アンニュイなプロローグ
高校の合格発表のあと、受験という重圧から解き放たれて、自堕落な日々を過ごしていた。
あれほど勉強しなさい勉強しなさいと口やかましかったママも、いざ娘が合格してしまうと、なにも言わなくなった。間近に迫ったわたしの高校生活を前に、まるで自分が高校生になるかのように、そわそわしていた。
4月から通う学校は、電車で1時間はかからないけれど、家からはちょっと遠い県立高校。
この高校を選んだ理由は、制服がかわいらしいことと、普通科ではなく、専門科ばかり集まった学校で、充実した高校生活を送れると聞いていたから。
中学生活は不完全燃焼だった。
理由は部活にあった。
少年野球をやっていたわたしは、中学でも野球を続けるかどうかで悩んだ。女子にとって野球は理不尽なスポーツだ。続ける道がとにかく狭い。中学で頑張ったところで、高校では道がほぽ閉ざされる。女子野球部をもつ高校がないわけじゃない。以前に比べれば、確かに間口も広がった。ソフトボールという別種のベースボールもある。けれど、いずれも学校は限られる。まして憧れの甲子園の土を踏むことはほぼ不可能に近い。
結局、軟式テニス部を選んだ。
部活は、楽しくはあった。みんなとつるんで、いつも騒々しく笑ってた。けれど。
テニス部のすぐ隣では、野球部が活動していた。顧問の罵声が飛ぶ中、かつてのチームメイトが歯を食いしばって白球を追いかけていた。同じ学校のグラウンドにありながら、ネット一枚隔てた向こうの空気は、明らかに違っていた。
その野球部は、3年生の夏、県大会に出場した。学校創立以来の快挙だった。壮行会が開かれ、体育館の壇上に野球部員が並んだ。少年野球で一緒だった子たちも少なからずいた。その誇らしげな表情を見たとき、自分ひとりだけが取り残されたような感覚に襲われた。
3月も末になった。春の気だるい空気の中、前夜遅くまで友だちとSNSに興じていたわたしは、久々にママの叱責に起こされた。
小言に閉口しながら、パジャマ姿のままリビングにゆくと、パパがソファに腰掛け、新聞を広げていた。
そうか、今日は土曜日なんだ。
曜日の感覚さえなくなっていることに、自由を感じた。
テレビがついていた。パパから少し離れてソファにもたれかかるように座り、寝ぼけまなこでテレビを眺めた。ほどなく、画面が変わった。アナウンサーの弾むような声が流れた。
「甲子園球場です。今年も聖地に高校球児が帰ってきました。春はセンバツから。球春到来、選抜高等学校野球大会がいよいよ始まります!」
もしかすると、それは神の声、だったのかもしれない。甲子園という響きが、いっぺんに眠気を吹き飛ばした。ソファから身を起こして、ファンファーレが鳴る球場を見つめた。
「選手入場!」
甲高い女の子の声がした。音楽とともに、高校生が現れた。やがて、昨年度の優勝校を先頭に、校名の入ったプラカードを掲げた制服姿の男子高校生と、大きく手を振るユニフォーム姿の選手が行進してゆく。チームが続々と現れる。みな一様に晴れ晴れとしたかおをしている。
「あっ!」
思わず声が出ていた。
身を乗り出して、食い入るように画面を見つめた。
そうか、この手があった。
画面の向こうでは、プラカードを手にした制服姿の女子高校生が、緊張した面持ちで、甲子園の黒土を踏みしめ、選手を先導していた。