあー。
こんなタマ、投げられたら。気分いいだろうなあ。
「次、カーブ行くね」
すらっとした色男は、さわやかな笑みを浮かべて、腕を振った。
キャッチャーから見て左側の高いところから、ぐぐっと右側へとボールが落ちてゆく。
バッターからすれば、顔めがけて飛んでくるボールをよけようとしたら、肩口あたりからいきなりストライクゾーンに沈んでゆく感じだろう。
さっきのストレートのあと、こんなブレーキの効いた変化球を投げられたら、ちょっと打てないはず。
すっごーい。
息をするのも忘れるくらい、ピッチャーとキャッチャーのボールの往来を見入ってしまった。
部活が終わるのは、夕方の7時。それから部員全員で道具を片づけ、グラウンド整備、着替えを済まして学校を出るときは7時半を過ぎている。もうくったくた。
マネージャーの女子3人は、駅まで自転車を漕ぐ。
「ほな、わたしはここで」
梨花さんが反対側の電車に乗り込んだ。
「ももちゃんって、野球のこと詳しいのね」
電車に乗ってから、さくらさんが言った。車内はそこそこ混んでいる。
「少年野球やってたんで」
「ああ、そうなんだ。最初から段取りがいいなって思ったから」
さくらさんが柔らかな笑みを浮かべた。その笑みに救われる思いがする。
「ポジションは?」
「6年生のときは、ピッチャーしてました」
「すごいね。女の子なのに」
「小学生に女も男も関係ないです」
「そうね、女の子のほうが成長早いしね」
「そうなんですよ。あの頃、チームでわたしが一番大きかったですもん」
デカ女
小学生の頃、そう言われていた。でも、デカ女も高校生になるとMサイズに落ち着いていて。結局は成長期が少し早いだけのことだった。
「今日はブルペンにずいぶん長いこといたけど、どうだった?」
「あ、はい、えっとぉ、なんか、すごいなって思いました」
「すごい?」
「ええ、あのお、変化球の曲がりとか。あんなとこからストライクゾーンに落ちていったら、バッター打てないですよ」
「それか打たれちゃうんだよねえ」
「え? そ、そうなんですか?」
「打つ方は打つ方ですごいのよ」
はあー。なあんと。
でも、あんなタマ、どうやって打つんだろ。絶対よけるよ。目の前にボール来たら。曲がらなかったら、顔面直撃じゃん。
電車はわたしが先に降りて、乗り換える。ホームに降りたら、さくらさんが手を振ってくれていた。さくらさんって、優しい。
「ただいま〜」
家に着いたら、もう8時半。お腹が減って死にそうだけど、まずはお風呂に浸かって汗と砂塵を流す。桶に砂が黒ぐろと溜まると、ちょっと驚く。
お風呂から上がると、ママが用意してくれたお夕飯を一気に平らげる。ご飯を二膳おかわりするけど、まだなにかもの足りない。スナックパンをかじりながり、部屋に向かう。英語の宿題が出ていた気がするけど、机に向かったら一気に睡魔が襲ってきた。
ちょっとひと寝入りしてからやるか。
と思って、ベッドにごろっと横になる。
気がついたら、外は明るかった。。。