貴女はだあれ?
その後も、ポツポツとだが人はやってきた。
しかし問題なのが、誰も彼もが一癖も二癖もある客ばかりだったことだ。
例えば三人目の客はどこで拾ったのか知らないが、なんと呪いのアイテムなる訳の分からない仮面を持ってきて、あまつさえ買い取って欲しいのだという。
恐らくどっかの馬鹿が面白半分に悪魔が所持していた仮面をとっておいたのだろうが……それにしたって禍々しいオーラが溢れて、確かに呪い殺されそうな気分になった。
――実は、胡散臭いことにこんな話がある。
旧時代より、オカルトと見做されていた怨霊や悪霊の類。
しかし実際には理論上、それらの怪異は誕生し得るらしい。
基本的に死後、魂は回廊へと回収されるが、稀に強すぎる負の感情から現世に留まる霊というのは存在する。
……と言ってもあくまでそれは世界に焼き付いた染みのようなもの……やがてはその霊も輪廻転生の輪の中に組み込まれる。
だがそれでも尚、はっきりとした自我と意志で、そのまま回収を拒絶し続けたとしたら?
やがてその感情は“エラー”と見做され世界を蝕む“汚染物質”となる。
そういった霊が、怨霊、悪霊と呼ばれるのだ。
まあ前述した通り、誕生し得る、というだけで、この世界ではそんなことは実質不可能に近い。
何故なら無数にある世界ごとに、魂の回収の強制力はそれぞれ違うからだ。
その理由は明らかになっていないが、ともかくこの世界の魂を回収するスピードはとてつもなく早い。
魂が悪霊化する前に回廊に行ってしまう。
と言う訳で、怨霊や悪霊の発生は、異世界に限定される特殊な現象とされている。
“汚染物質”も霊本体がいなければ拡散しやすいという性質上、呪いすらも存在しない。
つまり呪いの仮面自体がデマということだ。
ただ単にそれは不気味なデザインなのだということを説明し、「絶対呪いのアイテムなんだよ! キエエエエエエ!!」と主張する客を騙せるのには随分と骨が折れた。
最終的にはハナビが無理やり追い返したのでことなきを得たが、どっと疲れた気がした。
その他にも、何故か馬の被り物をしたカップルが現れたり、サンバを踊り狂う奴がいたり、フィルルカのように重度のオタクから長話を聞かされたり……。
本当に変な客が続いた。
そういう人達を、この店が引き寄せてるんじゃないかと思ったくらいだった。
しかもライラは労働初心者である。
慣れない接客に思いの外四苦八苦したのもあって、四時間経った頃にはすっかり、ぐたぁとなってしまった。
「うぅぅぅ……」
そんな訳で、猫背になって呻き続けるライラに、ハナビは苦笑混じりで肩をポンポンと叩く。
「後もうちょっとでござるよ。頑張った頑張った」
「うぅ、こんなに大変だったとは……」
正直想像すらしていなかったので、やはり経験してみないと分からないことばかりである。
ライラはバテてないハナビの姿に、逆に素直な感心の目を向けた。
「これを一人で回してるなんて、ハナビって意外とすごかったのね。尊敬するわ」
「いやいや、それほどでもないござるよ。忙しい時は早めに閉めたりするでござるしね」
「そうなの? いやでも――っと……ああ、ごめんなさい。いらっしゃいませ?」
と――丁度、話し込もうとしたタイミングだった。
人通りも少なくなった廊下の方から、人がやってきたのだ。
ライラは背筋を正し、一応失礼がないようにする。
時間的にも最後のお客さんであろう天使は、人間で言うところの二十代前半ぐらいで、金髪をお下げにし、沢山の荷物を背負って、控えめな笑顔を浮かべていた。
それがどうも見覚えがあるような気がして、一瞬訝しみ、次にハッとして微笑みを溢す。
「あら、エメラルじゃない! 久しぶりね!」
――そう。
その天使はいつぞやの、人口子宮の中を案内してくれた優しい先輩――型番Waen-SG-329こと、エメラルだった。
彼もまたこちらを覚えていてくれたようで、嬉しそうに返事を返す。
「うん、久しぶり、二十一番ちゃん。おっと、今は名前の方で呼ぶんだ方が良いかな?」
「ええ、ライラよ」
「そうか、ライラちゃんか。意味は神星言語で“夜”や“琴”かな? 洒落てるね」
「当然よ!」
ライラはぷくぅと鼻の穴を広げ、誇らしげに胸を張った。
なんせニニが付けてくれたのだ。
アイツのネーミングセンスは悪いが、かと言ってこの名前がお洒落じゃない訳がない。
そんな様子の彼女にエメラルは苦笑、「変わらないねえ」と言うと、
「ところでどうしてここに? 新兵がこんなところにいるなんて珍しい」
するとそれに答えたのはハナビだった。
何やらエメラルとも仲が良いらしく、口調は親しげだ。
「実は今日限定で手伝ってもらってるんでござるよ。なかなかテキパキ動いてくれて、助かってるんでござる」
「そうなの。なんか想像つかないけど」
「ちょ、どう言う意味よ!」
あまりの言い方にライラはムカっとした。
一体どんなイメージを持たれているというのか。心外なので口の端を曲げていると、エメラルは「ごめんごめん」と謝ってくれた。
それでライラはすぐに許した。分かれば良いのだ、分かれば。これ以上怒っても無駄なので、明るい気分になるよう笑ってみる。
「………」
だがエメラルは微妙な愛想笑いを返すだけで……次に無理矢理話題を変えるように、ハナビに向き直った。
「ああ、そう言えばハナビさんも久しぶりですね」
「うむ、しばらくぶりでござる。エメラル君。して、今日はいつもの件でござるか?」
「そうそう。もーいっぱい作りすぎちゃって」
と、ハナビが要件を聞けば、エメラルは相変わらずの困った顔をしながら、荷物を床に下ろした。
全部でひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……数えると五つだった。
どれも両手で抱えられるくらいの大きさで、ここまで運んでくるのに随分の手間だったと思える。
今までにないくらい、それは不思議な形をしていた。
材料は木材と金属の弦だろうか?
木の本体に複数の弦を張ったもので、恐らく楽器か何かだろう。
しかし当然ながらライラには知識がなかった。
初めて見る物体にキョトンとして目を瞬かせた。
そして、ジッと怪しげにエメラルを見つめた。
「えと……これって変なものじゃないわよね?」
「ん? どうして?」
「いや、どうにもおかしな客ばかりだったもので。思わず疑ってしまったと言うか何と言うか」
「ああ……成程」
そこでエメラルは、納得が言ったというように頷いた。
どうやら心当たりがあるようだ。もしかしなくても、やはり変な客がこの場所には集まりやすいのかもしれない。
「で、もそんな奴らと私を一緒にしないで欲しいな。これはちゃんとしたもの。全部手作りの楽器だよ」
「手作り?」
「お、私の話聞きたかったりする?」
するとライラが興味を示したのが嬉しかったのか、エメラルの目が妙にキラキラし始めた。
が、途端にライラは面倒臭くなった。
これは長くなりそうだぞう……と思ったのだ。
そこから、エメラルは頼んでもいないのにオタク特有の早口で解説を始める。
ここが拘りだの、ここが大変だっただの、どーたらこーたら。
その話を流しつつ、掻い摘んで聞けば、どうやらこの楽器はエルフォリア•ハリルというらしい。
ハリルいうのはまんま、弦楽器という意味だ。
所謂ハープの仲間で、ライラの名前との一致に偶然だねとエメラルは言っていた。
ただし、ハープはハープでも、あまり地位は高くない楽器だ。
昔、一部の愛好家の間で流行ったらしく、その最大の特徴は手間暇さえかければ安易に作り出せることだろう。
そのくらい材料が手に入りやすく構造が単純なのだ。故に子供向けの知育楽器、芸術教育の楽器とされ、あくまで個人的に趣味で作るのがせいぜい。
反面、マイナーながら幅広い音域を持っており、奏法を極めるのは難しい。
そんなものをエメラルが何個も持ってきたということは、かなりプライベートでいじっているに違いない。
(意外な趣味よね……)
真面目そうだしなぁ……とぼんやり考えていると、ふとその時、話の流れが少し変わった。
そこまで言うなら音を聞いてみたい、とハナビが言い出したのだ。
勿論、エメラルは喜んで了承。
「ではいざ――」
と、ハナビがハリルの一つを手に取り、弾く。
瞬間、ロン、ロン、ロロロン……と、鳥の鳴き声に似た独特の音が響いて。
それがどうにも心地良く、ライラは思わず聞き入ってしまった。
目を見開く。
――それに何でだろう。何故だか妙に、懐かしいような……。
(…………)
「うん、やっぱり良い音でござるな。エメラル君、また腕を上げたでござるね」
「いやそれほどでも。最近これしかやってないんで。没頭すると二個も三個も作っちゃうもんだから、ハナビさんが引き取ってくれて助かってます」
しかし、そうやって呆然としている間にも、会話は進んでいく。
二人は息が合うのか話は段々と盛り上がりを見せるが、ライラとしてはそれどころではない。
どうしてか胸が高鳴り始めていた。
ざわついて、うきうきしてて、苦しくて。
跳ね飛んでるみたいで、沈んでもいるみたい――そんな、複雑で経験したことのない感情が、急に溢れてきたのだ。
その詰まるような激しい気持ちは、ライラをこれ以上ないほど混乱させる。
そしてそれを上回るほどの何かを、彼女は感じていて。
ハリルから目を逸らせなかった。
「じゃ、ハナビさん。この楽器と交換で、そっちのボードゲームを二つ下さいな」
と――上の空になっていた時、ハリルが買い取られようとして、ライラは思わず息を飲んだ。
ハナビは近くのボードゲーム……黒白の市松模様のボード盤を二つ、言われた通りにエメラルに渡し、何処かおかしそうに言う。
「これでござる? 一つは個人として、もう一つはプレゼントにござる?」
「ええ、まあね。なかなか進展しないようなので、焚き付けてやろうと思いましてね。知り合いにいるんですよ。もどかしくて見ていられないお馬鹿さんが二人」
「ぐふふ、そりゃまた良いでござるな。“結婚”の祝いの品なんて知ったら、お互い意識しまくるかもしれないでござるねェ」
そんな風に悪い笑みを浮かべている二人のことが、ライラはよく分からい。
たかがボードゲームに何かあるのだろうか。意味不明だ。
(………………)
そう考えつつも、やはり吸い寄せられるようにハリルに意識を向けるライラ。
すると、その様子に良い加減気付いたのだろう。エメラルが不思議そうに聞いた。
「ライラちゃん、もしかしてやっぱ興味あるの?」
「へぇあ!? べ、別にそんなことは――」
が、急に指摘されて、ライラの声は上擦ってしまう。
ニニのように咄嗟に捻くれてしまったのは、恥ずかしさからだろうか。
エメラルは少し考えるようにすると、こう提案した。
「あ、だったら一つ、売るのをやめて君にあげようか? 多分、ボードゲームと交換する分は二つで足りるだろうし。どうせ後はお金に換金予定だったから。ハナビさん、それで良いですよね?」
「そりゃ勿論。頑張ってくれたからご褒美があっても良いと思うでござるよ」
「…………じゃあ」
その言葉に釣られ、ライラはハリルの一つを持ってみた。
ドキドキする。
思ったよりも軽く、手に馴染む。
弦を摘み、ロン、と鳴らしてみた。
本当に懐かしい音色だ――その瞬間、ふっと何かが頭を過った。
それは、紫色の花々が咲き誇る花畑。
暖かな春の香り。お城みたいな立派なお屋敷。
その中で無邪気に笑っていた。白いブラウス、フリルたっぷりの黒いスカート、揺らして馬鹿みたいにはしゃぎ回って。
目の前には大きな男の人。その人はいつもパリッとしたスーツを着ていて、お髭がとっても似合ってる。
思えばいつも椅子に座っていて、ハープみたいな楽器を奏でていた。
――その度に、ロン、ロン、ロンと、鳥の鳴き声みたいな音がする。
『心羽や心羽、私の可愛い可愛い心羽』
その音色に合わせて歌う声が、優しくて、大好きだった。
『はい――お⬛︎様』
――そんな、もう二度と届かない望郷の彼方の思い出が、“ライラ”の中を駆け巡って。
「……どうしたの?」
「……!?」
そう聞かれて、ようやく現実に引き戻される。
ライラは少し呆けて、しばらくして気が付いた。自分の瞳からしずしずと、涙が溢れていることに。
でも、何で泣いているのかが分からない。
分からないけど、とても寂しい。
寂しいけれど、何処か違和感がある。
「……」
ライラは漠然と、違うな、と思った。
これはライラのものであってライラのものじゃない。
奥底が繋がっていても、ラベルの違う別の誰かのもの。
ライラそのもの感情じゃない。こんなものは知らない。知らない人の記憶を追体験しているだけ。
そのことが無性に恐ろしかった。
(心羽……? あの男は人間様……? 一体どうなっているの?)
困惑のままに、片手で額に触れる。
さっきから頭が痛い。不安から目を閉じれば、今度はハッキリとそいつの顔が浮かぶ。
長い黒髪に茶色の瞳。幼い容姿。
白いブラウスに黒いスカートを揺らす少女は、こっちを見て笑っているようだった。
悲しそうに。
(アンタ、誰よ……)
心の中で、問いかける。
少女は尚も、憐れむように微笑んで。
――なら、逆に聞くけれど。
それから、心を見透かすような瞳が細められた。
――貴女こそ、本当はだあれ?
ざっくり設定10
悪霊化
魂は輪廻転生を繰り返している。世界の狭間、“輪廻の回廊”を介して人格と記憶を消失し、再度新しく誕生する生物に宿る。そしてまた死ぬと再び回廊に回収されるが、ごく稀に未練が強すぎるあまり現世に留まる霊も存在する。
この時更にはっきりとした自我と意思を持っていた場合、回収を拒絶し続けた結果、汚染情報の塊と化してしまう。これが悪霊、怨霊と言われるものである。実は異世界特有の現象で、基本的に作中世界で悪霊が発生する余地がない。これは作中世界の魂を回収する強制力が強すぎるためで、恨みがあったとしても、現世に留まる前に回廊に拾われてしまう。
……もし仮に、地球で発生した悪霊を作中世界に連れていきたい場合は、肉の器に直接宿らせるしかないだろう。
エルフォリア•ハリル
この世界の伝統的な弦楽器。ハープの一種。神星言語の単語Elpholinは組み上げられたもの、そこにあるもの、既にあるもの、という意味を指す。その変化系がElpholia。弦楽器を意味するハリルと合わせ直訳すると、身近なもので作られた弦楽器、となる。
その名の通り、手間暇さえかければ安易に作れる単純な構造が特徴。かつては子供向けの知育楽器、芸術教育の楽器とされ、地位が高いものではなかった。反面、マイナーながら幅広い音域を持っており、奏法を極めるのは難しい。また材料や作り手によって音の癖が違ってくる。
見た目はライアーハープそっくり。ロン、ロン、ロンという音色で鳴る。