天使の機械に転生しました。ついでに股間のロングソード(♂)もなくなっていた
――⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は、あてもなく辺りを彷徨っていた。
うとうとと眠っているような、風にふわふわ揺れているような……そんな不思議な感覚。
ここは輪廻の回廊だ。
あらゆる並行世界の狭間、次元の壁を結ぶ光の道。死んだ魂は一旦ここに戻ってきて、次に生まれ変わるのに適した器が見つかるまでこの場所で揺蕩う。
自殺した⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎も、地球という世界からこっちに流れついてきていた。
人によっては三途の川……はたまた天国と呼べる場所かもしれない。
少なくとも、ここはとても気持ちが良い。
穏やかな春の中、ぽかぽか陽気でのんびりとしている時と、同じ気分。
こんなのは久しぶりだった。
いつもいつも、心のどこかが泣いていた気がするから。
もう無理だ。耐えられないと。
ああ……どうしてこうなったんだっけ。
少なくとも、小さい頃は幸せだったような感じがする。
お父さんはいなかったけど、お母さんがその分、優しくしてくれて。
だけど、ちょっとどころじゃないくらい変わり者な人で、まず日常的にいたずらを仕掛けるし、手だってすぐ出るし、笑う時は大きな口を開けてうははははと声を立てるし、髪の色はド派手な紫に染めいて、いっつも夜にはお酒を飲んで酔っ払っていた。
そんなどうしようもない人だったけど、明るくて、面白くて、大好きだった。
常々、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎に言っていた。
お母さんはな、高校出る前に家を飛び出してな、めちゃ苦労してんねん。
お前は良い大学行って、私みたいにならないように勉強を頑張るんだぞ。
後は――
そうして⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎の頭を撫でて。
お前が自分の居場所を見つけられたら……お母さんは嬉しいなー。
友達沢山出来て、誰かを助けられるような人になって、生きてて良かったと思えるような人生を送って欲しい。
そんで大人になったら、一緒にお酒でも飲んでパァーとお祝いしようや。
それがお母さんの夢。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。お前はお母さんの希望だよ。生まれてきてくれて、本当にありがとうなぁ。
その言葉が、暖かくて嬉しくって、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は笑った。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎はお母さんさえいればそれだけで良かった。
でも――幸せは長く続かなかった。
いつも通りの休日、いつもの散歩道。
お母さんと手を繋いで歩いていただけなのに。
――ナイフを持った男が突然現れた。
後から知ったが、そいつは妻子に逃げられて、ムシャクシャしていたらしい。
だから、仲良くしている親子が気に入らなかったんだろう。
特に幼い子共が。
「何で俺は……何でお前らはァ」
そうやって意味の分からないことをぶつぶつ呟いて、そいつはいきなり⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎を狙ってきた。恐怖で震えて動かなかった。
しかし、次の瞬間カバリと抱きしめられて、気が付けば――気が付けばお母さんが代わりに刺されていた。
庇われたのだ、と分かった。思考が真っ白になって、ひりつくような悲鳴が喉から飛び出る。
男は逃走を図るが、何事かと集まった近所の人に捕らえられ、お母さんはそのまま病院に運ばれた。
――しかし、お母さんは助からなかった。
出血多量で死んだしまった。
日常はふとしたことで崩れ去る。世界はそのように出来ているのだと⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は学んだ。
それからは辛い日々の始まり。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は葬儀の時に唐突に現れたお母さんの兄弟に引き取られ、だが結局捨てられて親戚中をたらい回しにされた。
最終的に施設に入り、その頃にはもう抜け殻のような心地になっていた。
胸にあるのはたった一つのことだけ。
お母さんの望んだ通りに生きる。
お母さんの望み通りに、勉強を頑張って。
お母さんの望み通りに、友達を作って。
お母さんの望み通りに、人に優しくする。
それすら果たせなかったら、何のために生きているのか分からない。
いつもいつも思うから。お母さんじゃなくて自分が死ねば良かったのに。
お母さんは何も悪いことはしてなかったのに、どうして――
お母さんの愛が詰まった願いは、やがて呪いのように⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎を蝕んでいった。
血反吐を吐く程勉強にのめり込んで、良い人であろうと努めて、馴染めないのに愛想笑いをして、周囲の大人はそんな⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎に頑張るな、気になくて良いよとは言ってくれなかったので、ますます⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は自分を追い詰めていった。
その果てに、今度は学校でのいじめだ。
いじめられた子を助けたら、逆に⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎が標的になった。
毎日浴びられる刃のような言葉――
死ね、死ね、死ねよ。
――勿論、すぐに死にたくなった。
既にこの世界に価値を見出せず、もう頑張れなくなっていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎はそうやって絶望し、自殺したのだ。
まあなんとも……惨めな最後じゃないだろうか。
十代半ばの孤独な人生。高校にすら上がらず⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎はお母さんのくれた命を捨ててしまった。
後悔しかない……と我ながら思う。
もっと上手くやれなかったのかと、自分を責める気持ちもあって。
今更ながら、周りに押し潰された事実が、こんなにも悔しい。
けれど――
この場所の、この暖かさの前では、すべてが溶けて消えていくようにどうでも良くなる。
まるで母の胎内に返ったように。
――遂に魂の漂白化が始まったのだ。
一定時間この場にいた魂は、生前の情報、人格を洗い流され、次の転生に備えて準備期間に入る。
それは決して悲しいことではない。
どれだけ泣いたとしても、忘却は傷を癒す。次の生には、次の生なりの幸せがあり、希望がある。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎も同じこと。
ただお母さんの記憶に抱かれて、そして――
だが――ここに一つのエラーが発生する。
本来なら失われるはずだった人格の骨子。
それが“第三者の介入”により阻止された。幾つかの思い出、知識も保存される。
そうして、何処かに引っ張られるような感覚。
無理やりに吊り上げられる。
浮き上がる。
暖かさが消えて冷たさが押し寄せる。
――――――――あ。
◆◇◆◇
そして――俺は目が覚めた。
覚醒したばかりでぼんやりとした意識。
上手く考えられない。だが上手く考えられないなりに、これまでの自分のことを振り返ろうとして――俺は誰だ……? とふと思った。
何があったのか、自分が何者なのかが、よく分からないのだ。
しかしたった一つのことだけは覚えていた。
それは自殺したのだ、ということで。
次の瞬間、あの時の苦しみがバチリと火花のように蘇る。
呼吸が出来ず、喉が圧迫され、意識が遠くなるような、あの苦しみ――
思わず自身の首に手を添え、パニックに陥った。
「首ッ、首ッ、首がッ――」
「首? 首がどうかしたの?」
すると……何処からか声が聞こえてきた。
聞き覚えのない、低くも高くもない声だ。
俺はギョッとし、キョロキョロと辺りを見渡す。
そこは辺り一面、繭に包まれたような白く不思議な場所だった。
四畳半ぐらいで、そこまで広くはない。
そのため声の主は簡単に見つかった。ということか、すぐ真正面にいた。
しかし……俺は先程とはまた別の意味で、ギョッとなる。
“それ”は一見すると人間のような形をした、何かだったのだ。
まず、見た目年齢は十歳ぐらいだろうか。
ちんまりとしていて小柄だ。
腰まで届くふわふわとした癖毛の薄紫色の髪に、吸い込まれそうなアイスブルーの瞳。人形めいた“それ”の顔に良く似合っている。そしてその体の作りは酷く中性的だった。
何というか……平坦で起伏がないのだ。
いくら小さい子供とはいえそれぐらいの年齢ならば少しの性差なんてのは現れている。だが目の前の“それ”には一才そんなものが見られない。全裸だし、目のやり場が困るけれど、それにしたって、筋肉質でもなく、胸部の膨らみすらもなく……裸を見た罪悪感が来る前に不気味さが優っていた。
何よりいやでも目につく、下腹部……そう、股の部分だ。
そこにあるはずの“穴”や“鞘”そのものがない。
“性器”がないのだ、こいつは。
それがまた一層、薄気味悪い。
――それもそのはずだろう。
“それ”は人型の機械なのだから。
頭上に浮かぶ歯車の輪っか。
肩甲骨から生えているのだろう二対の機械仕掛けの翼。
肌には回路と思わしきものが走り、関節部などとこどころ金属のパーツが露出。
左右の腰には丸い宝玉のようなパーツがついていて、首からは多数のコードが伸び、背後にある複雑な機器と連結していた。
どこをどう見たって異形の鉄の天使だ。
“それ”がアイカメラでこちらを見ていて、それでも人のように訝しい表情を作り、再度訊いてくる。
「ねえ、どうしたの? 何かあったの?」
「――ッ。お、お前――お前何者だ。お前は一体……」
「? 変なこと聞く奴ね」
だが俺の戸惑いに逆に相手も不思議らしい。
コテンと首を傾げ、
「型番Zwiur-EQ-021だけど。それとも、なあに? 貴方の双子の兄弟も識別出来ないの? 目が覚めたばっかりで処理回路が混乱してる?」
「双子? 処理回路?」
俺は疑問の言葉を口にする。訳が分からんかったのだ。
続けて誰がお前と双子だ……と続けようとして、視界に入った足に固まった。その肌の表面に、目の前の天使と同じ、きめ細やかな回路が走っていたんだから。
「な……」
驚愕に息を飲み、実際にペタペタと足に触ってみる。シリコンと肌の中間のような感触が返ってきた。強く握れば痛みもあるが、その下に金属製の硬いものに触っているような感じもして。
何だこれ、何なんだよこれ。
立ち上がり、自身の姿を確認する。
すっぽんぽんの全裸の体。性別を感じさせない真っ平な胸。
あちこちにある金属の部品、ゆさゆさ動かせる鉄の羽。横髪を摘んで見れば馬鹿みたいに艶のある銀の色をしている。
これもちなみに金属の糸で出来ているようで、明らかに普通の髪に触れている感覚ではなかった。
そして後ろを触りかえれば、やっぱりよく分からない機械が背後の壁にあり、そこから数本のコードが伸びて、俺の首と接続していた。
……気持ち悪い。
極め付けは――この頭に浮かんでいる歯車だ。
さっきから、クルクルクルクル回ってる。まるで俺の感情に合わせているように。
ここまで確認して、俺はやっと現状を理解した。
理解してしまった。
どうやら俺は……何故かこの機械の天使と同じものに、なってしまっているらしい。
「………………」
俺は沈黙した。
天使はおかいまいなしに「おーい、大丈夫?」と言ってくるが、こっちはそれどころじゃない。
正直、え、ドッキリでしょからかわないで下さいよやだ〜とか、奥さんなんてこと言うんですかー、そんなのフィクションよ、フィクション、うふふふふふふ〜とか、これは夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢、絶対現実じゃないじゃあ誰が俺を作ったんですかもしや改造、人体実験? ちょっともしもし神様何しちゃってくれてるのん何これ何やねんこれ――とか。
とにかく色々なことが頭を駆け巡った。
あまりの自体に思考がフリーズしてる。
完全なる混乱状態だ。
こちとら色んなことが思い出せないって言うのに、この仕打ちはないだろ。
名前も、年齢も、通っていた学校も、確かにいたはずの大切な人さえも……覚えていない。それなのに断片的に持っている記憶は、どうでも良いことばっかりだ。
いじめられた時のこと。確かに残る喪失感。
口の端が釣りが上がる。
やっぱり――こんなの現実ではない。
確かに俺は死んだはずだ。だから絶望だらけの人生がまた続くなんて有り得るはずがなくって――そう、もう一度否定しようと体を見下ろし、自分の股間に目が入った刹那、俺、再び硬直。
さっきからチラチラ見えていたにも関わらず、無意識のうちに目を逸らしていた、受け入れ難い一つの事実が今、突きつけられた。
それは即ち――
「な……なくなってるッ……」
ロングソード(♂)の消失である。
大人になるどころか童貞を捨て去る前に、まさかの男のアイデンティティの剥奪、強制的な去勢である。
冗談ではない。
「…………」
何故だろう。パニクってた頭は妙に冷めて、ボロボロと涙が出てきた。と言うか、この体でも涙は出るのか。バグってんだろ。
そしてそんなショックを受けている俺に、得体の知れない機械の天使は一言。
「ねえ、本当にどうしちゃったの? 何処かエラーがあった?」
心配しているような声で言ってきて、何故か更に泣けた。
エラーは股間にあるんだよ……とはとてもとても言えなかった。
ざっくり設定2
分割子宮
兵器製造AIマザーの機能を拡張、コピーした天使を製造するカプセル。
繭に包まれたような姿をしている。
同時に補給機の役割を果たしており、天使達は壁に設置された機械と自身のコードを繋いで星のエネルギーを補給する。
拠点の根幹を司る巨大な演算装置でもある。
天使の双子
天使はホムンクルスを素体に機械を組み合わせ製造される――その前段階、細胞杯アリル(=人間て言うところの卵子)の時に、稀に二つに分裂する時があり、これらの個体は同じ分割子宮の中で育つことになる。
他の天使と同じく性能は何も変わらないが、細胞杯が分裂したことで、一種のバグが発生しやすくなっている。ニョクスがこの双子の天使の個体に異世界人の魂を転生させたのは、それ以外の個体ではそもそも不可能であったからである。