エメラルとルベル 1
――ここで、エメラルとルベルの話をしよう。
エラー塗れで、変わり者で、もう手に入れられないものに恋焦がれる、あの子の話をしよう。
エメラルとルベルが出会ったのは、丁度十七年前だった。
東方に位置するワエン砦。そこがエメラルの生まれ故郷だった。
三千人の同期と共に生み出されたその頃のエメラルは、所謂期待の新人という奴で、同期の中で一番の成績を誇り、教育係からの覚えも良く、人に取り入ることが得意な性格もあってか、随分と周りからチヤホヤされていた。
要領が良くて優秀な天使――それがエメラルという少年だったのだ。
そんなエメラルは、教育期間が終了する前に前線に送られることが決まっていた。
なんでもワエン砦からそう遠くない南方の地に、無権限地帯が見つかったのだという。
無権限地帯とは、天使、悪魔両陣営が真核を保有していない、誰のものでもない土地だ。
この星はあまりに広大で未開拓地域もそれなりに多い。
また真核というのも何処の土地に眠っているのか分からないことが多々あった。
何故なら星のエネルギーが噴き出す地点――エネルギースポットの位置情報が、先の大戦により完全に消失したからだ。
真核がある場所とエネルギースポットが存在する場所はイコールである。一から調査する必要があるからこそ、真核を見下とした穴場が点在した。
そのために、無権限地帯は発見されたら即座に奪い合いの対象となる。
最前線には新しい拠点が建てられ、優秀な人材が集められることとなった。
エメラルもその流れに巻き込まれたという訳だ。
だがエメラルは何も文句を言わなかった。むしろ望むところだったと言って良い。
自分は何でもやれる。失敗しない――大手柄を立ててやる。
そんなことを思っていた。
そうして新しい拠点に配属されたエメラル。
そこには当然のように他の新人もいた。その中で一際目立つ白髪赤目の天使こそ、ルベルだった。
と言っても彼は当時名前を持っていなかったし、エメラルもまた“エメラル”という通称を使っていなかった。
ずっと周囲から三百二十九番と呼ばれ、それで充分であると考えていたのだ。
当のルベルも同じだったらしい。
たまたま所属小隊が一緒になり、意気投合した二人は、そこで初めて互いに呼び名がないと味気ないことに気付く。ずっと親しい者もおらず、ストイックに訓練をしていた弊害だった。
彼らは初めて出来た友人を相手にどう接すれば良いのか分からず、次第に会話のネタがなくなっていった。
と、そこで割り込んできたのが、同じく所属が一緒の青目の天使。
どうやらこちらの話をずっと聞いていたらしい。快活そうに笑い、悪戯っぽく提案する。
「じゃあ僕がお前らの名前を考えてあげるよ。そうだなあ……お前らの目はとても綺麗だから……」
そしてその青目の天使は、緑目の天使と赤目の天使の顔を覗き込み、ポンと思いついた名前を口にする。
「ルベルとエメラルなんてのはどうだろう。ルビーとエメラルドから取って、ルベルとエメラル」
「おいおい、そりゃまた洒落てるがお前の名前に因んでるのか? お前の名前はサフィだっけ?」
赤目の天使が聞けば、青目の天使――サフィは頷く。
確かに彼の目もサファイアのように澄んでいて、引き込まれる色彩を湛えていた。
「そうだよ。この青い目が自分でも気に入ってるんだ。それにこれも何かの縁でしょ。エメラルとルベルとサフィ。この三人は、隊長ハナビを筆頭とする小隊の中でも抜きん出た能力を持つ新人だ。能力の開花も済ませ、いち早く成体に成長出来た天使なんて僕ら以外にいない。互いに仲良くなっていた方が補い合えることも増えるはず。だから――」
それからサフィは拳を突き出し、もう一度笑う。
「よろしくやろう、兄弟。僕達は一緒にいれば何だって出来る。無敵だ」
するとルベルが驚いたように目を瞬かせ、そして噴き出す。
「何だよそれ。お前いきなりそんなこと言うなんて変な奴だなあ。でも気に入った!」
サフィの真似をして拳を前に出し、エメラルにも促した。
「ほらお前もやれよ兄弟」
そのことに、何だかエメラルは悪い気がしなかった。
ここまで無遠慮にづかづか踏み込んでくる奴らは初めてだったのだ。エメラルもまた心の底から笑い、しょうがないなあと溜息をつきつつも、拳を突き合わせた。
エメラルとルベルとサフィは、その瞬間から兄弟になった。
同期とも少し違う、上下関係のない特別な兄弟だ。
だが――
「サフィ?」
「おい嘘だろ。サフィがやられるなんて……」
戦場に出て僅か四日。
兄弟の中で一番優秀だったサフィは、小隊の中で一番早く撃墜された。
敵の悪魔は魔獣を操ることに長けていて、空には覆い尽くす程の使い魔が溢れかえっていた。
ハルピュイア、ワイバーン、鳥の形をしたゴーレム。ありとあらゆる空を飛ぶ使い魔は、天使達を貪り食った。
バキバキ、ムシャムシャ、モグモグ……咀嚼音は地獄の中でも鮮明に聞こえ、それ以上に響き渡っていたのは悲鳴。
助けてとか死にたくないとかマザーとか人類万歳とか、色々な声が上がっていた。その中にサフィの絶叫も含まれていた。
サフィは全身を竜に群がられていたのだ。
最後の言葉は、エメラル、痛い、苦しいだ。
きっとこちらに助けを求めていたのだろう。だが間に合わず、手を伸ばした瞬間、サフィは四肢を食いきちぎられて地に落ちた。
あまりの凄惨な光景に、エメラルの思考は停止していた。
「…………ッ」
絶句だった。
初めての友人、初めての特別な兄弟だったのに。それがこんなにもあっさりいなくなった?
エメラルはショック過ぎて、動けなくなった。そんなエメラルに、小隊長のハナビが叫ぶ。
「固まるな! 動けエメラル君!」
「エメラル、今は迎撃しないと! 他の奴らが!」
ルベルも必死になって叫んでいる。
あちこちで上がる悲鳴、悲鳴、悲鳴。向かってくる敵、敵、敵。
どうしようもない程小隊は追い詰められている。
「あ、ああああああああああああああああああああああああ!!!」
エメラルは咆哮した。
怖い怖い怖い。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――
(――死にたくない!)
そこから先のことは何も覚えていなかった。
ただ必死になって戦い続けた。
やがて撤退命令が出て、拠点に帰ることが出来たが、小隊の生き残りは僅か六名だけ。エメラルはその衝撃に頭がぶん殴られるようだった。
こんなにも――こんなにも戦場が死に溢れているだなんて知らなかった。データではどんなものか知識はあったのに。実際に経験して、初めてエメラルは実感した。
戦うことの虚しさを。当然サフィの遺体は持って帰れなかった。
持って帰れていれば、せめて次の世代のパーツとして流用出来て、その死が無駄になることはなかったのに。
「サフィ……サフィ……サフィ……!」
エメラルはその時生まれて初めて泣いた。
挫折を知らなかったからこそ、今まで辛いことも苦しいことも無縁だった。
だから余計にこの痛みが胸を焦がして、締め付けて、焼き付けて離さない。
(何が手柄を立てるだ! 何がやってやるだよ!)
自分はこんなに無力だったくせに。
偉そうに言っておきながらこの様だ。
なんて馬鹿馬鹿しい。なんて愚かしい。
「サフィ……」
そうしてルベルも言葉を失って呆然としていた。
他のメンバーも俯いている。
ただ上官のハナビだけは、上司としての責任か、皆を励まして回っていた。
「お前らはよくやったよ。よく生き残ってくれた。ホッとした」
自分だって三年しか生きておらず、比較的後方にいたくせに。ハナビは人が良く、優しかった。
一人一人、一生懸命声をかけて、消沈しているエメラルとルベルを抱きしめてくれた。
「ルベル君、エメラル君。お前達もよく頑張った……頑張ったよ。サフィ君のことは忘れない。自分の大事な初めての部下だから……」
「ハナビさん……」
「だからどうか……その悲しみをなくさないでくれよ。サフィ君はお前達を守ろうとしたんだ……」
「はい……」
その言葉は、スッとエメラルに染み込んで、心の中に大切に仕舞われた。
悲しみをなかったことにしない。サフィをずっと覚えててくれる。そのことに、エメラルは確かに救われるのを感じていた。
だがルベルは、ハナビに感謝こそすれ何処か納得できていないような顔をしていた。
それはきっと現状に対する不満のようなもの。
ボロボロになった体を休め、分割子宮でエネルギーを補給しながら、ルベルは呟く。
「なぁエメラル……もう小隊は壊滅状態だよな……」
「そうだね。……他の部隊も同じだって聞いたよ」
「それでも人員がまた補填されるんだよな……また無意味に死んでいく奴らが沢山……」
「それ以上はやめた方が良いよ、ルベル。もし他の奴に聞かれたら……」
急増の拠点のため、通常の部屋と違って防音対策があまりない。こんなことを聞かれたらスクラップ送りだ。
とは言え、他の部屋からも天使達の啜り泣く声、やけになって嘆く声が聞こえてくる。それに合わせてルベルも気分が引っ張られているのだろう。
エメラルはルベルが落ち込んでいたから、逆にそれを見て少し持ち直していた。
エメラルだって、少しはモヤモヤとした気持ちを抱えていたのに、模範的な天使らしく言ってしまったのだ。
「私達はマザーのための尖兵だよ。マザーのために戦うだけの存在。こうして二人で生き残ったんだ。目にもの見せてやろうよ、悪魔どもに」
「ああ……そうだな」
「頑張ろう、サフィの分まで」
そのまま二人は寄り添いながら、共に眠った。手を繋ぎながら、固く固く離れないように。
この悪夢がいつか終わることを信じて。
しかし――戦況は刻一刻と酷くなるばかりだった。
客観的に見て彼我の戦力は拮抗していた。悪魔陣営も次々と新しい魔獣を投下し、天使陣営も兵を惜しみなく戦場へ向かわせる。
だがそれ故に決着が長引く――いたずらに時間ばかりが過ぎていった。
その間、毎日誰かが死んでいき、毎日誰かを殺し続けた。
腕が吹き飛び、足が千切れ、けれどいくら怪我をしても治せるから、すぐに戦場へ舞い戻ることになった。
かつて期待の新人と言われていたエメラル……しかしそんな彼の姿はもうどこにもない。
必死に戦い、傷つき、惨めに足掻く彼はあまりにも無力だった。
幸いだったのは、兄弟のルベルと上官のハナビだけはエメラルの側にいたことか。
悪運が強いのか、小隊の中で三人だけが必ず生き残った。
だがそのためにあらぬ噂が立ち始める。あの三人は周りの運気を吸い取って生きている。アイツらと一緒だと死んでしまう――アイツらは死神だ。
誰もが追い詰められていたこの状況。
悪魔を恨む者もいれば味方を憎むものだっていた。とにかく何かのせいにしたくてしょうがなかったのだろう。
だが理屈で理解できても納得するのは難しい。
だと言うのに、反論すれば笑われたり、本気で怒られる。
お前達のせいで皆死んだのだと。無茶苦茶な理論だった。
味方にも敵にも、信じられるものが何処にもいない。
(生き地獄だ)
エメラルは素直にそう思った。
流石のハナビも相当精神的に参っているようで、何で自分達ばかりと嘆いていた。それでも彼は諦めることなく、エメラル達に繰り返していた。
「仲間が死んだことを忘れないようにしないと……この悲しみを忘れないようにしないと……そのために戦わないと……」
それはある種の自己洗脳に近い。
そうすることで自身を保とうとしていたのだろう。
だがそんなハナビの態度に、やはりエメラルは救われるのだ。
まるで自分の心の内を代弁するようだった。この人は自分の悲しみを肯定してくれる。受け入れてくれる。そのおかげで自分は正気を保てている。
エメラルは日に日にハナビに依存していくのを感じていた。
彼の頑張ろうと言う言葉も、彼のいつか報われるという言葉も、エメラルにとっては希望だった。
一緒に泣いてくれたから、この人の側にいたいと思った。
だがルベルはエメラルとは違う。ある日限界を迎えたように呟いた。
「なあ……何のために俺達生きているんだろう……サフィも死んで……この先も……」
「ルベル。これ以上考えない方が良いよ……私達はハナビさんの言う通り……」
「エメラル……」
ルベルは皮肉気に笑い、力なく言った。
「ハナビさんの言うことは、何の根拠もない言葉だよ……縋り付いても……あの人自身が中身がないことを自覚してるよ……」
「……それは……」
「ごめん。エメラルは気を使ってくれてるのにな」
そうしてルベルは遠い目をした。本当に遠い目を。
「何だか最近、……分からなくなるんだよ。何が現実で何が本当なのか。ここにいる自分は偽物なんじゃないのか……ずっと秘密にしていんたが、俺は生まれた時から、何処か違和感を持って生きているんだ……ここにいるとそれが更に強くなる。この鉄の体に血は通っているのに、生きている実感が何もない」
「……」
「それが俺にとっては何よりも苦しい――この世界にいる感覚がないのが苦しいんだ。そんな状態で、俺は生きていると言えるのか?」
その儚い表情に、エメラルは何故かゾッとなった。
覚えがあったからだ。前線に送られ帰ってくる奴らの中には、こんな風に感情を映さない瞳をする者も少なくなかったのだ。
そうなったが最後、淡々と敵に向かっていくようになり、そんな彼らは機械よりも無機質に見えた。
(…………)
エメラルは、思う。
生きるとは、死ぬとは何なのだろう。ずっと死にたくなくないから戦ってきた。だが死ぬよりも恐ろしい何かがこの世界にはあるのかもしれない。
しかしこの時のエメラルには、それがいまいち何なのかよく分からなかった。
ざっくり設定14
無権限地帯
天使、悪魔両陣営が真核を保有していない、誰のものでもない土地。この星は地球のイフの姿だが、その大きさは地球と比較すると約三倍。未開拓地域もそれなりに多い。また過去の大戦で星のエネルギーが噴き出す地点――エネルギースポットの位置情報が完全に消失したことから、多くの無権限地帯が野放しに点在している。そのため発見され次第奪い合いの対象となることが常である。
エメラル達が派遣された戦場もその争いの一つで、後にハウダロンの戦いと呼ばれ、数ある戦争の中でも泥沼化した最悪の戦争の一つに数えられている。